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我々の日々の半分は地球の暗い部分で過ぎる──『失われた夜の歴史』

失われた夜の歴史

失われた夜の歴史

じっくりと考えてみるまでもなくこの世界において夜は──「半分」を占めている。であればこそ、夜を抜きにして語られた歴史は本来の歴史の半分しか語られていないといえる。本書『失われた夜の歴史』は、産業革命以前の「まだ、明かり(主に蝋燭)がそれほど多数に行き渡らず、高価だった時代」の中世ヨーロッパに焦点をあて、夜に人々がどのように生き、どのような行動が起こり、またどのような考えを抱いていたのかを様々な側面、一次資料から徹底的に洗いだした凄まじい力作である。

夜? 昔の人は寝てたんでしょ、と単純に思うかもしれない。もちろん、今とおなじく大半の人は寝ていた。覆しのようのない真っ暗闇の中で。強制的に執行される「闇」の中では、様々なことが起こる。武装強盗団とっては格好の補助ツールとなり犯罪を助長する。本を読む為に必要な手元を照らす蝋燭は仮に寝落ちでもしようものなら一瞬で家を燃やし尽くし街に飛び火していく。恋人たちにとっては夜は密会のチャンスでありネットがない時代の人々に「匿名性」を与える仮面でもあった。

もちろん犯罪は多発するから、夜出歩くのは危険なことである上に「家の中にいてさえ」何者かが押し入ってくる確率の高い時間帯であった。何者にも襲われなかったとしても暗闇の中で移動する人々は今よりもずっとたくさん頭をぶつけ、転落死し、川に落ちて死んだ。労働者にとってはこれ以上労働を続けられない自然の恩恵となり、現代では床についてからの寝るまでの時間は平均して10分から15分だが300年前は対象者はベッドへ入ってから2時間は目をさましていた。何をしていたのかといえば、床に同衾者(それは配偶者とも限らない)と共に入り、話をするのである。

かつての人々は早くに床につかなければならなかったので分割睡眠をとっていたことが数々の記録からわかっている。眠りを呼称するときに「第一の眠り」と「第二の眠り」と区別をつけていることからそれがわかる。もちろん数時間もの時間を起きているわけではなかったようだが、第一の眠りの後するのは人によっては小便だけであったり、飲み物を呑んだり、蝋燭が燃えるまで勉強をして夜明け前にベッドに戻ったりした。それは同時に、悪魔がやってくる時間であり、魔術を行う時間でもある。

明かりがない時代。そこはいつだって電気をつけて昼間とほとんど同じ情景を現出させられる我々の時代とはまったく異なっている。常識も、状況も。分割睡眠は照明の発展とそれにより就寝時刻が遅くなったことに伴い一般的ではなくなっていった。現代とはまったく違う「世界の歴史」として明かされていくさまざまなエピソードはどれも魅力的で強く惹きつけられる。

何よりもそれは「もはや我々の世界からは失われてしまったものだからこそ」の郷愁が含まれていることが大きいのではないかと思う。『失われた夜の歴史』とは素晴らしい書名だ。暗く、明かりのない生活は、いまや過ぎ去ってもう二度と戻ってくることのないものなのだから。*1 ちなみに、中世ヨーロッパの人たちがどのように過ごしていたのかを丁寧に膨大な一次資料(市井の人たちの日記など)から拾っているので、中世ぽいファンタジーを書く人とかは必読だと思う。

本書の構成

本書は夜の歴史についての網羅的な書物であるが(500ページ近くある)、主に4部にわかかれている。以下1部ずつ、簡単にではあるが紹介していこう

第1部「死の影」

ここで描かれていくのはさまざまな危険だ。一つには当然、暗闇を移動することの危険。川に近づかなくとも井戸はあるから、溺死、転落死は頻発する。悪魔や信仰が今よりもずっと強い時代のことだから、悪魔や妖精の仕業と転嫁されることも多かった。だがもっとも危険なのはなんといっても人間だ。犯罪者たちは闇を頼りにして犯罪が横行した。道端で襲いかかるぐらいなら「出歩かなければいい」はずだが、家の中であっても人の顔の見分けがつかないから平然と家の中にまで押し入ってくる。

ここのエピソードが面白いのは、今では考えられないほど「夜」が怖いものだということだ。夜出歩くのは「死んでもおかしくない」行為であり、押し込み強盗団は時としてピッキングなんていうちゃちなものではなく攻城兵器の一つである破戒槌でドアをぶちやぶって中の人間をぶっ殺して獲物をかっさらっていった。

 一方、ヨーロッパ大陸では、数百人を擁する大強盗団もあった。「火を焚く人」の名で知られたフランスの強盗団は、犠牲者を火責めにすることで悪名高かった。孤立した村全体が襲われることさえあった。田舎では、距離が暗闇に劣らず強盗たちの逃走を助けたのだ。ある研究者は、「そんなところで、助けて! 人殺し! と叫んでも何の役にも立たなかった。助けが来る前に、一〇回も殺人を犯すことができただろう」と書いている。

第2部「自然界の法則」

多くの人は戸締まりをきちっとして、夜は極力出歩かないようにしていたがそうはいっても敵は押し入ってくる。であればこそ余力がある街は夜警を置いていたようだ。自警団たちは一晩をかけて歩きまわり、不審な人物を尋問したり、戸締まりのなっていない住人を叩き起こして戸締まりをするように注意したりした。当時の住人の日記から「夜警がうるさくて眠れねえ」と文句が大量に残っていることがわかっている。

何より夜なんていう不吉の象徴みたいな時間をわざわざ歩きまわるのはろくでなしかはぶかれている年寄り、犯罪者じみたやつらしかいないように思われておりその社会的な地位も賃金もとても低いものだったという。たいてい酒を飲んでおり、あるロンドン市民は「通りを荒らし回り」「毎晩、町を我が物顔で跋扈」する「地獄の軍団」とまでいっている。

第3部「闇に包まれた領域」

それでは夜は人々にとってはただただ犯罪が跋扈し夜警が家をガンガン叩きまわる最悪な時間帯なのかといえばそうでもない。『実際問題として、人々が昼にしばしば身に着ける見かけの代わりに、夜は天然の仮面を与えてくれた。』『夜の無限の広がりは、一部の人々にとって、明白な主体感を与えるものだった。「夜にはすべてが私のものだ」とレティフ・ド・ラ・ブルトンヌは宣言している。』さらには、それは日常生活の世俗的な要求から隔離する効果ももたらした。

たとえば、長い夜の歴史において暗さは物語を語るために利用されてきた。暗さは話し手の語りの才能をひきたて、暗くても声さえ聞ければいい、むしろ声以外は聞き取れないことが観客の集中力を高めた。『音というものは、さまざまな人々からなる聴衆を一人にする力を持つ。音は無視することが難しいだけでなく、人々を文字通りにも比喩的にも、互いにいっそう寄り添わせることで、結束を促すのである。』

もちろん恋人同士のロマンティックな関係が繁茂する時間帯でもある。キリスト教会の教えが行き渡っている時代だ。公の場でのキスさえも罪深いとみなされ、女性がその気になっても昼間は安全な隠れ場所は否かでさえもほとんどなかった。『夜は「恋愛に、昼が与えない自由な時間を与え」ただけでなく、暗闇が恋人たちに天然の隠れ場所を提供したのである。』

第4部「私的な世界」

最後となる第4部は、社交でも公的でもなく人々が夜をどのように過ごしていたのかの記録だ。蝋燭をともしてばかりいるわけにもいかず、どちらにせよ早く床につかなければいけない彼らは先に書いたとおり、今では信じられない程の長時間(だいたい2時間だという)をベッドの中で同衾者と共に過ごしていた。

その時間は同衾者と過ごす親密な時間になるわけだが、当時の慣習として裕福な人間であっても家から離れると時には他人とベッドと共にしたのだという。同衾者にはおやすみの挨拶をすることが礼儀であり、相手の寝具を全部引っ張ってしまうのは悪い同衾者であるというような同衾心得みたいなものまであったそうだ。エロい気分になるのでは? と思ったが、やっぱりなるみたいだ。

 暗闇で隣り合って横になるベッド仲間は、社会的道徳観を進んで破ることがわかっている。同じベッドに追いやられる男の召使は、同性愛関係に陥る恐れがある。同じように、狭い家の中で、男女の召使がベッドを同じくした結果、私生児が生まれることもしばしばあった。ベッドを共用することは、主人と召使の関係を変えることすらあった。

おわりに

著者のロジャー・イーカーチはほとんどライフワークとして、二十年間にもわたって本書を書き続けてきた。本書は、その熱量が全篇すみずみまで行き渡った一冊だ。どの1ページを切り取ってみても魅力的なエピソードに満ち溢れ、それは夜明かりを求めて塔に登り月を頼りにして本を読む少年のように幻想的な、今ではもう見ることのできない景色を提供してくれる。

夜はもう失われてしまったのだから、本書の価値が時代の変遷によって「減る」ことはないだろう。

*1:原題は At Day's Close: Night in Times Past。あと、文明が破壊されたら普通にかつての夜は戻ってきます⇛セルフツッコミ