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文明がもたらした危機──『人体600万年史:科学が明かす進化・健康・疾病』

人体600万年史(上):科学が明かす進化・健康・疾病

人体600万年史(上):科学が明かす進化・健康・疾病

人体600万年史(下):科学が明かす進化・健康・疾病

人体600万年史(下):科学が明かす進化・健康・疾病

読み始める前はちょっと疑っていたんだけど、丹念に人体の歴史と文明の発展をおい、それが我々の身体にどのような利益と危険をもたらしたのかを解説してくれる良書だ。本書は、人体がたどってきた歴史を「なぜ立ち上がったのか」「そもそも最初の人類は何か」「何がネアンデルタール絶滅させ、ホモ・サピエンスを生きながらえさせたのか」を根本的に解き明かし、人体がたどってきた歴史が現在の文化とミスマッチを起こして病を発生させていると論じる「進化と健康」の本なのだ。

何しろ、人間の身体自体は狩猟採集をしていた時から対して変化をしていないので、椅子に座ってばかりいる、炭水化物ばかりとっている、加工されたやわらかいものばかり食べてろくに運動しないなんていう生活が身体にあっているわけない。データを元に現代に発生している肥満や腰痛、痔といった「そうだよねえ」というものから禁止、強迫性障害、うつ病、クローン病、虫歯にアレルギーなどといったものは、文明と人体とのミスマッチの結果だとする理屈は実に説得力がある。

疑っていたのは、これが行き過ぎているのではないかというのが心配だったからだ。アメリカではこうした考えは今ブームになっていて、一万年以上前に生きていた原始人のライフスタイルを真似ようとすることを「パレオ式」といってもてはやしている。これは行き過ぎている例もあるみたいで、たとえば「原始時代にはなかったものは食べない」とか「牛乳は飲まない!」とか「原始人は一日15キロ歩いてたから我々も歩くべきだ」とか「それ……やりすぎちゃう?」みたいなものもある。

パレオ・ファンタジー(原題)といって、そうした行き過ぎた原始時代回帰への批判の書も出ているぐらいだ。邦題は変えられてしまっているけれど下記参照。huyukiitoichi.hatenadiary.jp
そういう流れにのっかって現代人の生活をくさし、原始時代回帰を不必要に訴える本だったら嫌だなと思っていたのだが、杞憂である。著者ダニエル・E・リーバーマンは本職の人類進化生物学教授できちんと「進化的にどんな部分が文明との摩擦になって、どんな悪影響が科学的に認められているのか」「それに対して、我々はどうすればいいのか」を懇切丁寧に解説していってくれる。

農業がもたらすミスマッチ病

火を使う、道具を作りあげると人類は文化的に様々な革命を成し遂げてきたが、氷河期の後進化した農業は人類をそれまでの狩猟採集生活から種族をまるごと作り変えたような転換をもたらした。それまで肉を主食として転々としながら生活していたのに、突如居住地を設け移動せずによくなり、まかなえるカロリーが増え、子供を連れ歩かなくてよくなったので大家族化・大組織化が可能になった。

いいことずくめのように思えるが、大集団になったことによって感染症を助長するようになったことなど不利益もある。感染症の原因は寄生型微生物だが、寄生虫が繁栄するには寄生先が無数になければならず、村を築くほどの大規模集団になることによって格好の餌場になってしまったのだ。定住するとゴミが貯まり、不潔さも多くの寄生虫に好ましい生態学的条件を贈呈することにもなってしまった。

産業革命以後のミスマッチ病

産業革命以後──というか現代まで時代をとばしてみると、身近なあれやこれやな習慣が様々な病気の原因になっていることが明かされていく。食物をすりつぶして、繊維を取り除いて、でんぷん質と糖分の含有量を増やした加工食品は消化しやすくおいしいが、その分血糖値が早く上がりやすい。

いかんせん人間の消化器系は、迅速な消化によって生じる血糖値の急速な上昇に十分に適応していない。膵臓が急いで充分なインスリンを産生しようとすると、その働きがしばしば行きすぎて、インスリンのレベルを上昇させてしまうため、今度は血糖値ががくんと正常以下のレベルに下がって、結局また空腹を感じるようになる。このような食品は、いわば肥満と2型糖尿病のもとなのである

圧倒的に吸収しやすい食品、かつては肉などからわずかしかとれなかった塩=それを前提とした人体だったのに、今では塩をいつでも手軽に摂取できるという文化的な変容、果物のような無加工のように見える食べ物でさえ、より甘くなるように品種改良されており本来とは程遠く肥満を促進する食物になっている。

寿命についての話

面白かったのが寿命と病気についての話で、1935年アメリカの平均寿命は男性61、女性64だったのが、今日の高齢者はそこから18年から20年長く生きるといわれている。おお、凄い伸びてるね、と思う。しかし単に寿命が伸びたわけではない。1935年当時の二大死因が肺炎とインフルエンザ感性性下剤症で、どっちも急死させる病気だったのが、今は心臓疾患とがんで数々の合併症を併発しながら病気の状態で何年も生きることのできる病気であるというように死に接する病気で変化が起きている。

寿命は伸びたが伸びたのは「不健康余命」だったといえるだろう。一方で、実は狩猟採集民は意外と健康で長生きだったことがわかっている。もちろん幼少時にかなり死ぬから平均寿命は短くなるのだが、いったん生き延びれば68〜72ぐらいまでは生きて、2型糖尿病や高血圧、乳がん喘息などといった疾患はほとんどみられないのだという。単純に結論づけられるものではないが、「長く生きてしまった」からそうした病気に犯されるのではなく、現代の文明と習慣からくる現代病の一種なのだ。

ここで重要なのは「長く生きたからそうした病気になるのは当然だ」と思う必要はなく、かといって「狩猟採集生活に戻ろう」と思う必要もないことだ。文明には当然ながら莫大な利益がある。一方で、肥満に糖尿病、近視や虫歯に腰痛と人体と文化がミスマッチを起こしている事例もいくらでもあるが、我々はそのことにあまりにも無頓着で、メガネをかけるとか整体にいくといった形で「対症療法」は行うが、原因を取り除くためのことは何もやっていないことがほとんどだ。

椅子を全部処分しろとはいわないから、スタンディングデスクをもっと一般的なものとし、一日8時間の就業時間であれば椅子とスタンディングデスクを半分半分に分ける。読書のように目を酷使し近視にさせる要因があるのであれば、禁止するのではなく時間を管理する、距離のとり方を変える。単純すぎるが、よく運動をする、食べ物を変えるなどとるべき予防的措置はいくらでもある。

完治はしないが死にもしないというゆるやかな死と共にある病気などは、多大な医療費を発生させる。アメリカでは1人の心臓疾患患者に対処するのに年間1万8000ドルが余計にかかるのだ。その為、もっと「そもそも発生しないようにする」予防措置へと思考と金を振り分ければ、より金銭的には負担が軽く、さらにはもちろん患者の負担も軽くなるだろう。「対症療法から原因排除へ」とする思考の転換は、このように国家的な医療プロジェクトにさえも影響するものだ。

「自分でまずは知ろう、なんとかしよう」と思う人にとっては、本書は格好の入門書である。なかなかね、ただ運動しようと思っても面倒だし大変で続かないものだから、まずは正しい知識からはいるのは悪く無い。