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食に存在する普遍コードを探求せよ──『ペルシア王は「天ぷら」がお好き? 味と語源でたどる食の人類史』

ペルシア王は「天ぷら」がお好き? 味と語源でたどる食の人類史

ペルシア王は「天ぷら」がお好き? 味と語源でたどる食の人類史

  • 作者: ダン・ジュラフスキー,小野木明恵
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2015/09/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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いやーこれは面白かったな。邦題だけだとペルシア王? 天ぷら? 食の人類史? と主題がわかりにくいが原題は 『THE LANGUAGE OF FOOD A LINGUIST READS THE MENU』で食べるという文化に言語における文法のような一定の法則、ルールは存在するのかといったことを全世界的にわたって追求する一冊になる。

なぜ食事の後に甘いものを食べたがるのか、なぜ結婚式で祝杯をあげるのかなどなど当たり前のように受容している食の習慣、流れには歴史的な経緯や法則が潜んでいる。たとえばアメリカのディナーの料理の順番は1.サラダ的な何か⇛2.メイン(主菜)⇛3.デザートの順番で進んでいくが、フランスではこの合間にチーズ料理が入るが概ねこの流れに沿っている。異なる言語が異なる文法を持っていながらも普遍的な法則を持ち合わせているように、「料理の文法」は存在しているのだ。

著者のダン・ジュラフスキーはスタンフォード大学で言語学、コンピュータサイエンスを教える言語学者で、その経歴も本書には存分に活かされている。計算言語学の手法を駆使して「食に関するレビューでよく使われる単語や、褒める時と否定するときにそれぞれ関係する単語は何か」を何百万件も調査し統計的に解析してみせる。

なぜ文字数が増えると料金が上がるのか

そうした統計調査は「そんな風に注目すればこんな面白い情報を解析することができるんだなあ」というところからまず面白い。たとえば、料理のメニューが最近はネットに乗っていることが多いおかげで、6500件の現代レストランのメニュー表を分析してみせるのだが、そこから多くのことがわかる。

 それから、農場や大牧場、放牧地、森、庭園、農産物直売所、伝統的な方法で飼育された豚肉、伝統品種トマトといった表現がレストランのメニューに出てくる回数を数えるソフトを作成した。レストランの価格帯は、ドル記号ひとつの安い店[$]からドル記号四つの高い店[$$$$]までに分類した。この膨大なデータセットにおいて、価格の非常に高いレストラン[$$$$]は低価格のレストランとくらべて、食品の産地に言及する回数が十五倍も多かった。産地にこだわることは、価格の高い高級なレストランであることを示す強力な指標なのだ

これぐらいだと「まあ、そらそうでしょ」ぐらいの驚きしかもたらさないかもしれないが、もちろんこれだけではない。料理の説明に長い単語を使うほど、その料理の値段は高くなる。『料理の説明に費やされる単語の平均的な長さが一文字増えると、価格が十八セント高くなる。』なんていうのは、「文字数」と「料理の価格」の一見無関係なものの間に関連性があることを示す驚きの結論だ。小説やノンフィクションの売れ行きと書名の文字数の関係性はどうなんだろう? と気になってきてしまう。

他にも、「埋草的な言葉」、つまるところ、前向きではあるが曖昧で特に何も意味していない言葉である「風味のよい」とか「かりかりの」とか「味わいのある」とか「新鮮な」は『中間価格帯のレストランにあるメニューにかなり頻繁に出現する』そうだ。なぜ中間価格帯でこうした形容詞が増えるのかといえば、高級料理店では「風味がよい」のも「新鮮」なのも、全部当たり前で、そんなことをわざわざ書かなくてはいけないのは「不安」を抱えている人々だけだからだ。

良いレビュー、悪いレビューに結びつく単語

メニューだけでも発見は数多いのだが、100万件のレビューを分析した結果も、僕が対象は本とはいえ似たようなことをやっているから特に面白かった。当たり前だが肯定的なレビューは「好き」とか「おいしい」といった肯定的な単語と結びつき、その逆もまた然りである。ここで面白いのは、”肯定的なことをいう時より、否定的なことをいう時の方が多くの単語が使われる傾向がある”ということだ。

金属的な、気が抜けた、薬品のような、胸がむかむかする、不快な、とあらゆる「いやなもの」にたとえて料理を連鎖的にこき下ろすレビューが存在する。肯定的なものは素晴らしい、完璧な、などを多くの人が頻出させ、否定的な言葉に比べて多様性は現れない。このように、否定的な意見の方が多くの種類の単語が存在することは、理由はどうあれ多言語について広く認められる普遍法則のようだ。

否定的なレビューで、形容詞ではない普通名詞をみていくと関連しているのは支配人、ウェイトレス、ウェイター、テーブル、客、分と食べ物とは無関係な「人からされた嫌なこと」が並んでいることがわかる。ようは嫌な記憶は飯がマズイというよりかは人間から害をこうむったものが残りやすいということか。関連して面白いのは否定的なレビューには「私たち」という代名詞が顕著に多く使われていること。

ペネベーカーと同僚たちは、9・11の後に感じた気持ちを語るブログや、ダイアナ皇太子妃の死について書く崇拝者たち、キャンパス内で惨事が発生した学校の学生新聞の記事などに、こうした傾向を見つけた。これらのどの場合でも、書かれた文章はレストランの酷評とよく似ている。「私たち」に支えられた連帯感を防波堤として否定的な感情から身を守り、自分の身に起こった否定的な事柄についての物語を語っているのだ。つまり否定的なレビューは、軽度のトラウマを表す言語学的なあらゆる徴候を示している。

こうやって書くとレビューは否定的な意見で溢れかえっているように思えてきてしまうが実際にはレビューの点数も、肯定的な言葉が使われる頻度も、どちらも否定側より数で優っている。これもまた言語の普遍的特性のひとつで、『語彙のなかから肯定的な言葉を選ぶ傾向があるということは、これまでに発見したなかでもっとも強い普遍的特性のひとつである』と著者にいわしめるほどだ。

食に国境はない。

言語分析の話題に寄りすぎてしまったが、「食の人類史」部分も重要だ。食が文化的に海を渡りまくって混ざり合い、「うちの伝統料理でござい」という顔をして売られているあれやこれやが実は多様な文化の末に現れた「現代の一形態にすぎない」ことがよくわかる。たとえば天ぷらの語源がポルトガル語で、ポルトガル人からもたらされた料理であることは多くの人が知っているかもしれないが、その元になったのは六世紀のペルシアで皇帝に好まれていた「シクバージ」と呼ばれる牛肉料理である。

天ぷらとしてもたらされた料理は、ユダヤ人によってイギリスへと持ち込まれフィッシュ・アンド・チップスとなって異なる変化を遂げていく。『ゾロアスター教を信仰するペルシア人によって発明され、イスラム教徒のアラブ人によって完成され、キリスト教徒によって改良され、ペルー人のモチェ料理と融合し、ポルトガル人によってアジアに、ユダヤ人によってイギリスにもたらされたのだ。』

おそらくは人種的にも混合しているだろうが、食のレベルにおいても我々は長い歴史の中で誰もが移民であって文化は混沌として混ざり合い発展してきたのだ。音楽に国境はないし医師団にも国境はないし食にも国境はないのである。