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言葉で音楽を汚さないために──『汝、コンピューターの夢 (〈八世界〉全短編1)』

汝、コンピューターの夢 (〈八世界〉全短編1) (創元SF文庫)

汝、コンピューターの夢 (〈八世界〉全短編1) (創元SF文庫)

先日ハヤカワから傑作選が出たジョン・ヴァーリイの、<八世界>シリーズに属する短篇を集めたのが本書『汝、コンピュータの夢』である。<八世界>シリーズには中短篇13が存在しているのと、全短編「1」とついていることからもわかる通り全2巻本であと一冊出る模様。短篇が発表されたのはどれも1975年付近ということで、言ってしまえば40年以上前の古い時代のものなのだが、これが実に面白い。huyukiitoichi.hatenadiary.jp

それはどのような世界なのか

簡単に「八世界」がどのような世界なのか解説しておこう。2050年に異星人によって地球は侵略され、直接的な攻撃は受けなかったものの人造物が破壊されるなどによって百億人が餓死。地球を追い出された人類は居住地を水星、金星、月、火星、タイタン、オベロン、トリトン、冥王星の8つの天体に拡散していく。それが八世界の名前の元になっているようだ。もっとも、物語ではそうした歴史はちらっとしか語られず、物語的に重要なのは「どんな技術があるのか」である。

この世界では元々各天体に移住できるぐらい技術力が高いことに加えて、<へびつかい座ホットライン>という異星のネットワークから数々の技術を手に入れていろいろできるようになっている。たとえば性別や身体が可変であることは幾つもの短篇で重要な要素になるし、身体を乗り換えられるので寿命も凄く長い。記憶のバックアップと肉体のクローン再生も可能なので、定期的にバックアップをとっていれば、その時点からの復活がいくらでも可能、事実上「本当の死」が排除された世界である。

まとまったことへの感動

傑作選の方にも<八世界>シリーズの短篇は2作入っていて、そのうちの1作が表題作にもなっている『逆行の夏』だ。傑作選6篇のうちの2篇だから、「面白いなあ」と思いながら読んでも<八世界>シリーズならではのなにか、みたいなものはあまり感じることはなかった。世界の広がりがそこまでよくわからないというか。ヴァーリイは共通した世界の短篇だからといって、あまりその世界の歴史や技術的な展開にはふれず、あくまでもその世界に住んでいる人々の感情に連結するような形で物語を展開させていくから、世界そのものへの興味はあまり湧いてこなかったのだ。

それがこうしてまとめて一度に読んでみると、まったく異なった様相を示すそれぞれの短篇から断片的にこの<八世界>がどのような世界なのかが浮き上がってきて、一人一人の登場人物の感情に寄り添っていくうちに技術がどのように浸透・拡散・展開しているのかがわかってくる。「ブラックホール通過」はブラックホールが直撃しそうになった一人の男の状況を描いたサバイバルSFだし、「汝、コンピュータの夢」はコンピュータの中に閉じ込められ出られなくなった男の仮想現実短篇だ。

死は遠くなり太陽系のあちこちに点在するようになった人類とはいえ、部分的な死や冒険はまだまだ残っている。人間と人間の間の諍いは耐えないし、セックスはいまだに重要な体験である。それが技術によってさらに「自由に」変容した世界で、実に刺激的かつ濃密なSF体験につながっていくのだ。以下簡単にではあるが、(逆行の夏は既に書いたので除いて)各短篇を紹介していこう。

ピクニック・オン・ニアサイド

ほとんど誰も寄り付かない月の「おもて側」へ親への反発から出かけていく一人の少年の話。同行するのは少女ではあるが、つい最近まで男だった友人のハロウだ。性別が自由に、わりとお手軽に変換できるこの社会で、時には二人は男同士の友人であり、男女のカップルであり、逆転したカップルでもありえる。その現代ではありえない微妙なやりとりと関係性の在り方がただひたすらに楽しい。

また、「おもて側」で彼らは社会から隔絶して性転換などの技術へ否定的な意見を持つ「古い時代の」価値観を有すじいさんと出会い、やりとりを交わすうちにだんだんと親しくなって、月のおもて側での生活に順応していくことになる。未来世界ならではの設定ではあるが、新しい人間社会を恐れ、世捨て人になった老人と若い世代の恐る恐るの交流はいつの時代にも存在する普遍的な事象でもある。

ブラックホール通過

<へびつかい座ホットライン>と呼称される異星人からの通信を傍受し、大多数のゴミ情報から局所重力制御や巨大分子操作などの重要技術に関するものを選り分ける仕事についている男ジョーダン・ムーンが主人公。広大な宇宙にたったひとり、ステーションで情報を選り分け続け、自殺をする手段を探すほど追い詰められている。そんな彼のもとに危険なほど近くをブラックホールが通過する知らせが届いて──。

ブラックホールにめちゃくちゃにされることの恐怖もさることながら、5億キロ以内に同じ業務に属している一人以外は誰もいない宇宙の圧倒的な孤独感と、その一人とホログラム越しにエロティックな会話をしながら「いつか、じかに身体を重ねあわせてセックスがしたいね」というようにだれとも触れ合えないことへの強烈な飢餓の描写が面白い短篇だ。身体的な感覚が描写されることの多いヴァーリイだが、今回は「触れ合えないことの飢餓」が主題になっているのだといえるだろう。

鉢の底

金星を舞台にした短篇。町中には大勢の人がいるように見えるが、ほとんどホログラムの投影で実際にいる人は極僅かであるというのがなんだか悲哀を誘う。題名の「鉢の底」とは、濃い大気による光の屈折によって金星での見え方が「一千キロもの直径がある針の底に立っている」ようにみえるため。かなり刺激的な光景だ。

カンザスの幽霊

この世界ではバックアップ意識をクローンの身体に入れて何度でも生き返ることができるのだが、「最後のレコーディング以後、三回生き返った=三回何者かに殺された」人間の物語という筋書きからして「おお!」と思わせる短篇。分割された死を体験しながら「いったい自分を何度も何度も殺してくる相手は何者なのか……」を探り、断片化された人生を生きることを自身に問いかけていく。

汝、コンピュータの夢

心理士からの勧めでケニヤ・ディズニーランドと呼ばれるバーチャル・リアリティで別の動物(今回はライオン)になってライオン社会でリフレッシュしてたら事故ってしまい、元の身体へ戻れなくなって──長い長いコンピュータ内で、現実をそっくりそのままトレースしたバーチャルリアリティ生活が始まることになってしまう。

考えてみてください。今日以前だって、あなたの見ている世界が統合失調症の妄想の産物じゃないって、どうやって確かめられました? わたしのいってることがおわかりですか? "現実とはなにか?"という質問は、つまるところ解答不能です。わたしたちはみな、どこかの時点で目に見えるものや聞かされるものを受け入れるしかないのです。

「意識は高度に現実を模倣したシュミレーションと現実との違いを意識できない」という状況の提起はSFでは今となってはお馴染みの主題となっており、真新しさはない。ないけど、なんか面白いんだよね(説明の放棄)。

実に真っ当な未来予測

ヴァーリイは傑作選の方もそうだが、その表現の根底には「感覚的にしか捉えようがないものを、言葉で表現する」試みが通底しているように思う。セックスや身体感覚が常に俎上に載るのが一つあるのと、本短篇集では「歌えや踊れ」が、身体の運用を音楽に変換する技術を用いながら、言葉で音楽を語ることの無粋さを物語っている『これ以上、言葉で音楽を汚さないように』

同時に身体的なコミュニケーションの渇望も描かれていくが、これらは実にまっとうな未来予測だともいえる。広い宇宙に出て行った時、人々の身体的接触はこうして狭い地球に押し込まれた時以上に減るだろう。死から逃れられた人々がそれでもなお分割された死(バックアップしたところからやりなおせるといっても、バックアップ以後の存在は消滅する)からは逃れられないように、その恐怖の本質部分が変わらないのだとする表現の数々が、実に「ありそう」に思える。

40年以上前の作品でありながらもまったく古びていないのはそうした未来への眼差しが当時と今とで一貫して「正しい」からなのだろう。ここに描かれている未来の恐怖も、感動も、情感も、すべては今の視点にシームレスに繋がっている。www.webmysteries.jp
山岸真さん解説には丁寧な各短篇解説がついていて「でも読ませられないからなあ……」と思って全短篇書いたのだが、書き終えた今解説がWebに上がっているのを発見したので(創元は解説をWebに載せてくれるんだった)最後に載せておきます。