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本当のリアリティっていうのは、リアリティを超えたものなんです──『MONKEY Vol.7 ◆ 古典復活』

MONKEY Vol.7 ◆ 古典復活

MONKEY Vol.7 ◆ 古典復活

MONKEYのvol.7は古典復活ということで村上春樹さんと柴田元幸さんの古典文学対談や、批評家や詩人がお薦めする文学、音楽、絵画、思想、映画それぞれの古典一作などなど読み応えのある内容に仕上がっている。中でも「これは記事を書かねばなるめえ……」と思わせられたのは、村上春樹さんへの川上未映子さんによるロング・インタビューでここの内容が個人的にとても「それだ」と深く納得するものだった。

思いもよらないことが起こって、思いもよらない人が、思いもよらないかたちで死んでいく

もちろん、その対談の内容は多岐にわたって、文体のリズムについて、人称の変化について、比喩についてなどいわば『職業としての小説家』のつづきのような内容をいろいろに語っている。だから、その全てについてここで触れるわけではなく、一点「リアリティ」についての話だけ取り上げようと思う。

このインタビューでリアリティの話題が取り上げられるのは、村上春樹作品に共通して存在している「ふっと現実から離れていく瞬間」についての質問からだ。村上春樹作品では現実的に考えたらありえないようなことが結構起こる。世界が二つあったり、月が二つあったり、リトルプープルだとか、羊男とかいう意味のよくわからないものが突然出てきたり、現実の存在なのか非現実の存在なのか戸惑うような要素が。

それに対して川上未映子さんは実作者らしく「死にしっぽを掴まれた男を書こうとするときに、たぶんもっと、誰に突っ込まれてもまずくならないように、医学的に確実に死なすというか(笑)、そういうことを気にしてしまう。」と応答していて、「それはまあ確かにそうだよなあ」と思いながら読んでいた。でも、そんなところを軽々と飛び越えていくのが村上春樹作品なのだと。村上春樹作品は肌に合わないという人も大勢いるが、そのうちのいくらかはそうした非現実的な要素が受け入れられないのだと思う(幾人かからそういう話を聞いた、ぐらいだけれども)。

それに対して村上春樹さんの応答はシンプルで、『でもそうすると、話がつまらない。(中略)リズムが死んじゃうんだよね。僕がいつも言うことだけど、優れたパーカッショニストは、一番大事な音は叩かない。それはすごく大事なことです。』とばっさりいってしまう。パーカッショニストの部分はよくわからないが、あまり現実的な事柄にこだわりすぎると話がつまらなくなるというのは、もちろん現実的な事柄にこだわらないことによって話が面白くなる場合には真実なのだろう。

個人的に特にぐっと来たのは、そのすぐ後の応答だ。先日、僕は本書を読む前に『1Q84』の牛河というキャラクタが、有能であり地道に仕事を進めてきた醜い男だったのに、ほんのわずかなボタンの掛け違いによってむごたらしく、虚しく、ゴミのように殺されてしまう、だからこそ好きなのだと下記のように書いた。huyukiitoichi.hatenadiary.jp
『有能な男であっても、完璧ではない。彼の他に有能な人間もいる。微妙なボタンの掛け違いが重なって、呆気無くゴミのように死んでいくのだと。「なぜ、おれが」という一瞬の驚き。人間、死ぬときはそんなもんだよなと思う。思いもがけない存在に遭遇し、わけもわからず情報をはかされ、苦しみながら死んでいく。』

村上 思いもよらないことが起こって、思いもよらない人が、思いもよらないかたちで死んでいく。僕が一番言いたいのはそういうことなんじゃないかな。本当のリアリティっていうのは、リアリティを超えたものなんです。事実をリアルに書いただけでは、本当のリアリティにはならない。もう一段差し込みのあるリアリティににしなくちゃいけない。それがフィクションです。

よく現実は小説なり奇なりというが、それはあまりにへんてこなことを小説で書くと「リアリティがない」などといって批判されるが、割合現実ではそうした「リアリティがない」と言われそうなことが頻発するからでもある。いったいだれが飛行機がワールドトレードセンターに突っ込んであっという間に倒壊すると予測しえただろう。あの現象にはリアリティがなかったが、かといって起こってしまったのだから多くの人は「こんなのは嘘っぱちだ」とはいわない(いう人はいる)。

だからここでいっているのは、単に「現実ではなさそうなことを書け」ということではなくて、「思いもよらないことが起こって、思いもよらない人が、思いもよらないかたちで死んでいく。」それこそが現実の一形態なのだとして、いかにして「自然に納得させられる形で書くのか」ということになるのだろう。

どのような書き方がそれを達成するのかといえば、一応説明を試みているが、技術的なレベルで伝えられることではなさそうだ(あるいは対談というフィールドでは伝えられる情報じゃないか)。

村上 フィクショナルなリアリティじゃないです。あえて言うなら、より生き生きとパラフレーズされたリアリティというのかな。リアリティの肝を抜き出して、新しい身体に移し替える。生きたままの新鮮な肝を抜き出すことが大事なんです。小説家というのは、そういう意味では外科医と同じです。手早く的確に、ものごとを処理しなくちゃなりません。ぐずぐずしていると、リアリティが死んでしまう。

『職業としての小説家』も面白い本だったが、このインタビューも「つづき」として十分以上に楽しませてもらった。カズオ・イシグロさんと訳者である土屋さんと柴田さんの対談も収録されており全体的に読み応え抜群の満足度の高い一冊である。

職業としての小説家 (Switch library)

職業としての小説家 (Switch library)