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印刷が変えた人々の日常──『印刷という革命:ルネサンスの本と日常生活』

印刷という革命:ルネサンスの本と日常生活

印刷という革命:ルネサンスの本と日常生活

主に15、16世紀を舞台に人々の生活をいかにして印刷が変えていったのかを丁寧に600ページ近くかけておったのが本書『印刷という革命』である。お値段5000円をゆうに超えており趣味で買って読む人はたぶんほとんどいないんじゃないかとも思うが、まあ図書館もあるし。数百年の単位で着々と変化を経て、その時々で人々がどのような判断をして、どのように適応していくのかを知るには最適な一冊だ。

抜本的な技術革新というのは起こった瞬間に何もかもが一変するのではなく、だんだんとそれが浸透・拡散していくものだ。技術革新が起こるたびにそれが受け入れられて、新しいやり方を構築するまでに数十、数百年の時間がかかるのは当たり前なんだよなあと思う。印刷的な革命が起こっているのはだんだんと電子媒体の書籍が出されつつある現代も同じだからこそ、当時の人々が変化の中で考え、生き延びるために実行してきたことはそのまま現代へとスライドさせても通じる部分も多い。

たとえば、活版印刷技術以前は、相手の顔が見えている状態で一冊一冊手で写してよけばよかった。そこで、「大量に印刷できるぞー」と調子にのって刷りまくった時に何が起こったのかといえば、「大量の書物を消費する読者はどこ?」という問題に直面するのである。学術コミュニティなど小規模で、一般読者なんてものはそもそも存在していない。いったい、誰が買ってくれるのか? どんな本を、人々は必要としているのか? これまでのやり方とは全く異なるやり方を構築し無くてはならない。

技術が生まれたばかりの頃だから、革新的な要素を盛り込みたい印刷業者の願いもある。ある一つの版を売り切るために、長い間在庫をかかえこむ、何部すれば売り切れるのかといった計算、すべてがそれまでは存在しなかった課題で、15世紀末の30年間に多くの出版者が破産したのはこうした未知の状況に対応できなかったからだ。新しい変化に必ず反対者がいるように、大量印刷についても「粗悪な書物の洪水が道徳を崩壊させている」と反論を重ねる人が出てくるなど、なかなか簡単にはいかない。

多くの破産者を出しながら、次第に時代の要請を把握し、流通のシステムや部数の予測ロジックを打ち立てていく過程はなかなかスリリングだ。当時の問題を大雑把にまとめてしまうと、何を印刷するのか、何部印刷するのか、誰のために出版するのかという物と相手。それから、それをどうやって読者に届けるのか、どうやって支払いを得るのかという手続き・流通上の問題に大きくわかれている。

当時売れたのは時代の知識人から手放しで賞賛されるようなものではなく、キケロやセネカなどの古代ローマの偉大な作家たちの作品や、ニュース記事や論争、似非まみれの医学小冊子、宗教施設の祈祷書など古典中の古典から後世に残りそうもないゴミのような本が多かったのだという。博打みたいなものなのだから「安定して売れる本を売ろう」と誰もが思うのも無理ないことである。だがその結果起こったのは同じ著作ばかりが大量に史上にあふれかえる危機だ。1503年に既に、聖職者相手の書籍市場における過剰供給は危険なレベルに達している、という警告が出ているぐらい。

博打を打っても博打を打たなくても大変な出版者側だが、本を書くほうもまた同様に大変である。文筆業で食べていくのは相当に困難で、生活はパトロン次第で気まぐれな寵愛に翻弄される運命にある。著者はパトロンと出版業者の二つを相手にコミュニケートをとらないといけない上に、個人では出版が不可能であるという立場から分担金などの供出はかなり高額なものを求められ出版するだけで破産するような額を出して回収もままならないことが多かったのだという。

少しでもたくさんの本を売って名声を得ようと自著をあちこちに謹呈しまくったり、高い金を払って全く売れない作家たちの姿は悲哀を誘う……と思ったけれども献本という制度は今でも当たり前に残っているわけだし、特に状況的に変わっているわけではないか。当時は本を送って、見返りを期待しておりますと何のためらいもなく言ってのけ、その上誰からいくら返礼にもらったかを書きとめてそれを出版した猛者もいたという。いまだったら炎上不可避だが当時はわりと受け入れられていたみたいだ。

だが、そんな身を投げるかのような人々のおかげで印刷本は踏み入れたことのなかった領域に踏み込んでいき、ニュース記事や論争、ポピュラー・サイエンス、医学に思想と様々な分野を開拓するに至った。パトロン制度もうまくいく人はうまくいって、また新たな道を切り開く。新手の市場からは、それまで本とは無縁だった大衆が読者として、時には著者として参入してきて、世界は多様に広がっていく。

医療などでは保守的で古典的(だが間違いまくっている)な医学本が重宝されていたクローズドな世界だったが、『出版物を通じて、時流に乗り遅れた者や異端思想の持ち主、あるいは医学のトレーニングをまったく受けていない人々までもが、直接読者に語りかけることができた』ように、いわば今のインターネットで起こっているようなのと同じ流れが出てきていたのだといえるだろう。もっとも、医学市場はふくらみはしたものの、人々の生活を改善したり生存率を高めたり刷るのにはほとんど役に立たなかったという悲しい事実があるのだが。

印刷革命を扱った本は本書以外にも『グーテンベルクの銀河系』や『印刷革命』など代表的なものだけでも幾つかある。ただ、両者ともに数十年前の本であるのと、本書の特徴は「ビラ」や「チラシ」、平凡で小型で、読んだら捨てられるような書物を研究にとりこんでいるところにある。普通は残らない平凡な書物の膨大なリストを近年はオンライン検索で拾ってこれるようになったからこその発展でもある。

そうしたクズ本は16世紀に台頭した新世代の読書人の思考世界を見せてくれるだけに限らず、破産を免れた当時の出版者は、一枚刷りの布告や個々の宗教施設のための小型の祈祷書の出版依頼で入金と資産の流動性を確保でき、さらに野心的な企画を立ち上げることが可能になった背景もみえてくる。クズ本あってこその当時の読者であり、出版者であったといえるのだろう。

当時の宗教と印刷の関係、科学や経済、技術発展に印刷革命が与えた影響など、何しろ600ページ近い大著なので多様な論点が内包されている。文化史本として面白いが、当時の出版が抱える問題も今の電子書籍などが抱えている問題はどちらも「新しいやり方を構築する必要がある」という点で共通しているところも多く、参考になる面があるようにも思う。