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これはひどい──『動くものはすべて殺せ――アメリカ兵はベトナムで何をしたか』

動くものはすべて殺せ――アメリカ兵はベトナムで何をしたか

動くものはすべて殺せ――アメリカ兵はベトナムで何をしたか

これはひどいとしか言いようがない。

本書はアメリカ兵によるベトナムでの残虐な行いを軍による調査資料と、現地の人々や帰還兵へのインタビューから炙りだした一冊である。もちろん人が殺し合う戦争という極限状況において強姦や無意味な殺戮、拷問といったことが起こることは仕方がないとは言わないまでも「そういうこともあるだろう」と納得する部分もある。

あるが、本書の面白さはそのようなある種の前提を悠々と超えて「これはひどい」と思わせる点にある。その上、ベトナム戦争で行われていた残虐行為がこれまではほとんど表沙汰にならなかったのも「これはひどい」と思わせるものだ。『ベトナム戦争が勃発して以来、この扮装をテーマとするノンフィクション作品は三万点以上出版されただろうが、米軍の残虐行為を扱った本はほんのひと握りしかない。』

これまで、告発がなかったわけではない。しかしその多くは、情報が断片的なものであったり、そもそもベトナム戦争が終わった直後では各所が警戒していたのか、なかったことのようにして無視されてしまっている。しかし軍で行われた各種戦争犯罪の捜査記録が注目を集めないまま国立公文書館に残っており、著者のニック・タースはその資料を元に誰もこれまでやってこなかった「公文書を元にした包括的なベトナム戦争における残虐行為告発の書」を記したのである。

文書だけではなく、ベトナム各地を回って話を聞き、帰還兵へのインタビューを重ね明らかにされる残虐な戦争犯罪のエピソード一つ一つがショッキングでこれだけでも相当面白い。一方で、「単なる残虐エピソード集なのかな」と思いきや、当時の米軍で行き渡っていた「民間人を一人でも多く殺したほうが良しとされるシステム」の存在など、人間の本性を悪とするものではなく、システムや思い込み、諸々の状況が人間を想像を絶するような行為に駆り立てる背景を暴いていく。

 ミライ集落の虐殺が背筋の凍りつくような恐ろしい事件であったことは否定できない。一九六八年三月十五日の夜、アメリカル師団[第二三歩兵師団]第二〇歩兵連隊第一大隊C中隊のメンバーは、"ピンクヴィル"と名づけられた地域で翌日実行されることになっていた作戦について、指揮官のアーネスト・メディナ大尉から説明を受けた。隊員のハリー・スタンリーは「「村の何もかも」を殺せと命じられた」と振り返る。歩兵のサルヴァトーレ・ラマルティナの記憶はわずかにちがっていて、「息をしているものはすべて殺せ」と言われたのだという。前進射弾観測員のジェイムズ・フリンは、ある兵士が口にした質問をいまもよく覚えている。彼は「女性や子供も殺すのですか」ときいたのだ。するとメディアはこう答えた。「動くものはすべて殺せ」

上記はベトナムで行われたアメリカ軍による虐殺のうち、告発が行われ世に広く知れ渡った「もっとも有名」なもの。これは最終的にカリーというただ一人の男に責任がおしつけられ、彼には終身刑を宣告されたものの40ヶ月間、しかもほぼ全て自宅で過ごした後に仮釈放された。たった一人しか責任が問われなかったものだから、「カリー中尉がおかしくなって大勢の人を殺したんだろう?」という認識が広まって、「広く当たり前に行われていた虐殺」の姿が見えにくくなってしまったのだ。

実際には「女性や子供も殺す」殺戮がミライ集落以外のいたるところで行われている。民家の中に手榴弾を一個一個放り投げて虐殺する、集めて並べて射殺する、強姦輪姦なんでもござれ。場合によっては民間人しか存在しない村をまるごと焼き払ってそのまま去っていく。交戦可否を決定する交戦規定もひどくあいまいで、「走っていたから」「逃げたから」という理由で民間人を次々と殺していく。それは度々発覚しながらも、ほとんどの場合はお咎めなしか軽い罰によって見逃されてきた。

苦難を生むシステム

もちろんアメリカ兵達が「生まれ持っての悪」だったというわけでもない。様々な状況が彼らに女子供まで含めて民間人を殺すよう要請する。たとえば、ゲリラ戦が本格化してくると「女や小さな子供でも的かもしれず、手榴弾を投げてきたり爆発物を体にくくりつけているかもしれない」という疑心暗鬼が軍に蔓延していた。

何よりも根本的に民間人の殺傷へのインセンティブとなっていたのは、統計思考の戦争運営者たちが戦場で勝利を様々な指標から「導き出す」システムによってだった。『この統計思考の戦争運営者たちが何より重点を置いたのは、"転換点"に到達することだった。つまり、米軍がどんどん敵を殺していけば、いつかは敵の兵員補給能力が追いつかなくなる。その瞬間を待て、というわけだ。』

敵の攻撃、コミュニティの安全状況の査定、活動率のグラフなどが分析されたが重要視されたのは"死体数(ボディカウント)"だった。ようはまあ、殺せば殺すだけ相手は弱っていくのだからという単純なものなのだろう。営業ノルマのごとく各部隊指揮官には「殺害ノルマ」が課され、士官らは敵の殺害数を上げる事にやっきになり、一兵卒も休暇やビールなど特別配給の権利が殺害数と連動して与えられた結果、兵士でもなんでもない民間人が「ベトコン」として殺害数に上げられる環境が整っていく。

「まさかそんな」と思うが、この殺害圧力は相当高く、士官に与えられるプレッシャーは相当なものだったようだ。その上多くの兵卒は何がなんだかよくわからないままにベトナムに送り込まれた19や20の小僧であり、状況に流されるまま地獄が現出することになる。とはいえ、あまりに民間人を殺しすぎてもさすがに咎められてしまう。なのでとりあえずほぼ皆殺しに近い形で殺しておきながら、過小に報告するというもはや何がなんだかよくわからない小細工まで行われるようになる。

殺害数が報酬に直結しないシステムであれば、ここまでの民間人虐殺は起きなかっただろう。しかし実際には殺害数を上げることは大いに奨励され、民間人だろうがなんだろうが(それがあまりにも多すぎる場合以外は)特に関知されず虐殺へのインセンティブは高まるばかりであった。そこには当然、絶対にそうした活動に参加しない高潔な人もいたのだろう。だが、それは多数派ではなかった。

人間は本性が悪か善かとは無関係に、その時置かれている状況、どのように行動するのが得であるかとするシステムに行動を大きく左右されてしまうものなのだろう。その当のシステムを作った側も、何らかの集団的病理に罹患していたのかもしれない。

この記事では触れられなかったが、戦争犯罪がいかにはぐらかされていったのかの過程、戦争終結に向かいつつある中でなお行われる残虐行為などなどアメリカ兵の残虐行為に焦点をおいた「これこそがベトナム戦争のリアル」とでもいうべき内容の本に仕上がっている。戦争状況の異常な心理状態などなど、「ベトナム戦争本」という枠を超えて読みどころの多い本だ。