- 作者: 峠恵子
- 出版社/メーカー: 山と溪谷社
- 発売日: 2015/09/18
- メディア: Kindle版
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この本はその中の一人、出版社勤務の塩田さんが持ってきた本なのだけれども、まったく常識ではかることのできないクレイジーな本(というか体験談というか)で、紹介が始まるやいなやあっという間に話題をさらっていってしまった。その後、何人も読んだようでHONZでも大プッシュ祭りが展開されている。honz.jp
そもそもどんな本なのかといえば、元々シンガーソングライターであある峠恵子さんの冒険体験記だ。これがなんというか……しょっぱな、冒頭、そもそも冒険に出かけようという動機と行動力からして常人とはかけはなれている。
これまで家族・友人などすべてを満たされ、「苦労を知らない」ことをマズイと思った峠恵子さんは、「ヨットで太平洋を渡り、ニューギニア島を目指し、それからゴムボートでニューギニア島の大河・マンベラモを遡上、オセアニア最高峰カルステンツ・ピラミッド(4884m)北壁の新ルートを世界で初めてロッククライミングで開拓する」冒険隊に応募してしまうのだ。当然これまで苦労をしらないというぐらいだから、本格的な探検、ましてやロッククライミングをやったこともない。
私はいったい、なんのために生まれてきたんだ? 映画や小説などによくあるような、困難を乗り越えた者のたくましさ、彼らだけに与えられた崇高な強さ、美しさ。私は、そういったものを持つ人間のひとりになりたくてたまらなかった。
その時彼女は30代の初めである。なんとなくその気持ち、わからないでもない。だがそれにしたって自尊心の満たし方は他にありそうなものだ。ボランティアでもなんでもいいではないか、とは思うのだが、そんな常識をすっ飛ばして探検隊に応募し、歴戦の勇士である隊長(彼も飛び抜けてクレイジーな男である)と面接し、普通そんな素人、それも女性を連れていくかと思うのだが連れていくことを決定してしまう。
さて、では行くかと最初はヨットで太平洋を渡るわけだが、この時点で既に死にかけている。転覆寸前、激しい船酔い。女性であるにも関わらずゲロが吐きそうな状況でおしっこをするために2リットルのペットボトルに貯めていく様子、どうやればうまく貯められるのかを赤裸々に書いていく。想像するに悲惨という他ないが、本人はその詳細な手順を特に恥ずかしがるわけでもなく淡々と描写していく。
オールボケ
本書では起こることの一つ一つがとんでもなくクレイジーなのだが、それを特におかしなことではない、当たり前のことだというふうにさらっと記述していくので、読者側で「おいおい! どうなってんだよ!」とツッコミを入れなくては話が進まないのだ。たとえば、これは後にカルステンツに挑むぞという時の話だが、そもそも入域が禁止されていて挑む以前の問題である。しかし彼女たちはどうしても行きたい。
しかし、私たちはどうしても挑みたかった。たとえ、入域は禁止されていたとしても、である。私たちには、いろいろな情報が集まってきた。それらの情報を徹底的に吟味した末、私たちは警察官の目の届かないところまでヘリコプターで入り強行突破するという計画を立てた。しかし、この計画を実行するには軍のヘリをチャーターするしかないかと思われた。
「いやいやいやいやいやおかしいでしょ! 明らかに危ないでしょ! そんな計画立てちゃダメでしょ!」と思うのだが、正直ここまでくるとこっちも既に感覚が麻痺しているのである。ビザの計算は間違えて当たり前のように不法入国状態、目的としていた山には許可がとれなくて入れない。本来の目的とは外れて幻の犬を探したり、まるで無関係だった山に登ったり、危険というかイレギュラーが常態化している。
特に狂ってるなと思ったのが、とある村にたどり着いた時そこの村の人々は20〜30年ぐらい前まで敵を殺して食っていた人喰い部族だったと判明した時の話だ。
ひぇ〜。ただし、今はもう人食いの習慣はなく、彼らが人間を食べたのは20〜30年もの昔の話。
そこで、どうしても知りたいのが、人間の味。聞けば、もう一度食べたいくらいにおいしかったそうだ。「人間のどこがおいしかったんですか」と聞くと「くちびるだ」との答え。歯ごたえはたまらなく、みんなで取り合いになったそうだ。ちなみに、男と女では、女のほうがおいしいとの弁。人食いは、若いポーターたちにとっては昔の話らしく「信じられない」というようすで聞いていたのには、ちょっと驚いた。
と人食い部族との遭遇はこの程度の記述で終わってしまう。そのすぐあとに『この村はほんとうに素晴らしい! 子どもを慈しみ、仲間を大事にし、そして年長者を敬うことが当たり前のこととされている。』20年前まで敵を殺して人喰ってた人たちだけどね……。あまりにも淡々としすぎている。「ちょっと驚いた」ポイントもなんかおかしい気がする。いやいや、他にもっと驚くポイントがあるでしょう。
一事が万事この調子なので正直言って読み疲れるというか、ツッコミ疲れる。しかも陥る危機が毎度毎度尋常じゃない。普通エンタメ冒険物(本でも番組でも)だとクライマックスに当たるような危機が数ページ毎に来るから命の危険が常態化していて進む度に常人の感覚から全力で乖離していくのが凄い。ある時は部族の人間に追い掛け回され、ある時は詐欺に会い、ヨットに乗ればいつだって沈没寸前。
隊長も凄い
彼女は彼女でその行動力も、あらゆる出来事に立ち向かっていく能力も凄いが、それを率いる隊長もめちゃくちゃ凄い。正直言って本書で描写されていく内容の大半読んでいると人間のクズという他ないが、それでもいざという時の決断力と対応は神がかっている。神・隊長である。僕が特に感動したのは、雇ったポーター達に賃金をあげなければ荷物を置いて我々は帰ると叛逆を起こされた時の対応だ。
ポーター側からすれば探検隊は拒否できないと思ったのだろう。しかし隊長はポーター達の力関係を見ぬいており、「帰りたいやつは帰れ。ただし俺が戻ったらお前ら一人ひとりの名前を書いてこいつらは泥棒だからポーターに使うなと、ガイドたちに言ってやる!」と逆に脅し返したのだ。その上それを煽動したであろう一人を怒鳴りつけ、そいつに金を渡して一人帰らせる。さらには、他のポーターには
あいつと同じだけの金をちゃんと払う。だから一緒にアングルークまで行こう。ジャヤプラのガイドたちに『コサレの男たちは最高のポーターだから、外国人をたくさん連れてきてくれよ』って言っておくから。仕事が増えるぞ。だから約束してくれ。こんなことは、外国からきたほかの登山者には絶対するな」
アフターフォローまで含めて完璧な対応だ。絶体絶命のピンチは、逆にポーターと彼らの結束を高めることになった。彼は根っからの冒険男で、無軌道で計画性がなく、この探検に混沌をもたらす存在ではあるのだが、ここぞの決断力と能力はずば抜けているのだ。めちゃくちゃ狂ってるが、めちゃくちゃかっこいい!
とまあ……盛りだくさんの本なのである。愛あり、友情あり、感動あり、危機、ゴキブリ、ダニ、蚊は腐るほどあり。僕はこれを一種の英雄譚のようにして読んだ。困難を乗り越えた者のたくましさ、崇高な強さ、美しさは確かにここにある。まあ……登山なんかは本気の人間でもゴミのように死んでいく世界なので、「(たまたま)生き残ったな」という感じで英雄とは程遠いのも確かなのだが。