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空前絶後のひと夏が始まろうとしていた──『アメリカを変えた夏 1927年』

アメリカを変えた夏 1927年

アメリカを変えた夏 1927年

時代というものはゆるゆると移り変わっていくものだが、時として特異点的に、スイッチのオンとオフを切り替えるようにしてガチっと切り替わることもある。1927年、それもその夏というのは、具体的になにか新技術が開発されたとか、科学史上に残る大発見があったわけではないが──アメリカにとっては激動の期間であった。

本書は1927年の夏をメインとして語られていく「ひと夏の伝記」だ。この年にチャールズ・オーガスタス・リンドバーグは単葉単発単座のプロペラ機でニューヨーク・パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功させ、ベーブ・ルースは1961年に至るまで破られることのないシーズン60本塁打という記録を打ち立てた。著者のビル・ブライソンは『人類が知っていることすべての短い歴史』で人類宇宙の誕生からDNAの仕組みまでをコンパクトにまとめきってみせたが、今度は真逆で、ひと夏という短い期間をこれでもかと細部にこだわって書くことになる。

1927年ひと夏の伝記とはいってもベーブ・ルースについて描く時はその幼少時や家族などから語っていくので、純粋に1927年のことだけを書いていくわけではない。それでも、ベーブ・ルースやリンドバーグ、T・フォードの栄光と挫折、アルカポネの暗躍、発展を続ける工業、超好景気を迎えているアメリカと、ひと夏に凝縮して/全体を見ることで初めてその時代の空気感、どのような時代であったのかがはじめてわかるような気がする。一つ一つは無関係のように見えたとしても、確かにそれらは同じ時代を生きていたのであり、相互に影響を与えあっていたのだ。

熱狂の時代

1927年がどのような時代だったのかといえば、一言で言えば熱狂の時代だったのだろう。工業が発展したことで様々な革新が可能になったわりに、ルールの整備はまだ追いついていない。いろいろなことが可能になって、金は回っていて、その混乱に乗じて様々な非道がまかり通るようになる。世紀の悪法(禁酒法)やガバガバな行為(無実の罪の人間を死刑にするなど)もいくらでも起こりえるのだ。

 アメリカの航空業界には規制というものがないも同然だった。国内には免許の制度もなければ、必要な訓練の規定もなかった。誰でも飛行機を(どんな状態であれ)買うこともできたし、金を取って旅客を乗せることもできた。空の世界に対するアメリカ政府の取り組みはひどくたるんでいて、飛行機事故の件数と死者数すら記録していなかった。

こんな状況だったから、リンドバーグはいくらでも無茶な環境で曲芸飛行をして金を稼ぐことができ、その普通ではありえないような状態で磨かれた技術によってニューヨーク・パリ横断を成し遂げてみせた。『リンドバーグは二年間で七〇〇回以上も曲芸飛行を行い、豊富な経験を積んだが、専門的な訓練は一切受けていなかった。』なんていうのは、今ではありえないでしょう笑

読み進めていくと、本当にこの時代は今では想像もつかないほど狂っているなあこいつらと思うところが多い。その最たる物の一つは禁酒法だろう。1920年から1933年まで施行されたこの法律はアホくさい法を現実的に適用するといったい何が起こるのかを教えてくれる。あまりにもアホすぎて反面教師にすらならないかもしれない。

たとえばアルコールを禁止しましょうといっても、アルコールはシンナー、凍結防止剤、化粧水や消毒液といったさまざまな物に欠かせない素材だ。それらは最低限確保しなければならないが、確保すると当然だが密造酒製造に横流しされる。政府としてそれを防ぐために何をやったのかといえばアルコールに毒性のあるストリキニーネや水銀を添加して毒にしたのだ。『こうして、ある禁酒法担当のお役人の言葉を使えば、変性アルコールは「アメリカの新しい国民的飲料になった」。』

多くの人間がこの変性アルコールの犠牲になって死んだのだという。一説では1927年だけで1万1700人の人間がそれによって死んだとも言うが、あまりにもアホすぎる出来事だといえるだろう。つい先日まで普通に飲めていたのに、いきなり禁止された上に毒入りが流通しているようになったのだから、意味がわからない。

 禁酒法はほぼどこを取ってみても、不適切かばかげているかのどちらかだった。この新法を執行する責任は財務官にあったが、やり遂げるのに必要な能力も財源も熱意もまったく欠けていた。議会に予算を絞られた禁酒局は捜査官をわずか一五二〇人しか採用せず、彼らに対し、九〇〇万平方キロあまりの地域に暮らす一億人にアルコールの生産と消費をやめさせ(捜査官一人当たりの担当市民は七万五〇〇〇人)、同時に密輸入業者から三万キロの海岸線と国境を守るという、実行不可能な任務を与えた。

こうした熱狂は政治や航空機業界にとどまらず、幅広く蔓延している。ベーブ・ルースの熱狂に湧いた野球界は今では信じられないほど大きな存在だった。国民の誰もが試合の結果に喜び、熱狂する「国民のスポーツ」。今よりもずっと荒っぽく、選手同士が殴りあうだけでなく観客が座席を引き剥がしてグラウンドに投げ込んで、少なくとも1000人のファンがグラウンド上へなだれこむなど、今そんなことが起こったら一体どれほどの騒動になるのかわからないほどの暴挙が当たり前に起こっている。

でも、当時はそれが簡単に起こってしまう土壌があった。選手も観客も容易く殴りあい罵り合う。ある意味それは「楽しい」だろうなと読んでいてしきりと考えてしまった。1000人(500人ずつに分かれていたのかもしれないが)のファンが一体化して、憎きあいつらを殴りにグラウンドへ雪崩れ込んでいくなんて想像するだけで興奮するではないか。僕も雄叫びを上げながら憎い敵チームを殴りに走りたかったものだ。

こうした熱狂が個人に向けられた時は悲惨という他ない状態をもたらす。リンドバーグが偉業を達成した後など、どこにいっても人が群がって、毎朝自室を出た瞬間から触られ、押され、私生活などなくなってしまったのだという。

洗濯に出したシャツは一枚も戻ってこなかった。夕食の皿に残したチキンの骨や紙ナプキンは厨房で取り合いになった。散歩に行ったり、銀行に立ち寄ったり、薬局に行くこともできなくなった。トイレに入っても追い回された。小切手を切っても現金化されることは稀だった。受け取った人はそんなことより額に入れて飾った。

今でも似たようなことはあるだろうが、ここまでのことはないのではないか。何しろ彼の偉業は新聞では「人類史上、単独行動の最大の偉業」や「人類が心待ちにしていた史上初の真の世界市民の到来であり、そして自らの住所を『地球』と言うのに真にふさわしい最初の人間、史上初の全天地への特使への登場に、人類の喜びで」地球が打ち震えたとまで書かれているのだから、その熱狂ぶりもわかるだろう。

なぜそれほどの熱狂が起こったのか? ベーブ・ルースで、禁酒法で、各地で起こったテロ、リンドバーグ、もちろんいろいろ理由は付けられるだろうが、様々な要因が複雑に絡み合って、でいいのではないかという気もする。人類史にはそういう時があるみたいだ。少なくとも本書を読むことで、こうした凝縮された歴史でしか語りえない「空気感」みたいなもの、当時の熱狂の一部に触れることができるはずだ。