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ロボットを通じて人間を知る──『アンドロイドは人間になれるか』

アンドロイドは人間になれるか (文春新書)

アンドロイドは人間になれるか (文春新書)

ロボット演劇、ロボット落語、機能を絞ることで達成目標を明確にしたロボットの数々など幅広い活動を通して研究を続けている石黒浩さんの最新著作(聞き書きだが)である。実績は凄いものの、著作自体は同じことの繰り返しで過去の物を読んできた場合はあまり有用でない場合も多く本書も例にもれずではある。

ただ、本書はこれまでの出来事と主張がわかりやすくまとまっているので石黒さんの著作をあまり読んだことがなければとりあえずこれを読んでおけばいいように思う。だいたい読んでいる人間ならば、まあこれもどうせ読むんだろう(僕のように)。

「心があるように見えている」ロボットの話

石黒さんがやってきたことの偉大な達成の一つは、「こころ」とは何かをプログラミングから導き出してしまうのではなく、まずは人間っぽい「かたち」、身振りや手触りといったところから肉体的な人間をつくってみせたところだろう。たとえば代表的な活動の一つであるアンドロイド演劇で顕著である。演劇に使われるアンドロイドは、一目でそれとわかる外見をしている。それでも、脚本に合わせ、役者と会話をしているように見せかけ、といったことを一つ一つやっていくと、「まるで心があるように見える」というより、「心がそこにあると思ってしまう」のが人間なのだ。

他にも、「心を見いだしてしまう」パターンは幾つもある。特定の語句や刺激に対してさまざまな反応を返す、それ自体はたくさんプログラムを仕込んだだけのロボットがいたとする。もちろんいくつかであれば単なるロボットなのだが、複雑な動作や反応パターンを仕組むと、プログラムした人間にも予期しない動きをするようになる。そうすると、著者らがミーティングしているときに「そうではないよ」といって、手をぶらぶらさせながらどこかへ向かって歩き出す、ということが起こりえる。

 僕はそのとき確信した。「心とは、観察する側の問題」である。

これまでもそのような検証を行った人はいたが、石黒さんはロボット演劇をやり、自身そっくりのジェミノイドを作って実際に遠隔操作し講演などもやってみせ、名人芸を永久保存しようと、動きや話の間を出来る限り高度にコピーした人間国宝の落語家三代目桂米朝アンドロイドまでつくり、とその活動は徹底して幅が広く間違いなく各種分野で第一人者といえる。米朝アンドロイドの凄いところは、映像や文字だけでは残せないものが現実に実体として残せるかもしれないところだ。その場の空気、身振りを三次元的に観察することができるようになる。後進の育成にも役立つだろう。

石黒さんのもとには、文楽などから芸をロボットに残してくれというお願いがくるのだという。補助金が削られいまのうちに芸をコピーしておかないと後継者もおらず貴重な伝統芸が後世に残らなくなる危惧を抱えている。『型さえあれば「修行しながら覚えよう」という人が出てきたときの手本になり、仮にそうした継承者がいなくなっても、僕らは在りし日の文楽を楽しうことができる。』というのは「味気ない」と反発する人もいそうだが、文化的な意味は大きい。

このような、「ロボットの具体的な活用事例」は既に枚挙にいとまがなく、アンドロイドを使って会議に出る、警備や会場誘導などの仕事は人間が外せない部分は遠隔操作で行い、ルールが決まりきった巡回や案内などは自動で行うなどなど。10年20年といった単位で世界の光景は一変している可能性を十分に感じさせる。

行動そのもののプログラム

ここまではだいたい「心があるように見えている」ロボットの話であったが、石黒さんの最近の活動としてきちんと自発的な欲求と意図を設定されたロボットをつくっているのだという。これが実現すれば非常に面白い──たとえば我々は腹が減ったら何か食べたいと思って飯をつくったり買いにでかけたりといった欲求に行動が従っているわけだが、つまるところそうした「欲求」から「意図」を発し「動作」に繋げることを自発的に行えるように成れば、かなり人間──というか動物っぽくなるだろう。

「腹が減った」という欲求をプログラミングして、その解決方法が充電器に戻るという規定のワンアクションだったらルンバと大差がない。場合によって、米を炊く、買いにいく、皿を用意する、といった大欲求に貢献するサブアクションを行えるようでなければならない。ゲームのAIなんかはこれに近いことをやっているようにも思うが、それだってオブジェクトが全て規定され名前がつけられている世界での話なので、現実で臨機応変にこのレベルまで持っていくのはけっこうたいへんだ。これに今、大層な金額を投入してとりかかっているそうである。

期待してその成果が発表されるのを待ちたい。

石黒さんの発想、思考は年がら年中ロボットについて考えているだけあって、SF作家といえどもなかなかこれを超えるのは難しいだろうというレベルで緻密かつ最先鋭のものだ。あまりに進んでいるので、読んでいて「それはどうなんだろう」と思うこともあるかもしれないが、むしろそれぐらい違和感がある物の方が、読む価値があるものなのだと僕は思う。というわけで、まあどうぞ。