パリは燃えているか?〔新版〕(上) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: ラリー・コリンズ,ドミニク・ラピエール,志摩隆
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/02/09
- メディア: 文庫
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パリは燃えているか?〔新版〕(下) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: ラリー・コリンズ,ドミニク・ラピエール,志摩隆
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/02/09
- メディア: 文庫
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本書は第二次世界大戦中、ドイツ軍によって占領下にあったパリにおいて、ドイツ軍が連合国軍に駆逐され解放に至るまでをおったノンフィクションである。占領自体は1940年から始まっているわけだが、話のメインとなるのは1944年の8月、まさにパリ解放をめぐる戦いが行われたその瞬間をメインに描いていく。同時期のノルマンディー上陸作戦などと比べれば戦争の行く末を左右するような重要ポイントというわけではないが、言うまでもなくパリはフランスの中心であり、道路、鉄道、運河がパリに集中している。エッフェル塔、ルーブル美術館と文化の象徴でもある。
ここはフランス全土を支配する行政の中心である。はかりしれぬ宝庫の番人たる誇りをもつ三百五十万のパリ市民は、ひしひしとその脅威を感じていた。さらに彼らの背後には、全世界の何百万もの人たちが、パリこそは自由世界がナチ・ドイツと闘って防衛する価値のあるものだ、とみなしていた。
『「もしパリが陥落したら、そのニュースは全世界にたちまちのうちにひろがり、ドイツ国防軍やドイツ国民の士気に破壊的影響をあたえるだろう」』とは本書でヒトラーの言葉として紹介されているものだが、まさにこの言葉通り「象徴として」重要な拠点でもあったのだ。だからこそヒトラーは自軍が撤退せざるをえなくなった場合でも、徹底的に産業を破壊し尽くすように命令をはなす。
「パリは、どんなことがあっても敵の手に渡してはならない。もし敵に渡すようなことがあっても、そのときはパリは廃墟になっているだろう」
コルティッツという主人公
ヒトラーはディーとリッヒ・フォン・コルティッツ将軍に対し、パリを前線基地に作り変え、パリに架かる橋をすべて爆破し、産業を破壊しろと命令し派遣する。破壊しろとはいっても、それは防衛を放棄しろということではない。設備を破壊し尽くせば市民が一斉にレジスタンスに変貌するに違いなく、同時にインフラが破壊された都市で防衛をするドイツ軍自体を追い詰めることになりかねない。
大量に集められた資料からまるで三人称視点の物語のように出来事を語っていくのが本書のスタイルだが、あえて一人主人公を挙げるとすればコルティッツになるだろう。ヒトラーは一刻も早くパリを爆破しろと急かしてくるが、彼は「"パリ市民の一斉蜂起"を招くからもう少し遅らせられないか」とか、レジスタンスとの停戦交渉、裏切りとも取れるような連合国軍へ密使を送る行為を繰り返して「命令に従いパリを破壊する」「命令に逆らってパリを破壊しない」の間で揺れ動き続ける。
コルティッツは、長いあいだ沈黙したまま、身動き一つせず、枕に頭を埋めていたことを思いだす。こうして、四十八時間以来、夜となく、昼となく彼を悩ましつづけた恐ろしい矛盾。命令に背くかパリを破壊するかという矛盾が、いまや悲劇的な解決を迫ってきたのである。
軍人としては戦わねばならないと決意しながらも、一方でそれがどのような真意に基づくのかは誰にもわからないがパリを破壊したくないとも強烈に思い、二律背反に苛まれていくさまがたまらなくおもしろい。
命令に従うことで生まれる戦略的劣位を嫌った合理的精神か、命令にしたがってパリを破壊することで歴史に消えない汚名を残したくなかったのか、パリを守った英雄という「輝かしい名」が残ることを期待したのか──恐らくはすべての危惧と期待が渾然一体となった思考がそこにはあっただろうと、想像する楽しみがある。
コルティッツがあの手この手でパリ破壊をやり過ごしている間に、レジスタンスの動きは活性化し連合軍はパリ奪還作戦を開始する。ヒトラーからすればパリ市街を守り、もしもの時には破壊するための部隊を増援まで含めて送っているわけであって、いつまで経ってもパリが破壊されないのは理解不能であったことだろう。そこで、あのセリフが出てきてしまうわけである。「パリは燃えているのか?」と。
ヒトラーが怒号とともに「パリは燃えているのか?」と問いかける一連のシーンを引用しようかとも思ったけど、クライマックスにあたる実においしい部分だからぜひ読んで楽しんでもらいたいとぐっと我慢する。史実であるのはわかってはいるが、ついつい一緒になって「燃えているのか!?」と盛り上がってしまうのだ。
誰もが主役
パリは最終的に破壊されることなく解放されるが、その功績はコルティッツだけに帰せられるものではなくパリをめぐって死力を尽くしたすべての人々によって、微妙な均衡点を制した上で成立した事態であることが本書を読むとよくわかる。
ヒトラーが奇蹟の人とみなす、強烈な実行力を持って西部軍総司令官に着任するモーデル元帥、命がけで反旗を翻すパリのレジスタンスの面々、ドイツ軍へ一矢報いようと無残にも死んでいった無名の個人までを含めて、パリの解放を主軸としたさまざまな人間模様が生き生きと描かれているのだ。
僕が特に気に入ったのは、解説でも引用されているが、花のような赤いスカートをはいた少女が、ドイツ軍戦車に走って突撃して、キャタピラをよじのぼり、シャンペンの壜を砲塔に叩き込んで戦車を爆破するエピソードだ。少女はその名前も出てこないのだが、長篇がつくれるぐらいに鮮烈な存在感を残すんだよね。
数フィート離れたところで彼女は雨あられとふりそそぐ機銃に撃たれて舗道に倒れた。"鞭でうたれたひなげしのように"スカートが舗道の上にひろがった。だが、あとの三台の戦車は退却した。
歴史の分岐点ゆえのおもしろさ
今現在我々は行こうと思えばエッフェル塔を観光しに行くことができるが、ほんの一歩何かの歯車が異なっていればそれができなくなっていたのかもしれない。本書を読んでいるとそんな、「ありえたかもしれない現在」についつい想像が膨らむ。こういうのは歴史を読むことの醍醐味の一つだよなあ。