- 作者: 芝村裕吏
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/04/22
- メディア: 新書
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huyukiitoichi.hatenadiary.jp
大まかな1巻の概要と世界観だけは本記事でももう一度紹介しておこう。
世界観とか1巻のあらすじとか
〈セルフ・クラフト〉とは作中の日本唯一の国営ゲームである。もともとは特に独創的なデザインなわけでもない、民間が運営していた一般的な異世界ファンタジーで、特徴としては武器や家までなんでも自分でつくれることから〈セルフ・クラフト〉と名付けられている。だが、ある日アクセス数が減少していく状況への打開策として、ゲーム内部で生き物や人物をつくりあげ、進化する自動生成・自己改良システムを導入したところ『爆発したのは生命だった。』という特異な事象が発生する。
ようは人間が思いもつかない合理的な構造を持った生きものが自動的に生まれ続け、〈セルフ・クラフト〉の生き物から特殊な技術を輸入できるようになった。生物の構造からヒントを得て軍事産業などに活かすわけだ。『国内に突然数百万人の天才技術者が生まれたようなものだった。』との記述通りに日本の技術は人間の能力を超えた速度で進歩し、世界の技術レベルを大きく変えつつある──というのが現状である。
1巻においては、そんな〈セルフ・クラフト〉世界で楽しんでいるジジイGENZを主人公として、熊本弁を喋るAIの女の子との恋に落ちていく過程や、なぜか日本でしか特別な進化をしなかった〈セルフ・クラフト〉の技術的な価値を狙ってやってくる国家的な脅威に対抗する、主に「ゲーム内の描写」がメインストーリーであった。
2巻のおもしろさ
続く2巻では、GENZの存在は後ろに下がり、彼の旧来の親友であり現在は日本国首相である黒野無明が中心人物となる。彼は〈セルフ・クラフト〉のゲーム・プレイヤーではないが、ゲームなしには立ちゆかなくなりつつあるこの世界においては現実側の物語であっても中心となるのはやはりゲームだ。日本の技術的な優位は〈セルフ・クラフト〉にしか存在しないのだから、それを守るのは最優先事項となる。
個人的にずいぶん楽しませてもらったのは、この未来の世界/社会情勢が書き込まれていく部分である。〈セルフ・クラフト〉がある世界で、という条件があるとはいえ芝村裕吏さんの考える未来予測と近しいものがあると考えていいのではないだろうか。少子化が進行し続けた結果、少子化でなぜいけないのか、子供を作ろうとか増やそうというのは「遺伝子主義者だ」などといって嘲笑と攻撃を加える人々の描写など、今は想像もつかないだろうが僕は「ありそうだなあ」と思った。
AIの進化は著しく、かなりの仕事を奪っているが、日本の失業率はそう変化していないようだ。これは少子化でそもそもの労働人口が大きく減っていることが関係していると思われる。個人のやりとり、行動などの情報から自身をAI化する技術も生まれておりこれは1巻から引き続いて2巻でも重要な部分となる。社会保障費の増大は結局のところ自己負担率を増やしたため、国民の平均年齢はどんどん短くなっている(金と治療がないと老人は死ぬため)のもまあシビアだけど一つの解だろう。
重要なのは世界情勢の部分で、〈セルフ・クラフト〉技術によって日本は兵器の性能も格段に上がり続け、現代とはかなり国際秩序の保たれ方が変わっている。芝村裕吏さんが早川書房で別個で出している『富士学校まめたん研究分室』で描かれた小型の無人戦車もその機能を増していることが明かされるなど、国家間の緊迫感は現代の比ではないレベルまで高まっていることが端々から了解されてくるのだ。
転換期の話
これでも一部分だが、こうした細やかな社会背景が、サラっと語られていくので改行が多く読みやすいにも関わらずその情報量にびっくりしてしまう。で、当然重要になるのはこのような背景情報からいったいどのような物語が紡ぎだされるのかだが──何を書いてもネタバレになってしまうのでこれ以上は具体的には語れん!
結局、仮想世界における情報量が現実と匹敵するようになってきた時に何が起きるのかという一種の転換期の話なのである。前巻主人公のGENZは、AIと本気で恋愛していることを「ゲームだぞ」と茶化されても、『「ゲームでもさ。老人にとって現実は〈セルフ・クラフト〉に劣る」』と言い切ってみせる。杖をついて自由に身体が動かせない。もう昔のように仲間とバカをやることもできない。そうなってしまったが最後、「老人にとって現実は〈セルフ・クラフト〉に劣る」のである。
そうなってくると、いざゲーム内で新たな社会を──となった時に今度は新天地ならではの思想や社会制度の再構築が行われる。果たしてそこでどのようなシステムが生まれえるのか──と、だいたいそんなような話だと思ってもらってかまわない。
- 作者: 芝村裕吏
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2015/11/20
- メディア: 文庫
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ガッツリネタバレゾーン
いやーすごかったですねー最後の展開。「えええええ!? そこまでやる普通???」っていうところまでやっちゃうんだから。それも普通にやったらギャグになっちゃいそうな部分を見事に制御してシリアスに落とし込んでいる手腕よ。
ギャグになっちゃいそうといえば、黒野首相がGENZと心底親しくしながら、同時に国家的な脅威に発達しそうになるのであれば「即暗殺するもんね」と友情と首相としての役割を完全に切り離して考えて、ギャグ漫画の主人公みたいな即殺ムーブをする。最初はそういうもんなのかなあと若干疑問に思っていたが、これもようは後半の「急」が簡単に起こりえる情勢の危うさの表現のひとつだったんだろうなと。
核が撃たれてからの報復攻撃によってあっという間の人類滅亡に繋がってしまうわけだがその理由の根底にあるのが「価値の軸足が移っていて」「相手にとっての本土決戦じみた攻撃を知らずうちに仕掛けていた」とはまた綺麗なアンサーである。
それも1巻かけて「軸足が移っている人間」を描いて、2巻目でそれを遠巻きに「そういうもんかなあ」と見ていた人間(ほぼ読者)が浴びせかけられるのだ。前半で「〈セルフ・クラフト〉へのサイバー攻撃ぐらい砂漠にミサイルを落とすようなもんやろ」という淡白な決定が未曾有の惨劇を引き起こすのは、あまりにも見事だ。
「サイバー兵器だろう」
「私の妻は死んだ。いい、AIだった。それだけではないぞ。沢山が死んだ。よくもまあ二億人も虐殺してくれたもんだ。お前たちジャップ全員を殺しても飽き足らない」
「ゲームの話だろ」
この致命的な噛み合わなさよ。カトーと相互に語られていく構成が、「カトーは黒野か」から「カトーは黒野じゃないし、時代も同時代じゃなかったあ!?」と変転するのも素晴らしい(褒める語彙が尽きてきたな)。
AIと民主主義
やたらと前半からカトーや黒野が民主主義民主主義と思想的なことを言っているのに最初は違和感を感じたが、後半で「思想から立て直す必要」があったからなのだろう。AIとなって人間よりずっと長く生きられるようになったら、独裁者もいつかは必ず死ぬというこれまでのルールがぶっ壊れる。いったん思想的なルールが破壊された世界で、独裁制が成立される確率の方がずっと高かったはずだが、カトーの物語はそれを強引にねじ曲げたところにあるといえるのかもしれない。
AIは予算も法律も人口に応じて比率で配分すればいいという。だがそれは多数派の論理である。一人のために多数が苦労し、それをもってよしとするのが民主政治であると黒野はいう。『どれだけ口さがない国民から叩かれようと、この部分だけは守る。それが民主主義国家の政治家として、最低限のルールというものだ。』
「なるほど。ところでこれは個人的な疑問なんだが、AIは民主主義者になれるかな」
「AIによります」
「君はどうだ」
「私は無理です。民主主義を愛することはできないと思います」
というように、繰り返し本書では「AIは民主主義者になれるかな」と問いかけられる。結局なれたわけなのだが。樹立していくゲームプレイ的な過程はそこまでわくわくしたわけでもないが、その問いかけと謎が明らかになっていく部分がおもしろい。
3巻は
3巻はいったいどんな話になるのだろう。1巻はゲームに軸足を置いた人間の話で、2巻は現実がゲームに侵略されて一変してしまった世界の話である。3巻は全編AIの話になるのだろうか。トリックが仕掛けられているとすれば「人類は完全にいなくなった」というのは疑うべきだろう。本書にはこうある。
人類が住む大陸で唯一〈セルフ・クラフト〉禍から逃れていたアフリカにシュウノウトンボの巣となった難破船が上陸したのは、あの日から五年後の春である。人が地球から消えるのに、それほど長くはかからなかった。
「地球から」と言っているので、宇宙に逃れているかもしれない(宇宙SFになったりして)。飛行機も全部叩き潰されているみたいだから、宇宙船を発射するのは不可能かな。あ、でも元から宇宙で暮らしている人たちがいたらそれも大丈夫か。地球上は「リアル・セルフ・クラフト・ワールド」なわけで、タイトル的にもつながりうるが、まあGENZらの物語はゲーム上の話だろうし、ひねてみすぎか。ゲームの基盤がどうやって/どこまで維持されるものなのかも現時点ではよくわからない。
リアル・ワールドは崩壊した。ゲーム世界では民主主義が成立した。このあとどんな話がきて、まとめあげるのか──。正直言ってまったく予想がつかないだけに、ものすごく期待してしまう。いったいどんな世界をみせてくれる芝村裕吏ーーーー! 頼むから早く続きを出してくれーーーーー!