基本読書

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今まさに創られていく神話──『罪の終わり』

罪の終わり

罪の終わり

文明崩壊後の食糧難によって人肉食が当たり前になり、牛の遺伝子に人間の遺伝子を混ぜた「食用牛」を開発することでようやく飢餓から解放され秩序が戻りつつあるという衝撃的な世界を描いた『ブラックライダー』、本書『罪の終わり』はその前日譚にあたる作品である。人間がいかにして食人を受け入れるような価値観へと転換していったのかを念入りに描いていく本書はある意味では食人を当たり前のようにしている人間を描いていた前作以上にエグく、ヘビイな作品だ。

というか、読み終えた今「食人を書いただけでも結構なものなのに、それを「普通の人が受け入れてしまう絶望的な状況と過程」をじっくりと丹念に描いていくなんてよく書こうと思ったしよく書きあげたよなあ……」と改めて愕然としている。

作品の形式やジャンルなど

本書は文明崩壊の端緒となった2173年の6月16日に起こったナイチンゲール小惑星の地球衝突から約20年後に発表された、冷酷な母殺しにも関わらず救世主として崇められ未だに奇跡が語り継がれる「黒騎士」と呼ばれる人物の生誕から死を追う「作中ノンフィクション」という体裁で文明崩壊前後の様子を描いていく。

第1部は黒騎士ことナサニエル・ヘイレンの誕生からナイチンゲール小惑星の地球衝突まで。第2部では激変してしまった世界で「黒騎士」と呼ばれる救世主が起こしたとされる数々の奇跡の実態と、人々が彼を神格化していったのはなぜなのかに結論をつけてみせる。ようするに未来における神話学というか、「なぜ人々は新たな神話を必要としたのか」というある種の文化論的な内容のノンフィクションなのだ。

また、『地上最後の刑事』など終末を目前として過ごす人々を描いた作品は文明崩壊後の世界を描いたポスト・アポカリプス物と対比してプリ・アポカリプス物と呼称するが、本書はどちらも書いているので両面を味わえる作品であるといえるだろう。

特に、ポスト・アポカリプス部分についていえば『ブラックライダー』と同じかそれ以上に悲惨な内容となっている。何しろつい最近まで普通に暮らしていたにも関わらず、突如として愛する者が目の前で餓死し、生きるためには人肉を食らわねばならず、罪の意識にさいなまれながらもそれでも神に愛されたいと願わずにはいられない極限状況にいる人間の有り様が描かれていくのだから。

虚構にして現実

だが、本書の特徴はこれが作中作として描かれていく部分にある。この形式が採用されたのも、我々読者からすれば「虚構」で同時に作中世界の「現実」でもあるという神話の「現実にして虚構」の矛盾した二重性を描くためという理由が大きいだろう。

作中作の著者ネイサン・バラードの狙いは、この世界の読者は知っているであろう崩壊した世界そのものを描くことではなく、こんな世界でいったいなぜこのような神話が生まれたのか? を描くことである。それを解き明かしていく過程はまるで、「現在進行形で創りあげられていく神話」をまのあたりにしていくようで、単なるポスト/プリアポカリプス物でもなければ、神話そのものでもなく、虚構と現実が入り混じって構築されていくような味わったことがない特異な読後感へと繋がっていく。

その神話が「なぜ必要とされたのか」という部分に、食人を受け入れなければ死ぬほかなかった人々の強烈な葛藤が関わっていて──と、まあストーリーがどうとかよりもこの受け入れられないものを受け入れるという圧倒的な矛盾の表現がとてつもなく素晴らしいので、ここについてはもう読んでもらうほかない。

ヴァイア・ブレインウェーブと西部劇

なにげに重要なSF設定がヴァイア・ブレインウェーブ(以下VB)と呼ばれる技術。

これは目ん玉をえぐり出して、そこに機械を入れ脳波経由でニューラルネットワークの情報を取得する技術のことで、道行く人の個人情報を取得したり、アプリによっては敵の行動予測から自身の最適な行動指示まで行ってくれる。ナサニエル・ヘイレンは母親の意向によってVBを埋め込まれ、このアプリも入れている。

「な?」グイド・アレンは素晴らしい歯並びを見せて笑った。「回避座標も教えてくれる。おれはそのとおりに体を動かすだけでいいんだ。VBを入れてないおまえの攻撃は、おれには脅威でもなんでもない。しかもおまえは九十二パーセントの確率でそのナイフを使わないってことまで教えてくれるんだぜ」

ナサニエル・ヘイレンの一行は道行く先で白聖書派の殺し屋たちに狙われることもあるのだが、もし相手もこのアプリを入れていた場合の闘い/銃撃戦は相互に最適解を一瞬で判断し行動予測をしてしまうので、反射神経勝負となる。その殺し合いの場面は荒廃した世界の風景とあいまって、まるで未来の西部劇のようだ。

おわりに

この神なき世界にいったいどのような神話が生まれえるのか、それは読んで確かめてみてもらいたい。前日譚にあたるので本書から読んでもいいし、文庫化されている『ブラックライダー』から読んでもいいだろう。とっつきやすいのは277ページと短いのもあって本書の方かな。

余談だがこの一瞬洋書かと思ってしまうような表紙デザインは本書も『ブラックライダー』も素晴らしい。書店でみた時も「おっ」と思わせられたが書影でみても惚れ惚れするような格好良さだ。

ブラックライダー(上) (新潮文庫)

ブラックライダー(上) (新潮文庫)

ブラックライダー(下) (新潮文庫)

ブラックライダー(下) (新潮文庫)