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人間はどのように世界のことを知ろうとしてきたか──『この世界を知るための 人類と科学の400万年史』

この世界を知るための 人類と科学の400万年史

この世界を知るための 人類と科学の400万年史

つい先日『科学の発見』という、過去の科学者にたいして「科学的手法が用いられているか、いないとしたらなぜなのか」を問いかけることで現代の科学的手法がどのように形成されてきたのかを追った一冊を紹介した。それなのに本書『この世界を知るための 人類と科学の400万年史』もまた科学史本である。

その上、若干ネタがかぶっている! とはいえ別種の魅力があるので本書も紹介しておこう。本書は邦題が『この世界を知るための 人類と科学の400万年史』で、原題が『THE UPRIGHT THINKERS The Human Jurney from Living in Trees to Understanding the Cosmos』とあるように、基本的に「人間はどのようにこの世界のことを知ろうとしてきたか」という知的探究の歴史になっている。

アリストテレスの活躍した時代とニュートンが活躍した時代、さらには類人猿だった時代では「世界の探究の仕方」もまったく異なるわけで、本書はその時代ごとの違いを明確にして科学的手法の変遷を解き明かしていく一冊だ。それは真っ直ぐな歴史というよりかも、まがりくねって偶然に支配され、新たな科学手法や発見を揉み消そうとする世界の圧力との闘いの歴史である。

 我々は往々にして、科学は一連の発見によって進歩するものであって、並外れた明晰な洞察力を持った孤独な知の巨人の取り組みによって発見から発見へとつながっていくのだと考えがちだ。しかし、学問の歴史における偉大な発見者の洞察は、明晰というよりも混乱していることのほうが多く、彼らの功績は言い伝えや発見者本人の主張に反して、友人や同業者、そして幸運によるところが大きい。

時代ごとに異なる世界の探求方法

たとえばアリストテレスはもちろんいくつもの優れた洞察を残したが、現在に繋がる科学的手法とは完全に相反する態度をとっていた。たとえば、哲学を数学に変えようとする哲学者に対して激しく意義を唱えている。それはアリストテレスがバカだったり偏狭だったというよりは、根本的に興味がなかったのだと本書ではしている。

アリストテレスによると、この宇宙は調和して振る舞うよう設計された一つの大きな生態系のようなものであり、それゆえに自然は定量的な法則に従うという基本的な法則がどうとかよりもそもそも「なぜ物体がその法則に従うのか」に興味があったからだ。たしかにアリストテレスは落下する石がどのような法則に従っているのかよりも「なぜそんなことが起こっているのか」と問いかけて世界を理解しようとしている。今日の科学ではそのような考え方をしないので「方法」が相容れないのだ。

また、かなり下ってニュートンに注目してみよう。彼は科学史の中でははぶかれることも多いが聖書を信じ錬金術を試みた「オカルティスト」でもあった。結核にかかった際にはテレピン油やオリーブオイルからなる薬を飲んだし、ソロモン王の失われた寺院の間取り図には世界の終わりに関する手がかりが込められていると考えていた。

重力の法則を導くほどの天才が同時に神学や錬金術にも傾倒していたのは、その当時狂っていたからなのか──? といえばそうではなく、『この世界に関する真理を解き明かすという、一つの共通した目的によって結びついていたからだ』。目的によって結びついていたとはいえ、現代の科学からすれば道を踏み外していたのは確かで、本書ではそれを彼が自身の錬金術などの研究を秘匿し「孤立していたために」批判も受けることなく30年も錬金術を探究し続けてしまったのだとしている。『ニュートンは、自分の考えを「公の場で」議論して異議を唱えてもらうという、「科学の世界でもっとも重要な慣例」の一つを怠ったために、道を踏み外したのだ。』

本書はこうやって時代ごとに異なる「知的探究への取り組み方」と、失敗した場合にはその失敗要因について語っていくわけだが、おもしろいのはそれがはるか昔の「人類誕生」からはじまっていることだ。たとえば、「ホモ・サピエンスの脳には生まれた瞬間から世界への知的好奇心が備わっているのか?」という脳科学分野の領域にまで踏み込んでみせる。道具がつくられる前の知的探究法と、言葉が創られた後のち的探究法も違うように、そうした根本的なレベルから現代最先端の量子論の誕生までが語られる「科学の方法生成史」なのである。

学問的であると同時に文化的に規定されたその取り組みは、それを方向づけた個人的、心理的、歴史的、社会的状況を探ることによってもっともよく理解できる。

現代ではもはやダーウィンの進化論を支持しても裁判にかけられて殺されたりはしないしアリストテレスのようには考えないように、古代ギリシャの伝統や宗教的な疑問から科学は切り離されている。だが、それも簡単になしとげられたわけではなく文化的な変節や個々の葛藤(ダーウィン自身の信仰体系と矛盾する理論をどうしたらいいのか深い懊悩を抱えていた)があってこそで、本書はそこを丁寧に切り取っている。

おわりに

最初に書いたように科学理論がいかに成立してきたのかを追うという点について『科学の発見』とかぶりまくっているが、この本(科学の発見)がこれまでの科学者を現代の基準で批判的に検討してきたのと違い、本書はあくまでもその時の文化や社会状況の描写に軸足をおき、それぞれの時代の科学者が「どのように世界を探求してきたのか」に焦点を当てているので差別化は十分にできている。二冊読む物好きもなかなかいないかもしれないが、どちらもなかなかに良い本なので科学史について知りたい人は『科学の発見』の記事も僕は書いているので気になる方を読めばいいだろう。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp

科学の発見

科学の発見

  • 作者: スティーヴンワインバーグ,大栗博司,Steven Weinberg,赤根洋子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2016/05/14
  • メディア: 単行本
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