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正気と狂気がせめぎ合う場所──『ドン・キホーテの消息』

ドン・キホーテの消息

ドン・キホーテの消息

著者の樺山三英さんはこれまで『ハムレット・シンドローム』や『ゴースト・オブ・ユートピア』など、一言でいえばかなり変わった小説を書いてきた作家である。

ハムレットやら一九八四年やら、実在の作家や作品を題材として扱って、まるで批評をするように解体し現代ならではの形で出現させてみせる。フィクション作品を作中で取り込む過程で、必然として物語はメタ的になり──「どこまでが虚構でどこからが現実なのか」、その境目はあいまいになっていく。会話文ひとつとっても幻惑させるようなやりとりが並び、困惑しているうちに惹きつけられ読み終えてしまう。

新刊という形では2012年刊行の『ゴースト・オブ・ユートピア』から実に4年ぶりとなるが、その作風はまったく変わっていない。今回の題材は書名に入っている通りに「ドン・キホーテ」だ。物語は探偵パートと騎士のパートにわかれている。

前者については迷子の動物探し専門の探偵が突然、首領(ドン)と呼ばれる脳腫瘍を患っている爺さんの探索を依頼され奇妙な事象に巻き込まれていくパートだ。後者は三度遍歴の旅に出たドン・キホーテ(当然、小説が有名なあのドン・キホーテである)が、サンチョによって導かれ第四の遍歴へと出発するパートである。

騎士パート

 旦那さまは大切なことを忘れていなさるよ。どんな物語にも続きってものがあるんです。いったん終わった話にだって、続編というものがあるんで。それが世の常、習いというもの。とくにいまのご時世、スポンサーとかプロダクションとか、いろんな絡みがあるのですから。そう簡単に終了とはいかない。旦那さまほどの人気者であれば、なおさらといった次第で。

セリフがやけに現代っぽいように、ドン・キホーテが旅をするのは彼らの物語が綴られた時代から400年後の未来である。ようは「現代にドン・キホーテの旅が開始されたら──」というかなり無茶な状況を描いていくわけだ。まずは甲冑と兜、剣と盾が必要だとドン・キホーテが言えばサンチョによって国道沿いの驚安の殿堂と書かれた店(ようはドン・キホーテだ)に連れられていく。難癖つけてきた暴走族をバールで殴って皆殺しにする、などなどほとんどジョークのような展開が頻発する。

とはいえただのジョークであるはずもない。例えば以下は風俗を体験した後の述懐。

「サンチョよ」厳粛な面持ちで老人は問う。「お前は空しくはないのか。このような場所で、安易な快楽に溺れ、日々の憂さを晴らすばかり。自らの内なる虚無に向き合わず、その穴を埋めるための手立てさえ持たずに。誰もがそうして老いていくのか。やがて来る死を待つというのか。それでいのか?」

というように、そそのかされて遍歴に出たものの何をするのかは頭になかったドン・キホーテは、この空虚な世の中に触れることで、今自分は何を成すべきかをあらためて考え始める。近代小説のはじまりとも呼称される、革命的な小説作品『ドン・キホーテ』、その第四の遍歴が現代に紡がれるとしたら「それはどのようなものでありえるのか?」というのが物語全体を通して貫かれていく問いかけである。

探偵パート

一方探偵のパートでは古き良き探偵譚(殺人事件でなく人探しだが)として話が進むのでよほどわかりやすい。彼が探す爺さんは脳腫瘍によって認知にトラブルが発生しているので、終末医療の施設に滞在しているのだが、密室状況下から消えてしまったのだ。何か手がかりはないかと部屋に行くと、そこで「ドン・キホーテ第四の遍歴」と記された劇場公演のチケットを発見する。手がかりを求めて劇場まで訪れると、そこで行われていた劇は第四の遍歴に出立したドン・キホーテを追う三人の騎士の物語。

探偵は、そこでなぜか騎士らに舞台上に連れて行かれ「ドン・キホーテは誰だ、お前は何者だ」と問いつめられてしまう。当然ながら探偵は私には関係ない、離してくれというものの騎士らは聞き耳をもたない。『「いいですか、観ることによって、隠れてしまう世界があります。客席から観ているだけでは、観えない世界を探しにいくこと。その意味を考えてほしい。そこでは誰もが事件の当事者だ。誰一人として観察者ではいられない。こうなった以上、あなたはもはや単なる観客ではありえない。」』

語りかけられているのは探偵だが、ほとんど読者自身をフィクションの中に取り込まんとするような(いわば、第四の壁*1を超える)行為である。ようはドン・キホーテ第四の遍歴にかけているのであろう。ここから先、特に超常現象の類は発生していなかった探偵パートは、騎士パートで起こる/起こすカタストロフの影響を受け、それをあくまでも相対的な話ではあるが「現実的な目線」で観察していくことになる。

おわりに

とまあここまで読むとドン・キホーテを題材にした幻想譚/探偵譚/メタフィクションだなあと思うかもしれないが、最後はここから大きく「飛躍」してみせる。その風景はこの作品──というか人類史そのものを総括するような壮大なヴィジョンで、唖然とするような展開、凄まじく高い志がみてとれる。こんだけ文章を費やしていながらうまい褒め言葉が思いつかずにここまできてしまったが、めっぽうおもしろい。

*1:想像上の透明な壁であり、フィクションである演劇内の世界と観客のいる現実世界との境界を表す概念