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科学と科学者との地位に関する一つの個人的な哲学──『若き科学者へ』

若き科学者へ【新版】

若き科学者へ【新版】

本書は1960年にノーベル生理学・医学賞を受賞したメダワーが書いた「科学者の心得」みたいな本だ。本人がいうところをそのまま引用すると『本書は世界における科学と科学者との地位に関する一つの個人的な「哲学」を具体化している。』、まあつまりは「科学者というものについての個人的な意見です」ということになる。原書刊行は1979年で、日本でも1981年に同じくみすず書房から刊行されているが、今回結城浩さんによる解説も付してあらためて現代に出し直されている。

なぜいま1981年に出た本を出し直しているのかといえば、昨今の科学プロセス上における不正事件などを受け、「科学的方法論、科学者としての在り方」を見なおそうとする流れがあるからだろう。みすず以外でも(流れに乗ろうとしたかはともかく)そうした本は最近いくつも出ていて、たとえば文春の『科学の発見』であったり河出の『この世界を知るための 人類と科学の400万年史』もそのテーマの延長にある。

肝心の内容だが、刊行が1979年とはいえそこに書かれていることは抽象的なことはもちろん、具体的なことさえ現代で適用可能なことが多い。『若き科学者へ』というように若い科学者に対して向けられている言葉ばかりだが、科学者ばかりでなくより広い層に刺さる内容になっているのも現代に出す/読む意味といえるだろう。

広い層に刺さるのはは本書が「科学」という言葉を広く解釈しているのも関係している。いってみれば、科学が成長し至る所で「科学的な」という枕詞がのさばっている現代において、我々は常にその方法論/検証が正しいか否かをある程度把握しておかねばならず、誰もが科学ジャーナリストである必要があるといえるのかもしれない。

 本書では、私は「科学」という言葉をかなり広い意味に解釈し、自然界をよりよく理解することを目的にしたあらゆる探索的活動を指すものとする。科学行政や、科学ジャーナリズム(これは科学そのものの成長にともない重要さを増していく)や、科学教育もそうだし、多くの産業上の行為、とくに医薬や加工食品や機械類やその他の製造品や、繊維類やその他の材料一般を生産する行為を監督することも、しばしばそれらの行為を実行することさえも、科学的活動または科学に基づく活動である。

章は全部で12に分かれており、「序論」からはじまって、「科学研究者への適正とは」「何を研究しましょうか」など基本的なところから、「研究の発表」などの具体的な手順/指導も書かれ、「賞と栄誉」ではキャリアでいつか起こりえる評価とどう対峙するかを述べ、「科学の方法」では純粋に方法論的なことを扱いと幅広い。

具体的なところから一部紹介すると、「若い科学者は年配の科学者に一度あったことがあるからといって相手が覚えていると思ってはいけないよ」とか、学会で論文を口頭発表する時は「どんな場合でも原稿を棒読みしてはならない。」『若い科学者たちよ、ノート[筋書きを記したメモ]に基いてしゃべりなさい。』、ダメそうなら何度も練習しなさいよとか指導教官がいうようなことを丁寧に説明してくれる。

科学者の生活と作法の特殊性

現代で興味深いのは、過誤を扱っている「科学者の生活と作法の特殊性」の章だ。

もし科学者が、きわめて細心な注意を払って事実に誤りを犯したのならば、その誤りを遅滞なく認めねばならない。『大切なのは、失敗をかくそうとして煙幕をはろうとしてはならないということである。』『私は、どんな年齢のどんな科学者に対しても、次の言葉以上にいい助言を与えることはできない。すなわち、ある仮説を真であると信じる気持ちの強さは、それが真であるか否かには何の関係もない。』

というあたりは、あの事件を思い出すまでもなく「至言だなあ」と思う。

メダワーの筆致は全体的にシンプルでありながら柔らかで力強いが、何よりも優しいなと思う。当然、研究成果を誤魔化すのは「悪」「良くないこと」である。しかし、現実に研究不正は後を絶たず、それはなぜかといえば科学者が成果を得なければと焦るこころ、どうしてもここで成功させたいという気持ち、真であってほしいという気持ちなど「真理とは無関係な人の煩悩」が関わってくるからだ。

実際、間違ったことをしているんだから間違っているんだと否定するのは簡単だが、メダワーの優しさというのはそうした一刀両断を行うのではなく、「真であると信じたい気持ちはよくわかるが、そこはぐっとこらえろよな。それが結果的には科学を前進させるんだからな」と肯定的な否定を与えているところにあるように思う。

おわりに

他にも論文の書き方では、「誰に向けて書くのかを最初にはっきりと明確にし」とか、仮説とは何か、良い仮説とは何か、仮説をひらめくには……など科学者以外であっても取り入れるべき、有用かつ本質的ななアドバイスが続くが、それを挙げ続けていくとキリがないのでこの辺でやめておこう。

メダワーは科学者というものを偶像的に描くことをせず、間違いもすれば改ざんもする、非常に様々な気質を持った普通の人間として描き、それを乗り越えていかないとねと寄り添ってくれる。「科学の方法」「科学の限界」などを扱った本は数多いが、本書はその中でも簡潔に芯にあたる部分を抑えているだけに、この分野においては最初に抑えておきたい一冊だ。

下記の本なんかもそれぞれ違った意味でおもしろいんだけどね。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
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