- 作者: シャーリイ・ジャクスン,深町眞理子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2016/10/21
- メディア: 文庫
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元々は〈異色作家短篇集〉のうちの一冊だが、訳者解説にもあるように『元版が出て以来の四十余年のあいだに、わが国の翻訳出版をとりまく状況はずいぶん変わりました。なにより、この〈異色作家短篇集〉におさめられるような作家・作品が、とくに"異色"でも、"奇妙な味でもなく、ごく普通の小説として受け止められる土壌が出てきています"』今では"異色"というほどではないのかもしれない(とはいえ、まだまだ奇妙な味だと思うけど)。それはシャーリイ・ジャクスンの作品が今年だけでも『日時計』、『絞首人』、本書『くじ』、『鳥の巣』と刊行されていることからもわかる。少なくとも"出しておきたい作家だ"と考える人が幾人もいるということだろう。
いくつかの短篇の紹介
本書には22篇の短篇がおさめられている。作品の多くは誰の身にも起こり得る「なんでもない日」を扱っており、それを淡々と描写していくだけにも関わらず、「何かヤバイことが起こっている/これから起こるのではないか」と心の底からの恐怖が湧いてきて、同じような日常を過ごす自分は大丈夫なのだろうかと心配になってくる。
たとえば「歯」はクララが歯が痛くなったので歯医者にいって治療してもらう、ただそれだけの話なのだが、突如として『まずなによりも先に、すべてがおそろしく遠くへ行ってしまったこと、これを覚えておくことね、と彼女はぼんやり考えた。それからこの、全体についてまわる金属音と、金属の味も覚えておくこと。そしてこの暴虐。』などと恐ろしい描写が入る。麻酔を打たれて抜歯が始まっただけなのだが、物凄い拷問を受けているような気分になってくる。歯医者はたとえどれだけ丁寧に治療してくれても拷問のようなものだといえばそれはそうだともいえる(暴虐だ)。
個人的にお気に入りなのは「もちろん」という短篇。いつも通りの一日を送っていたタイラー夫人は、隣に越してきたハリス夫人と両者の子供たちとで立ち話をはじめるが、ハリス夫人は夫の方針で「映画」は知的に遅れているから家族揃って映画にはいかせないし、ラジオも聞かないし(我慢できないから)──と奇妙な、まあいてもおかしくはないかという線の家庭内ルールを明かしてくる。タイラー夫人も、お隣さんなので、ラジオが嫌いなひとも大勢いますからねとかなんとかいって柔らかく応対するのだが、だんだん「こいつはやべえ……」と不安に打ち震えてくる。
ここでようやくタイラー夫人は、さいぜんから気になっていたかすかな不安の正体に思いあたった。それは、なんらかの剣呑な、手に負えない事態に巻きこまれて、進退きわまったときに感じる不安だった──たとえば、凍結した道路にうっかり車を乗り入れてしまったときとか、ヴァージニアのローラースケートを履いてみたときとか……
越してくる「隣人」というのは日常的な出来事の一つではあるが、言われてみれば非常に怖い。具体的にどう、と例をあげるわけじゃあないが、「ヤバい奴」が隣にきたら、自分の生活の質は一気に悪くなってしまう。社交場の相手であれば無視すればいいだけだが、隣人となればそうはいかない。「映画もみねえラジオも聞かねえっててめえは北極にでも行け」と言えればいいが、いえるはずもない。この、「だんだん不安が増幅されていく」描写が、シャーリイ・ジャクスンは抜群にうまいのだ。
他にも、ニューヨークに旅行で来た女性が、あまりに多い人混みと車に困惑し、信号が変わっても道路を渡れなくなってしまう恐怖(車の恐怖以上に、あいつは何をやっているんだ、馬鹿なんじゃないのかという人の目線がまた怖い)を描き出す「塩の柱」などを読んでいると、普段自分が当たり前に過ごしている「なんでもない日」はなんて恐ろしいものなんだろうと実感させられる。歯医者も都会も怖いものだ。
おわりに。他いろいろ
幼稚園に通う息子がしきりと問題児だと報告してくるチャールズ、息子の両親がチャールズの母親をPTA会合で探しに行ってみたら実は──という「チャールズ」や、表題作にあたる「くじ」あたりはオチも秀逸だし、何より道中一度たりとも「何が起こっているんだ/これから何が起こるんだ」とページをめくる手を止めさせない。
何しろ歯医者にいくだけの話をめちゃくちゃおもしろく仕立て上げられてしまうシャーリイ・ジャクスンだから、全体的に今読んでも秀逸な短篇が揃っている。