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ならず者の〈滅びゆく地球〉珍道中──『天界の眼: 切れ者キューゲルの冒険』

天界の眼: 切れ者キューゲルの冒険 (ジャック・ヴァンス・トレジャリー)

天界の眼: 切れ者キューゲルの冒険 (ジャック・ヴァンス・トレジャリー)

ジャック・ヴァンスの作品を厳選して全三巻でおくる《ジャック・ヴァンス・トレジャリー》の二巻は切れ者(ならず者)キューゲルを主人公としたサイエンス・ファンタジィの連作集だ。「サイエンス・ファンタジィ」とは一般的なジャンル区分ではないと思うが、魔法や妖魔が存在するファンタジックな世界の中に、SF的な事物や発想が挟まってくる狭間の作品をそう呼称するらしい(と訳者あとがきにある)。

舞台になっているのも科学が衰退し、魔法が復活し奇怪な動植物や亜人間や他の星のよくわからん生物が跳梁跋扈する世界(〈滅びゆく地球〉シリーズの中に抱合される)なのでそこだけ切り取ってもSFっぽくはある。物語は〈笑う魔術師〉イウカウヌの私有地に忍び込んでお宝をちゃっかりいただいちゃおうとしたキューゲルが(正真正銘のクズ、ゲス、ならず者なのである)、あっという間に見つかって、罰として天界を映し出す魔法の尖頭を探すため北地へ飛ばされる「天界」から始まる。

元の土地に戻るだけでも、グールや妖魔といった化物が無数に存在する広大な土地を横断しなければならない。その道中でキューゲルはろくでもない選択肢を取り続け(財宝があれば盗もうとする、命が危険に晒されれば平然と他者をおとしいれる)、巻き起こる問題をご自慢の知恵・知略で解決していく。ピカレスクロマンといえるが、一切悪びれることがない姿勢に加え、自業自得で酷い目にあいながらも時折優しさもみせるキューゲルは憎めなく、読了時にはすっかり惚れ込んでしまった。

マグナッツの山々

キューゲルのゲスエピソードを挙げ始めればキリがないが、「マグナッツの山々」では道中を一緒に旅してきた女性を、道案内してくれた部族へ対価として引き渡しその決断を「あの女は偏執狂で眼が曇っているし離れたところからものを見られないからああするしかなかった、おれは理性を重んじる人間だもん」と悪びれもなくいってのける。その後の道中ではマグナッツと呼ばれる怪物の見張り番として、村人にハメられ150メートルの高さにある監視塔に幽閉されるが、知略を駆使して脱出し、村を壊滅状態へと追い込んで見せる(彼が意図した結果ではなかったが)。

魔術師ファレズム

魔術師ファレズムが500年かけて準備しておびき寄せた〈森羅万象〉と呼ばれる生きものをキューゲルがそうとも知らずに食ってしまったことから、代償として彼の胃袋から100万年の過去へと抜け出した〈森羅万象〉を追い、ファレズムによる超呪文によってタイムスリップすることになる。この〈森羅万象〉をめぐるやりとりがまたファンタジックでありながら理屈っぽくて、やけにおもしろい。

「その"生きもの"とやらは」と彼はきしるような声でいった。「〈森羅万象〉なのだ。中心の球体は逆から見たすべての空間だ。管はさまざまな時代に通じる渦流であり、おぬしがつついたり、こづいたり、煮たり、噛んだりしてしでかした恐ろしい行為は、想像を絶するものなのだ」
「消化したらどうなるんでしょう?」キューゲルは訊きにくそうに訊いた。「空間と時間と実在のさまざまな構成要素は、わたしの体内を通過したあとも同一性を保っているでしょうか?」
「ばあっ。そういう考えは幼稚だ。おぬしは存在論的な基本構造に損傷を与え、重大な緊張を生みだしてしまったといえば足りる。おぬしはなにがなんでも平衡を回復しなければならんのだ。」

100万年過去へといったあともドタバタは続くが、キューゲルなので良い結末になるはずもなくどこか悲哀を残して物語は幕を閉じる(キューゲルの冒険は続くが)。

巡礼たち

儀式に出るため何階旅をしている巡礼一向に加わったキューゲルが、世界を理解するための様々な宗教観/哲学に触れる「巡礼たち」はこの世界の文化面での広がりを感じさせる一篇だ。ギルフィグ神学徒はこの宇宙を創造したのは八つ頭の神ゾー・ザムだとし、また別の宗教者は太陽は細胞であり地球は栄養分から派生した極微動物だという。またある者はわたしはすべてを知っていると主張する。

もっとも議論を本格的にするのは最初だけで、あっという間に〈銀の砂漠〉と呼ばれる過酷なフィールドを踏破するための死にものぐるいの冒険がはじまるのだがそれはそれ。ラストもまた宗教問題に帰結するが、ならず者キューゲルが、ここでは過酷な旅を共に経た仲間へ愛情を向ける、意外な側面が垣間見える話でもある。

森のなかの洞窟

とはいえ、その直後に本書の中でも指折りのゲスエピソードが展開する「森のなかの洞窟」がくるのだが。ネズミ人間に囚われたキューゲルが、他に二人の人間を彼がとらわれている洞窟に誘い込めば自由放免にしてやるとそそのかされる。ためらいなくキューゲルは通りがかった村娘を口で丸め込んでネズミ人間へ献上し、二人目を狙うがなかなか見つからず──と平気で他者を踏み台にしてみせる話である。

洞窟でキューゲルは〈裏返しの術〉として知られる極悪な呪文を覚えるのだが、脳に強い負荷がかかるため、才能のあまりないキューゲルは1つの呪文を記憶することさえ困難であるという呪文周りの設定がおもしろい。魔法が万能だと話にならない(苦難が訪れない)ので、ちょうどいい制約となって物語に起伏を与えているのだ。

おわりに

たまたま強力な呪文を手に入れたキューゲルは、憎きイウカウヌへ一泡吹かせてやるために懐かしの地へと戻るのだった──というのが本書のトリを飾る「イウカウヌの館」で、唖然とする結末がどうなるのかはぜひ読んで確かめてもらいたい。

ヴァンスならではの生き生きとしたファンタジィ設定の数々、架空の生物、人種、宗教、文化まで含めた世界観の作り込みを読んでいると、よく出来たオープンワールドゲームをプレイしているような興奮が沸き起こってくる。キューゲルが主役を張る長篇「Cugels Saga」などまだ未訳のシリーズ作品が残っているようなので、いつか全部読んでみたいものである(本書が売れたら翻訳されるだろうか……)。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
↑《ジャック・ヴァンス・トレジャリー》1巻はこちら