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新たな社会の形──『AIと人類は共存できるか?: 人工知能SFアンソロジー』

AIと人類は共存できるか?

AIと人類は共存できるか?

本書は5人の作家がそれぞれ、「倫理」、「社会」、「政治」、「信仰」、「芸術」の5つのアプローチによって、人間とAIの関わりを描くSFアンソロジーである。特徴的なのは現実でも日々進展著しい"人工知能"を題材にとるにあたって、各作家の短篇にAI研究者ら(5人)の詳細な解説がついているところだ。

同じ題材ながらも与えられているアプローチが異なるせいか、5人がてんでバラバラの方向へ向かって走っていく短篇群もそれぞれ非常に良い出来なのだが、この解説がまた良い。作中で用いられている人工知能の技術的な側面の解説であったり、将来における成立可能性であったりといった"当然求めているもの"に加え、作品を補完するようなもの、舞台裏を想像するものなど様々な形で楽しませてくれる。

個人的に解説としてグッときたのは長谷敏司さんの『仕事がいつまでたっても終わらない件』に対して書かれた、相澤彰子さんによる「AIのできないこと、人がやりたいこと」。短篇についてはまたのちほど触れるが、この解説では、作中で用いられる"AIによる世論の予測と誘導"を現実問題できるのか、できるとして何を検討すればいいのかをシュミレートしていて短篇も合わせて抜群におもしろかった。

SFアンソロジーとしてオススメなのはもちろんだが、解説部分も一般向けの人工知能本で出てくる事例や題材の解説が網羅されているので、そこを目当てに読むのもいいと思う。それでは5作品なので一つ一つ触れていこう。

眠れぬ夜のスクリーニング

アンドロイドと人間が共存する際に不可避的に発生するであろう"差別"を扱ったのが早瀬耕さんによる「眠れぬ夜のスクリーニング」。仮に人間と共に働く人工知能搭載のアンドロイドがディープラーニングによって"差別/被差別意識"を持った場合(マイクロソフトの「Tay」が記憶に新しいが)、人間からアンドロイドへの差別をどう処理すべきなのか──という問いかけから流れるように繋がるオチがまた素晴らしい。

第二内戦

「第二内戦」は銃規制への反対勢力によって「アメリカ自由領邦(FSA)」の独立が宣言され、アメリカが東西に分裂した近未来が舞台。自らを複製し、再プログラミングし続けることで脳のニューロンが機能するように処理を行う証券取引プログラム〈ライブラ〉が、FSAで不正に用いられている状況を捜査するため、開発者自らアメリカ合衆国から潜り込むが──という冒頭から、〈ライブラ〉が証券取引の枠を超え、社会を変革していく(いる)状況をテクニカルに描いていく。分裂状態にあるアメリカの背景まで含めて十全に練り込まれた、藤井太洋さんらしいスマートな一篇だ。

仕事がいつまで経っても終わらない件

長谷敏司さんの「仕事がいつまで経っても終わらない件」は最初の方で軽く触れたが、現職総理大臣が憲法改正(国民投票で承認を得る必要がある)を成し遂げるために、"AIによる世論の予測と誘導"を用いてドタバタに巻き込まれていく一篇。

最初は人手が足りぬからAIを使えばええじゃないかという安直な発想ではじまったこのプロジェクトも、AIを機能させるためのデータの収集、人工知能が吐き出したデータが要求した書式と違う場合への対処などフレキシブルな対応が必要になり、大量の人力が必要になってくる。そこに現れるのは、全力疾走するAIをサポートするために人間も全力で仕事をこなす必要が出てくる"新型のデスマーチ"だ。

憲法改正というシリアスな題材を扱っていながらも全体的にコメディ調で、AIに振り回されながら繰り広げるドタバタは滑稽で笑えるものの、完全に"明日の我が身"なので恐ろしくもある。AIと人類の新たな"共存"の形を見事にとらえた傑作だ。

塋域の偽聖者

吉上亮さんによる「塋域の偽聖者」はAIを信仰する宗教組織が"なぜ信仰を持つに至ったのか"を解き明かしていくプロットと、チェルノブイリ事故を筆頭とした原発問題を組み合わせた一篇。AIには人間にはできないことをやってもらうのが良いわけだが、長期間にわたる廃炉事業などはまさにそれで──と、原発とAIという、最初無関係に見えた二つの要素が最終的に"AI信仰の起源"へとうまく接合されるのが素晴らしい。確かに将来的にはAIを信仰する宗教は出てくるだろうなと思う。

AI✗宗教はまだまだ掘りがいがありそうなので他にも読んでみたいなあ。

再突入

倉田タカシさんの「再突入」は人間による創作がAIを用いて機械生成・機械選別された作品群になすすべもなく駆逐されてしまった世界で、人間に残された"芸術"の形を描く。冒頭からしてピアノの大気圏突入による演奏シーンという異様な風景/新たな芸術からはじまり、物語はその後"人間の表現を更新するには"に対して最終的な答えともいえるところにまでたどり着き、芸術の枠を大幅に更新してみせる。

作品とはあまり関係ないが、AIを用いた機械生成・機械選別は人間による創作を駆逐するのだろうか。将棋でプロがAIに負けても対局は普通に行われるように、創作もまた人間がやることに意義を見出す人もいるだろう。たとえばとある傑作を読んで感動したとき、僕は傑作それ自体に感動しているのと同時に、そんな傑作を生み出すに至った"創り手"にも感動しているように思う。とはいえ、僕も星新一賞を通過した人工知能によってつくられた短篇や、ディープラーニングで出力された絵を「なかなかうまいやんけ」とすでに読んでいるわけだから、楽しめることは確かなのだが。

松原仁さんによる解説は、「人間が芸術を創作し、人工知能がそれを鑑賞する。」ことはありえるのかなど芸術と人間と人工知能の関係性をめぐる興味深い問いかけが詰まっており、単体として読んでも抜群におもしろい。

おわりに

とまあ、解説がつくことでより現実からフィクションへの地続き感が出て、考えが無数に広がっていってしまう。今回は人工知能だったから抜群にうまくハマった面はあると思うが(書き手もいるし)、またこの形式(短篇+解説)を体験してみたいものだ。