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魔術世界×プログラマ×中東──『無限の書』

無限の書 (創元海外SF叢書)

無限の書 (創元海外SF叢書)

飛び抜けた海外SFが現れたものだ。世界幻想文学大賞を受賞した本書は、中東の専制国家である〈シティ〉を舞台として、若きプログラマが世界を変えうる力を持つ書を手に入れてしまい、大きな騒動に巻き込まれていくSFファンタジィである。

中東を舞台にしたSF

中東を舞台にしたSFは珍しく、まずそれがおもしろい。

中東での女性の地位の低さの問題。宗教的なものから風刺的なものまで徹底的なネットへの監視体制を敷くことができる検閲局の技術力と、まともな郵便システムさえも整っていない伝統と革新がごた混ぜになった状況。血縁をめぐる問題、西洋への意識──などなど、中東でなければ出てこない問題意識がてんこ盛りで、それが見事ストーリィと結びついていき驚きっぱなしで最後までぐいぐい読んでしまった。

著者のG・ウィロー・ウィルソンはニュージャージー生まれ、シアトル在住のアメリカ人だが、ボストン大学を卒業した後にエジプト・カイロでジャーナリストとして活躍し、エジプト人男性と結婚し、イスラム教に改宗しているなどなど、本書がかけるのも納得の経歴。ちなみに本書がデビュー作で、グラフィックノベル・ライターとしても活躍しているようでまたすごい才能がいるなあというところ(1982年生まれ)。

簡単にあらすじとか

簡単にあらすじを紹介しておこう。舞台は先程から書いている中東のどこかだが、主人公となるアリフはインドの血とアラブの血が混じった非純血種の若者。普段はプログラマとして個人から仕事を請け負ってハッカー的に仕事を行っているが、ある時金持ちで高い地位を持つ恋人から別れを告げられ、心に深い傷をおってしまう。

それだけなら別によくある別れ話だが、「あなたの名前が二度とわたしの目に触れないようにしてちょうだい。」という元彼女からの別れ文句を真に受けて、自身のプログラマとしての能力と人脈を使って、ネットで個人を特定し、その対象の相手からは彼の情報を消し去る"個人特定プログラム"の構築を開始する。普通そんなことはできないが、固有のタイピングパターンを検出することでネット上の大海、そのどこからアクセスしても個人を特定するプログラムの作成に"なぜか"成功してしまう。

どんなパソコンを使おうがひとりの人間を認識できるプログラムは"監視"する側からすれば宝であり、アリフは国家保安局の捜査官に追われることになる。〈シティ〉という架空国家とはいえ、捕まったらまともな捜査なんか行われずに処刑され女はレイプされる。別れた恋人から謎の本を受け取ったアリフは、巻き込んでしまった幼馴染ダイナと共に、吸血鬼ヴィクラムと呼ばれる怪しげな男を頼って逃げ出すが──。

なぜ元恋人は彼に本を渡したのか? この本は何なのか? 吸血鬼ヴィクラムとは何者なのか? そもそも彼が国家から追われるようになったのは本当にプログラムが狙われているからなのか? など疑問は山積みだが、一つ一つ解き明かされていくうちに彼のよく知る世界はその実態を変え、現代科学と魔術世界が交錯することになる。

魔術世界×現代

アリフはそれまでジン(幽精)の存在などは神話的なものだと認識していたが、ヴィクラムからその実在を伝えられ、本の持つ神秘的な力、その成り立ちを教授される。そこで語られる、この世界における魔術世界の在り方と来歴がなかなかおもしろい。

たとえば幽精や異界といったものについて、かつては人々が自然に信じ、受け入れていた"ともにのんびり歩いていた時代もあった"が、現代では幽精を信じず科学を信仰するようになり、それによって現代人は魔術的な世界を知覚できなくなってしまった──というのは、自然に魔術から科学への人々の思考の転換を説明してくれる。*1

「はびこっているのは盲信だ。教条主義だ。偏狭な宗派心だ。信仰は死に絶えた。あんたたち人間のほとんどにとって、幽精はうろつきまわって精神病や癲癇をひきおこす病的な幻にすぎない。"隠れたもの"たちを、聖典に語られるとおりのただなる現実として受けとめる人間をさがしてみるがいい。長い長い時間がかかるだろう。人の宗教からは驚異と畏敬が失われた。不合理を受け入れることはできるが、超越を受け入れることはできない。(……)」

本書が抜群にうまいのはこうした世界観をきちんと作中で描かれる問題意識に接続していくところである。たとえばイスラム法では、女の相続は男の相続分の半分となる等の"伝統"は、神が定めたことであるから事実として扱われる。一方、目に見えない理性ある生き物の存在──かつては実在していた幽精などのファンタジックな"伝統"は、西洋の影響を受け実在しないことになり、神の言葉は信頼されなくなる。なぜある"伝統"は今なお信頼され、別の"伝統"は信頼されなくなってしまうのか?

ポスト=フィクションの時代

また、現代は人々の生活の比重がコンピュータへとより重く寄りかかりつつある。ネット上の友人関係が現実以上の重みを持つようになり、ゲーム上のキャラクタが現実の問題と同じぐらい深刻な問題として語られる、絶えざる変革の時代。

そんな仮想と現実が当たり前のように入り混じった現代のことを、作中では"ポスト=フィクションの時代に生きている"と表現している。我々は宗教から驚異と畏敬が失われた時代を経て、自然にファンタジックな世界観を受け入れる世界観に再度到達した現代は、ある意味では原点回帰ともいえる状況にあるといえるのかもしれない。

本書が描くのはそんなファンタジィと現代科学が共存する世界なわけだけれども、それが端的に現されているのは"本"にまつわる事柄だ。たとえばアリフ君が受け渡された本は、人によって異なる形で復号化できる世界の本質ともいえる情報が記載されている暗号文書だが、プログラマであるアリフ君はこれをコードとして復号化することで特異なコンピュータを生み出し、物語は加速度的にその規模を増していく。

おわりに

幼馴染の女の子ダイナが、ヴェールを絶えずかぶっており、アリフ君自身何年も顔を見ていないという設定も恋愛ものとして新鮮で素晴らしかった。やたらと物語のように大げさな語りをしたり、なかなか幼馴染の思いに気づかないアリフ君は幼いといえるけれども、女の子を真剣に守ろうとする彼のキャラクタは強く、好感が持てる。

無数の論点が仕込まれていながらも物語としては見事まとまっており、キャラクタも魅力的とくればこれはもうデビュー作とは思えない完成度。大いに期待しながら著者の今後の作品(とその翻訳刊行)を待ちたい。

*1:TYPE-MOONの一連の作品における魔術とほぼ同じだし、この魔術設定自体が新しいというわけではないのだが。