本書『ビアンカ・オーバーステップ』は元々筒井康隆がはじめてライトノベルを書いたという触れ込みで発売された『ビアンカ・オーバースタディ』のあとがきで存在を明かされ、「誰か続篇を書いてくれ」と後に託された作品であった。それをデビューもしていない著者が勝手に書いて新人賞に応募してしまったものの書籍化である。
狂人かな?
読み終えて思ったのは著者は狂人なのだろうなということである。何しろあまりにおもしろい。章ごとどころかシーンごとに文体が切り替わり、コメディからシリアスまでなんでもこなす。さすがに勝手に続篇を書いてくるだけあって、文体から内容まで含めていくつもの筒井康隆作品を果敢にオマージュとして取り込んでいく。
メタフィクションであり、パラフィクションであり、もともと原作がラノベとして書かれたのだから入れようといわんばかりに能力バトルと異世界要素を投入し、その上ド級のSFとして成立させている。そんな量は不可能だろうと思うほど多くの要素を混在させ、観念を広げていき、うまくまとまっているとはとてもいえないが、崩壊しそうで崩壊しないぎりぎりのところで形を保ったまま最後まで走りきってみせる。
「(ネタ元もすぐわかる)ラノベ要素を寄せ集めて、筒井康隆らしい皮肉を盛り込んでそれなりにストーリィと描写を成立させたな」程度の作品であった『ビアンカ・オーバースタディ』より圧倒的に強い。明らかにおかしいのは、こんな作品を書く能力があれば、真っ当にオリジナルな作品を書いてラノベの新人賞なり、早川のSFコンテストなり、文学賞はちとわからないが、どこにでも好きなところに送れば何の反対にもあわず大賞を受賞できるはずである。このレベルの才能を逃す馬鹿はいない。
それなのに、別に出版社が公式に募集したわけでもなんでもない、却下されても何の文句もいえない勝手な二次創作を(原作者が続きを書いてくれといったとはいえ)、賞に応募するなどというのはやはり著者は狂っているとしか思えない。まあ、あとがきで自分をアホ呼ばわりしているので、アホといったほうが適切かもしれないが──というわけで大変凄まじい作品である。以下簡単に紹介してみよう。
簡単にあらすじとか
何しろ闇鍋のように無数の要素が混在している本作だからどこから紹介したもんかなといったところだけど、あらすじについてはシンプルである。簡潔に言えば、前作主人公であるビアンカの妹、ロッサ北町が、突如として消失──家出や誘拐などではなく現実から文字通り"消えてなくなった"ビアンカを探し求めて、過去から未来を渡り歩き、最終的には世界すらも軽く超えて飽くなき探求を行うお話である。*1
あらすじがシンプルなのは確かだが、構成は複雑。何しろ一章は、遠未来を舞台にし、異世界の観測に成功した研究者らが、初の異世界旅行者を発見する場面から始まるのだ。その異世界旅行者こそがロッサ北町である。なぜ彼女が現代を離れ異世界に転移することになったのか──は、物語が進むうちに明らかになっていく構成だ。
二章からは現代パートになり、ロッサ北町は謎のビアンカ消失現象を阻止するために(前作に出てきたタイムマシンで)いったん過去へ行き、調査を進めるうちに何故か最未来人と呼ばれる最初にタイムマシンを作り出した存在に狙われるようになる。
ジャンルについて
最未来人の襲撃をタイムマシンにのって逃れたロッサ北町を待ち受けるのは、遥かに文明が進歩した未来世界。人々は〈リプラント〉と呼ばれる脳みそとコンピュータをつなげる手術、情報を取得できる〈グラス〉など、未来世界の道具立ては全般的にちと古いが、現実と仮想現実、存在と非存在、形而下と形而上──並行世界の観測といくつもの議論を踏まえることで、物語はメタフィクション展開へと雪崩込んでいく。
幾つもの筒井康隆作品へのオマージュに満ちているが、"想像"が現実を侵食していく光景はまるでパプリカの圧倒的なパレードのようだし、エピグラフに書かれた、"形而上、形而下問わず、すべての空間上、すべての時系列上、すべての並行世界上の物事を、あらゆる感覚でもって知る存在に、探究心は宿りうるか?"という問いかけは『モナドの領域』を思い起こさせる──というか作中で直接言及されさえもする。
すべての要素を包括するジャンル名をあげるならばワイドスクリーン・バロックということになるだろう。奔流のようなアイディア、科学用語をふんだんに用いて矛盾があろうともとにかく風呂敷/世界観を広げまくるスタイル。取り扱うのは個人のドラマを超えて人類、宇宙といった広い領域と長大な時間感覚での観念であり、最終的には宇宙の果て、世界の成り立ちまでもを取り込んで見せる。百合要素もあるっちゃああるので最近だとSFコンテストで特別賞を受賞した草野原々『最後にして最初のアイドル』も彷彿とさせるが、近いのはA・E・ヴァン・ヴォークトとかの方かな。
ここでは多くを明かせないが、"いかにして全知の存在になるのか"というテーマの一つへの答えや、作中の展開に対して数々の先行作品(『涼宮ハルヒの消失』とか)がセルフツッコミに用いられるのとかといったひとつひとつの要素が実に現代的。最後の1行までどころか、ついつい最初の1行に戻ってしまうぐらいに楽しめるだろう。
おわりに
まあ、欠点のない作品ともとてもいえない。本筋に関係ないギャグはダダ滑りしているよなと感じる部分も多いし、太田が悪いネタはもう飽きたよと心底言いたい──とはいえ本書が目指したであろう高み、志はよくみえる。次々と異常な事態が起こり、しかもそれが破綻なくまとめられていくのでページをめくる手が止まらない。
何より『ビアンカ・オーバースタディ』の続篇として求められる機能をすべて備えている、"あまりにもうまい"作品だ。この後も作家として活躍するのかどうかはさっぱりわからないが、ひとまず筒井康隆を軽やかに飛び越えていったこの新たな才能の出現をおおいに祝いたい。これからも、おもしろい作品を書いてくれますように。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
↑『最後にして最初のアイドル』へのレビューはこちら
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↑ベイリーのワイドスクリーン・バロック
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A・E・ヴァン・ヴォークトのワイドスクリーン・バロック
*1:前作『ビアンカ・オーバースタディ』について軽く書いておくと、未来人がやってきて、ビアンカが未来世界の存亡に関わる話であるが、本書において重要なのはその時に用いられたタイムマシンと、タイムマシンを他の人間から見えなくする"ウブメ効果"の設定ぐらいなので、特に読む必要はない(本作である程度補完されるし)。