基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

時をかけてセックス──『時間線をのぼろう』

時間線をのぼろう【新訳版】 (創元SF文庫)

時間線をのぼろう【新訳版】 (創元SF文庫)

本書はロバート・シルヴァーバーグによる、かつて邦訳された時*1は星雲賞も受賞した作品の新訳版になる。ロバート・シルヴァーバーグというと、海外SF作家としては有名だが、日本では80年代なかば以降翻訳も減り、その作品を読む機会もあまり多くはない。僕もいくつかは読んだことがあると思うがとんと記憶になく、話題にも最近はめったに上がらないから、「まあ、名前は知っている」という作家である。

何故今回また作品が新訳されることになったのかよくわからないが(もちろんいいことだけど)、読んでみればこれが非常におもしろい。タイムトラベルが実用化された世界で、いかにしてタイム・パラドックスを回避するのか、あるいはタイム・パラドックスが発生するとしてそれはどのような理屈で起こるのか──といったことを世界観として緻密に描きこんでドラマに連結させていく、シンプルな時間SFである。

ただし、やたらと自身の先祖とセックスしたがる男たち、自分自身の先祖を殺し壮大な自殺を決行しようとするアホ、とキャラクタは愉快なアホ揃いだし、活き活きと薀蓄たっぷりに描かれる歴史的な名場面の数々、時をかけてセックス、時をかけてセックス、と兎にも角にもほとんど数ページおきにセックス描写が続くなどとにかく読んでいてバカバカしくなったり笑えたり引き込まれたりと楽しむのに忙しい本だ。

ということで、簡単にあらすじや世界観、読みどころを紹介してみよう。

簡単にあらすじとか世界観とか

舞台となるのは"過去限定"でタイムトラベルができるようになった2059年。そんな世界では当然あらたな仕事が生まれるわけだが、大きく分けると二つある。時間の整合性を守り、タイムパラドックスをひきおこす輩を引っ捕らえる時間警察。もう一つは観光客を歴史的な場面に案内する時間観光局だ。物語の主人公たるジャド・エリオットは、この時間観光局の新米ガイドとなって、タイムパラドックスの各種理論、この世界の"時間"がどのような性質を持っているのか──などなどを学んでいく。

タイムトラベルができるSF作品は多いが、その中でも大きく分けると二つある。まず過去なり未来なりにいってそこでタイムトラベラーが何かすると、世界は分岐してしまいまったく別の世界として存在するようになるタイプ。もう一つは過去を改変すると未来まで変わるタイプだ。本作はおおむねその後者の側に属する話である。

色々と読みどころの多い本作だが、まずこの時間についての各種理論が抜群におもしろい。たとえば後者の世界では、キリストが何事かを成す前に殺してしまえば、その後の世界は大きく変わってしまう。タイムトラベル出来るのだからその実行は比較的容易であり、この世界では実際起こってしまっている。しかし歴史は書き換えられていない。というのも、犯人が殺害を実行した場合、それを検知した時間警察が犯人の犯罪を実行する直前までタイムトラベルし、事前に殺害するからだ。そうするとそもそも犯人が出発前に死んでいるので、キリストの殺害もなかったことになる。

「それはおかしい、キリストが死んだ時点で未来は改変されるから、殺された後犯人を殺害しに行くなんてできるはずがないじゃないか」というのは真っ当な疑問だが、これに対する答えも用意されている。タイムトラベルした人間は時間マトリックスから切り離されるので、出発点に戻るまでは歴史改変の結果を受けずに「書き換えられた現在/状況」と「自分がもといた出発点の状況」の二つの世界を認識できるのだ。

これを本書では〈時間線分離パラドックス〉と呼んでいる。他にも、「キリストが磔にされた現場にあらゆる時代のあらゆる人々が観光に押し寄せたら何千億人もそこに未来人がいることになるんじゃないの?」という問題も発生するはずだが、なぜかそういうことは起こっていない。こちらは〈観衆累積パラドックス〉と呼ばれる。

頭のおかしな同僚たち

とまあ、ジャド・エリオットはこうした理論を学びながら一人前のガイドとして成長していくわけだけれども、彼の周りにいる同僚がまたおかしなやつらばかり。

同僚の一人であるカピストラーノは、旅先で自分の先祖をひたすらリストに加え続け、『戦略上もっとも有効な人間をさがすんだ──なるべく罪深いやつを見つけてやる、なんの罪もないのを殺したりはしない──そいつを消去することによって、自分を消去するんだ。』と他人と歴史を巻き込んだ派手(迷惑)な自殺を計画している。

一方メタクサスもカピストラーノと同じく自分の家系をたどることに情熱をもやしているが、こちらは「長時間血族相姦」、まあつまりはかなり遡った祖先とヤる、場合によっては子供を孕ませてしまうことを目的としている。『「だが、おれのばあさん、これが第一号だ! それから、大ばあさん四、五人! そのおふくろも、そのまたおふくろも!」彼の目は輝いていた。これは彼にとっては神聖な使命なのだ。「もう二、三十世代はかたづけた。だが、もっともっとやってやる!」』

何真面目な調子でバカなことをいっているんだ、という感じだが、次第にジャド・エリオット君も自分の祖先に興味を向け始め、仕事そっちのけでヤるために過去に飛び続けているうちに、一人の客がこっそり別の時間に飛んでしまい、ジャド・エリオット君はパラドックスを発生させまくりながら時間の流れをしらみつぶしに探す必要が出てくるなど、大層面倒な事態に発展してしまう!

おわりに

果たして、ジャド・エリオットは客を連れ戻し、警察の追及(客の監督不行き届きは重罪)を逃れることができるのか、そして美人な祖先とヤりまくることはできるのか──。タイムトラベルの動機がほぼ性欲絡みであることも手伝って、全体的に何も考えずに書いたようなスピード感なのだが、最終的には無数に出てきた時間パラドックス/理論の数々を総動員したようなオチに見事に繋がっていくのはさすがの一言。

現代でもタイムトラベルは実用化されておらず(当たり前だ)、タイムトラベル理論が古びることもないので、今読んでも当時と遜色なくおもしろい一冊だ。これでロバート・シルヴァーバーグ復刊・新訳の流れが出来てくれたら嬉しいが、どうかねえ(そもそも他にたくさん訳して欲しい作家がいるのもあるが)。

*1:もともとのタイトルは『時間線を遡って』