Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で
- 作者: イブ・ヘロルド,佐藤やえ
- 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
- 発売日: 2017/06/10
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
エンハンスメントは格差を広げるか?
たとえば失明した人の視力回復、アルツハイマー病患者の記憶力を回復させるといった技術は、単なる"回復"の枠を超えて、視力増強、記憶力増強、認識力の改善といった形で"エンハンスメント"の領域に踏み入る可能性がある。現状すでに、ナルコレプシーを治療するための薬を覚醒と集中力を高めるために使っているケースが存在するし、人間の寿命を延ばすための研究が各方面から行われ成果も上がっている。
問題は、脳機能の増強、寿命を延ばす、といった人体に対する強化・増強を受けることのできる人と受けることができない人が分かれることで、大きな格差が生じるのではないか、という点にある。新しいテクノロジーは一気に広まるわけではないから、まず金のある人々のみ寿命が延び、あるいは知的能力が向上することで、エンハンスメントを実行できない層がどれほど努力しようとも絶対的に追いつけない──となった場合の社会は想像したくないものだ(絶対暴動が起こるでしょそんなの)。
一方で、現在も医療は国によっては保険によって大半がまかなわれ、所得の差に大きくは左右されずにある程度均一的な治療を受けられるケースが存在するのだから、エンハンスメントもその範疇に含めればいい、という主張もある。その場合"どこまでが平等的に強化されるべき部分で"・"どこからは自由に金を払って強化すべき部分なのか"というまた別の問題が立ち上がってくることになるが──というわけで、本書が扱うのは、こうした進歩するテクノロジーに対する生命倫理学の分野になる。
人工臓器に伴う倫理的な問題
我々のテクノロジーが将来的にどこまでできるのか、というのはわからんので議論さえも不可能な問題も多いが、現状で既に起こっていることについては具体的な議論が可能である。先に書いたエンハンスメントについてもそうだし、進歩著しい人工臓器周りの問題は今特に(恐らく、これからもしばらく)ホットだ。
たとえば、全置換型人工心臓を使えば、心臓疾患を持ち命を失うリスクのある患者であっても、自分の心臓を取り除いて生きていくことができる。現状はまだチューブが腹部から出ている、6キロほどの駆動機を背負わなければならないなど患者の困難は多いが、患者の体内で完結する人工心臓も開発中でいずれ実用化するだろう。
で、人工心臓自体は生きたい人にとっては素晴らしいものだが、このデバイスをいつ停止させるのかというところで倫理的な課題が発生する。たとえば、人工心臓を使っていた患者が脳卒中を起こし脳死状態になったケース。その場合でも人工心臓は患者の血液を循環させ続けるから、脳は死んでいても身体は生きているように見える。
それは脳死患者から人工呼吸器を取り外すかどうかという問題とほぼ同じじゃん? と思うかもしれないが、人工呼吸器を取り外す時は時間をかけて死んでいくのにたいし、人工心臓を止めると即死ぬのと、反射反応として痙攣や喘ぎが起こる可能性がある。つまり、外すと決断し実行したらすぐに(見た目的には)苦しみながら死んでいくようにみえるのであって、実行する方からすれば強い罪の意識に直結しかねない。
この件について、患者は医師に判断してほしいと思っているが、医師はその責任は患者にあると考えているそうだ(まあ、死の決断を下したくはないだろう)。つまり、"誰が決めるのか"といった議論は停滞したままだ。今はまだ多くないが、腎臓、肺、肝臓それぞれで人工デバイスの開発が進んでいる現状、これから先、即、死に繋がるデバイス停止の判断が困難なケースはより増え、複雑化していく一方だろう。
とまあ、この他にも人工臓器を入れている患者が、自身でデバイスの使用を停止=死を自己決定する権利はあるのか? などなど無数の倫理課題が人工臓器周りには残っている。本書はそれらについて結論を出すわけではないが、現状どんな議論が出揃っているのか、といったところをまとめ、整理してくれている点がありがたい。
人工臓器の進展
そうした倫理面でのジレンマとは別に、個人的におもしろかったのが人工臓器が今はここまでできるんですよ、と紹介されている部分。自己完結型(チューブとかが出ないし、バッテリも充電しなくていい)の各種臓器の開発が順調に進んでいるというのも驚いたし、胸部に埋め込まれ、心臓からの血液が流れ込み濾過され、気体分子だけを通す過程で二酸化炭素を酸素と交換する人工肺なんてものもあるらしい。
最新の人工膵臓の一つは、血糖値を連続的に読み取る装置とワイヤレスでデータ通信をする機能を備えたインスリンポンプに繋がっている。患者はブルートゥース経由でアプリで血糖値データを受け取り、自分が何を食べたかなどの情報を入力することで、アプリが血中に放出すべきインスリンの量を適宜決定してくれるという(当然注射もしなくていいし、デバイスにおまかせできるようになり負担が軽くなる)。
もうここまでくと、人工臓器どころかアプリまで含めて一個の生命体という他ない。
おわりに
後半では脳の機能強化がどこまで可能なのかに対する現状の紹介に加え"脳機能が強化可能な場合、どこまでそれを許可すべきか"という新たな課題が浮かび上がってくる。脳機能の強化を否定する理由も肯定する理由も無数に考えられるが、仮に脳内にデバイスを埋め込んで情報を取得/操作できるようにした場合、個人が所有する思考という重要なデータへの監視/ハッキングなどさらなる課題が発生するだろう。
『そして、私たちは最終的に、「人間(human being)」が持つどの形質が最も恒久的で基本的であるかを、はっきり知るのかもしれない─それこそが、真の人間の本質の定義だ。』というように、人間性自体も移り変わっていく。議論すべき課題は多く、それに対して変化はあまりに早い。極端に空想的な題材を扱う部分についての議論はフワフワしていて微妙だったが(精神のアップロードの倫理的問題について語るところとか)、おおむね具体的な事例に即した内容で、ぐいぐい読ませる一冊だ。