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親の影響はどれぐらい?『子育ての大誤解――重要なのは親じゃない』

子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

子育ての大誤解〔新版〕上――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

子育ての大誤解〔新版〕下――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

子育ての大誤解〔新版〕下――重要なのは親じゃない (ハヤカワ文庫NF)

子どもにとって親の影響はどれぐらい存在するものなのだろうか? 個人的な話をすると、小学生ぐらいの頃から浴びるように本を読んでいて、親(や親戚や先生)が言っていることよりも本に書いてあることの方が役に立つと知っていたから、何を言われても聞いていなかったし指示にも従わなかった。物心ついた時から親とは考え方も性格も大きく異なり、親の影響といえるものが自分の中にあるかといえば疑問である。

それはあくまでも僕個人の話ではあるが、では一般的にはどうなのだろうか? というのを明らかにしたのが本書『子育ての大誤解――重要なのは親じゃない』である。これによると、副題でもう結論が出てしまっているが「親の影響はごくごく小さい」というのが近年の研究の暫定的な結論として導き出されている。親が仕事をしようが、本を読もうが、酒を飲もうが、わずかな影響しか与えない。住んでいる場所がアパートだろうが広い農家だろうが、菓子をよく食べようがたいして変わらないのだ。

たとえば第一子と第二子では親の扱い方が変わるので、性格にも変わりがあるのではないかと思うかもしれない。だが、これも綿密な調査(一つの判断だけでなく、直接的観察、性格テスト、親や兄弟、教師による判断など)を経ても、出生順位による性格の違いといった仮説を立証することはできなかった。複数の子がいる場合、親の愛情が偏るのは確かなようだが、それは特に性格に影響を及ぼさないようだ。

保育園に子どもをやろうが、実の親が育てようが育てなかろうが、親が同性愛者であろうが、子どもの性格には影響がない。一人っ子、二人もしくは三人のきょうだい間の恒常的な違いも、ない。じゃあ結局親はなくとも子は育つ、親が子にしてやれることは何もないのかといえば、そういうわけでもない。近年の行動遺伝学では、養子縁組によって成立したきょうだい、一卵性双生児、二卵性双生児それぞれのペアによる比較調査を行うが、その結果には明白な一貫性がある。『総じて、被験者間の違いのほぼ五〇パーセントは遺伝によるもので、残り五〇パーセントが環境の作用である』

親の影響はどれぐらい?

遺伝要因も相当に大きいわけだが、本書で問題となっているのは主にこの「環境の作用」のうちどれぐらいが親の影響なのかということで、それはかなり小さいというのが先に書いた結論ではある。では「環境の作用」の中で具体的に影響力が強いのは何かといえばそれは友人関係であったり、学校であったり、その中に存在する男集団、女集団、その中の二、三人の小集団といった、個人が所属する「集団」である。

たとえば移民の子どもは、親が全く現地の言葉がしゃべれないのにあっという間に順応して新たな言語を習得してみせる。そうした「集団」が結局のところ子どもに影響をあたえるというのであれば、親の影響は直接的には多くなくとも、間接的には少なくないといえる(大きいと言い切れるかというと、下記引用部のようにちと微妙)。

 子どもは成長するにつれ、ますます自由に自分の友だちを選ぶことができるようになる。これもまた子どもたちが本来もっている特徴を強調することになる。利発な子は学業成績のよいクリークの一員となり、利発さに欠ける子は別のクリークに属するようになる。同じ集団に属する仲間から影響され、利発な子は学業でもよい成績をおさめたいと思うようになり、その結果彼はいっそう利発さが増すことになる。悪循環ともなりうるが、この場合はもちろん悪循環ではない。

また、ここまで読んでも「そうはいっても子は親の影響をダイレクトに受ける」と考えている人もいるだろうし、実際それは正しい。たとえば癇癪持ちの親の子は同じく癇癪持ちのように見えることがあるし、親の行儀が悪い場合子の行儀も悪くなり、親が離婚した場合何らかの影響、変化を子どもは受けているように思う/みえるケースは確かに多々ある。だが、それは状況の作用に大きく寄りかかっているのだという。

たとえば研究者は、離婚した子どもの影響について、大抵の場合「親」にアンケートをとるが、その時の親は離婚の混乱期にあり、決して中立的な観察者とはいえないのである。親の育児態度に関する同じアンケートを、親と子にとると、その結果はまったく一致していない。『子どもに対する親の行動は、親と一緒のとき、または親を連想する状況で、子どもがどう行動するかに影響を及ぼす』というように、親の目の前では影響があるようにみえても、親がいない場にまで影響があるわけではないのだ。

おわりに

本書ではその他にも、文化の伝達経路、子どもにとって学校とは何か、体罰や虐待は子どもに影響をあたえるのかなど、時に人類史まで言及しながら、人類の教育について包括的に語り尽くしてみせる。本書の原書は98年に出たものだが*1、当時(本国で)大批判を浴びたようだ。当時主流の研究は親が子に影響を与えることを前提としていたし、影響が少ないなんて言われたら頑張って子育てしている我々の努力は無駄なのかと子育て世帯の怒りを引き起こすだろうから、批判は容易に想像がつく。

逆に言えば子育てにおいて親は気負う必要がない、親に至らないところがあっても、大した意味なんかないのだと楽にしてくれる内容でもある。ただでさえ子育てはそれぞれオンリーワンの仕事であり、失敗は許されないと親は気負いがちであるのだから、親にとってその価値は大きい。子育てを今していたり、予定があったり、教育に関わる人にとっては必読といえる一冊だ。原書刊行から20年近くを経て、本書の内容が覆されるどころか、より裏付ける研究が増していることからもそれがわかる。

*1:日本では2000年に同じく早川から出ており、本書はその文庫版にあたる