- 作者: サイモン・ホロビン,堀田隆一
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2017/09/21
- メディア: 単行本
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別にesがつこうがsがつこうがどっちだっていいじゃねえか、と中学生ぐらいの時に思ったものだったが、これがどっちでもよくないのである。たとえば第44代アメリカ合衆国副大統領ダン・クエールはpotatoesの単数形を「potatoe」だと勘違いしてスペリング競技会でどや顔で(これは想像だが)その思い込みを披露してしまったがゆえに、アメリカとイギリスで嘲笑としてトップニュースへと躍り出ることになった。
その後彼は5ヶ月もたたないうちに選挙戦で負け、職を追われることになるが、彼は自叙伝のうちの一章をこの事件について割き、単にそうやってフラッシュカードに表示されていたのを読んだだけだから自分のミスではないと言い張ったそうである。たかだかスペリングのミスなんかどうでもいいじゃねえかと思いもするが、日本でも政治関係者の読み間違い、漢字の覚え間違いは嘲笑の的であり「その立場にある資質を疑わせる」要因になってもいる。たかがスペル、されどスペルなのである。
というわけで本書『スペリングの英語史』は、「なぜ英語のスペリングがこれほどまでに予測不能なのか」、その変遷を解体する一冊である。中性所有格代名詞itsと省略のit'sがこんなにもわかりにくい形で異なるのはなぜなのか。betray(裏切る)、betrayed(裏切った)というように母音が先行する場合はyが保たれる規則があるが、lay(横たえる)/laid(横たえた),pay(支払う)/paid(支払った)など幾つもの例外が存在している理由はあるのか。英語のスペリングはまるで例外のほうが多い規則だ。
英語のスペリングがなぜそれほどまでに予測不可能なのか。その理由は、語彙が他の言語に由来する多くの語から成り立っており、それらの語がもともとのスペリングのままで受容されてきたからである。(……)本書は、不用意なスペリングを改善したい熱心な綴り手のための独習本ではなく、英語のスペリングがなぜ現在のようになっているのかを説明する試みである。英語のスペリングの一貫性のなさと複雑さを嘆くのではなく、それらの特徴がどのように発展し、英語の魅力的な歴史についてわれわれに何を語りかけているのかを示したいと思う。
気軽な気持ちで読み始めた本書だったが、最後にはknight(騎士)のように発音されない「k」に込められた歴史に思いを馳せ、単なる意味を表す記号に過ぎないと思っていた単語の一つ一つに深い歴史と愛着を感じるようになってしまった。英語のスペリングには面倒ところもあるが、そこには他文化を吸収してきた歴史があるのだ。
言語に歴史あり
英語のスペリングが他言語を受容してきた歴史(また、それにより予測不可能になった経緯)とはどのようなものなのだろうか? たとえばcity(都市)という単語はフランス語からの借用語であり、そのため/s/音を表すのに〈c〉を用いるフランス語の習慣を踏襲している。また、ciabatta(チャパタ。イタリアのパン)はイタリア語からの借用語であり、/t∫/に〈c〉を用いるイタリア語の習慣を踏襲している──というように、来歴によって発音と文字の対応づけが大きく異なるために、英語の発音、スペリングは決して”一貫したわかりやすい”ものではなくなってしまっている。
そうした受容の歴史とは別に、英語の起源としては、古英語と呼ばれる紀元650年から1100年のあいだでアングロサクソン人に用いられた英語の変種がある。この古英語単語の大多数はゲルマン語由来であり、この言語では新語の形成が必要なときには2語をつなぎ合わせていたというが、たとえばその性質は現在の英語にまで引き継がれている(lunchbox,motorway, railway stationなどなど)。
それ以外にも古英語の歴史は今なお英語の単語に色濃く残っている。たとえば「knight」の頭のkは発音されない(黙字)のが普通だ。これは現代の英語学習者にとっては無意味に混乱させる文字ともいえるが、なぜそんなものが入っているのかと言えば元は古英語の中に「cniht(クニヒト)」として含まれていたのである。同類の物としてknot(結び目。発音はnάt)も古英語では「cnotta」であり、現代人の我々にとっては一見無意味な「k」も、アングロサクソン人の言語との繋がりの証なのである。
修正しようとしてきた歴史
さあ、とはいえ「いや、そうはいっても発音しない字が入っているとかわかりにくいじゃん。直そうぜ」というのは真っ当な考えといえるし、事実幾人もがスペリングをわかりやすく体系化する試みに挑戦し、失敗(一部は成功)してきた。本書にはそのあたりの経緯も、何が問題だったのかを含めじっくりと解き明かしていってくれる。
スペリングは発音を反映すべきであるという理想を追い求め、正書法を変えるのではなく発音を変えよと主張する者、英語は英単語の音と同じ数の文字を含んでいるべきだと主張する過激派など、「何が正しいスペリングなのか」をめぐる論争は時代を超えて引き継がれ続け、今なお絶えることがない。現在もメッセージをより省略した形で送りたいという欲望から、2moro(tommorow),4ever(forever)などの特殊な省略形スペリングが生まれていたりもする。
どのようなスペリングがあるべき姿なのかについて、著者の結論は容易な取り壊しや立て直しではない。『英語は歴史を通じて多くの他言語と接触してきたのであり、それらの言語はすべて多かれ少なかれ英語の構造、スペリング、語彙に痕跡を残している。それがわれわれのスペリング体系に与えてきた特異性を取り除いてしまえば、その歴史の証拠を消すことになってしまう。』もちろん他の立場にはまったく別の利益があるわけだけれども、これはこれで十分説得力のある理屈であると感じる。
おわりに
スペリングの英語史を辿り直し、さらにこれから先のスペリング体系はどうあるべきなのかまでを問い直す、非常に重厚な一冊であった。その上、そこまで英語を特異としない日本人読者としては、いくつもの単語を(それもわりかしスペリングを間違えやすい)起源からみっちり辿り直してくれるので、なんだか本書を読んだだけで単語の記憶数が100ぐらい上がったような気がする副産物もあった。
なんにせよ、これから先、英語をより深く理解するためには必須の本だ。