- 作者: ジェニファー・ダウドナ,サミュエル・スターンバーグ,櫻井祐子,須田桃子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/10/04
- メディア: 単行本
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僕などは最初、ゲノム編集というぐらいだから、微小なメスみたいなものを使って、ゲノムを切ったり貼ったりする技術なのかなと想像したものだが、実態としてはだいぶ異なる。後ほど詳しく紹介するが、細菌や古細菌にはCRISPR/Casと呼ばれる、ウィルスへと対抗するための免疫防御システムが存在し、その防御システムのメカニズムのひとつに、特定のDNAをバラバラにして切断するという反応が存在する。
CRISPR/Cas9とはそれを任意で利用する。つまり、CRISPR/Cas9とは我々が本来持っている機能を意図的に誘発させるものなのだ。DNAの切断がやっとだったその技術も、今では文章を編集するようにしてDNAを書き換えることができるように進歩してきた。それが意味する所はあまりにも大きい。何しろほとんど生命を作り変えることが可能になったのと同義である。ムキムキの犬をつくりだし、ブタの遺伝子をヒト化して、育てた臓器を人間に移植する異種間移植の技術もここから生まれ得る。
病気もゲノム編集によって対処することが可能である。『たとえば変異遺伝子の損傷部分だけを取り除き、それ以外の必要な部分を残すことによって、デュシェンヌ型筋ジストロフィーを引き起こすDNAの異常を修復する実験が成功している。』あまりにも大きすぎる変化、技術は、倫理的な議論も呼び起こす。技術的にはヒトの胚に対して改変を施すことも可能だ。だが、その場合我々は"どこまでそれを許容するべきなのか"。病気を治す。素晴らしいことだ。だが、あらかじめ頑強な身体、あるいは知能に関連する部分を増強する、それはどこまで許されるのだろうか?
本書の著者の一人ジェニファー・ダウドナはRNAを専門とする、CRISPR-cas9の開発者だ。本書ではゲノム編集の前史から、技術的に重要な意味を持つ部分に焦点をあて、これを用いて何が可能になり、何を議論していかなければならないのかを一通り解説してくれている。信頼感もあってわかりやすく、同時にこの可能性を見出した時の興奮、実際に可能だとわかった時の狂乱がしっかりと描き出されていく。
CRISPR/Cas9についてもう少し詳しく。
まず、CRISPRとは何かといえば、細菌DNAの領域を指し「クラスター化され、規則的に間隔が空いた短い回文構造の繰り返し(Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeats)」の略である。わけがわからんかったが、細菌のDNAには同一の配列が繰り返しがみられ、これのことを指している。
近年の研究によってこのCRISPRはウィルスへと対抗するための、細菌の免疫防御システムであることがわかってきた。このシステムは侵入したウィルスのDNAを切断し、それを細菌自身のCRISPR配列に取り込む。これは短鎖CRISPR RNA(crRNA)を産む鋳型として機能するが、このcrRNAが生み出すガイド機能によって、将来的に再度感染したときでも、過去に攻撃されたことを認識して、ウィルスのDNAを再び破壊/切断することができるようになる。
またCRISPRの近くにはほぼ必ずcasと呼ばれる遺伝子群が存在し、そのうちのCas9酵素がRNA分子(crRNAとcrRNAをCas9につなぎとめるtracrRNA)にガイドされて「ここだー!!!」とばかりにDNAを切断する。Cas9は抗ウィルス作用に際して必要不可欠な存在であり、実行犯なので、CRISPR/Cas9というわけだ。crRNAによる誘導の精度は非常に高いので、うまいことやれば我々はCas9をプログラムすることで、目当てのDNAのみを切断することができる。
切断するだけ?
切断するだけ? それ意味ある? と思うかもしれないが、切断だけでも意義深い。たとえば細胞は損傷したDNAを修復するためのシステムを持っているが、わりといい加減なので、切断されたものをつなぎ直す際に永久的な遺伝子変化が生じる。そのおかげで、特定の遺伝子の能力を破壊すれば、意図的にアルビノ(色素欠乏)のマウスだったり、何らかの遺伝子の発現を抑制したマウス(生物)を作ることが出来る。
また、それとは別に細胞内にはDNAをカット&ペーストする酵素も存在しており、これとCRISPRによるDNAの切断を組み合わせることで有害な遺伝子変異を正常な新しいDNAに永久に(遺伝もする)置き換えることもできる。これはいうまでもなく革命的なことだ。生命のコードを書き換えるということなのだから。
可能なこと、その限界、倫理的な議論。
そうした技術を用いてできることはありすぎる。象ゲノムをマンモスゲノムに近づける、ブタをヒト化する、不妊化させた蚊を作り出す、遺伝子異常に起因する病気を治療する──。だがそうした強大な力は一歩間違えば大惨事を発生させかねない。たとえば各染色体を二本ずつ持つ種間の有性生殖では、子は父親と母親から染色体を一本ずつ受け継ぐため遺伝子変異が子に伝わる確率は50パーセントだが、CRISPRを用いることで子に特定のDNA断片を100パーセント受け継がせることができる。
こうした遺伝子ドライブと呼ばれる技術によって、ハエの体色を遺伝させたり、蚊を死滅させたりといったことが可能になる。『不妊は劣性の形質だったため、この遺伝子は頻度を増しながら集団全体に急速に広がり、最終的に十分な数のメスが変異遺伝子のコピーを二つ獲得すると、その時点で集団全体が突然死滅した。』「蚊を絶滅できる! ラッキィ」と喜びたいところだが、蚊やハエの形質が実験室から自然界に流出し遺伝子ドライブが止められなくなった時のことを考えると恐ろしい。*1
もしも初めての遺伝子ドライブ実験中に、一匹のショウジョウバエがサンディエゴの実験室から逃げ出していたら、CRISPRをコードする遺伝子と黄色い体色の形質が、全世界のショウジョウバエの二〇%から五〇%に広まっただろうと推定されている。
当然ながら生命の性質をいつでも変えられるとして、「いつ、どのように変えるべきなのか」という問題も立ち上がってくる。病気を治療するのは良いことだ。では、強化はどこまで許されるのか? 遺伝性疾患をなくしたとして、短期的にはともかく、長期的に問題はないのか? ブタをヒト化する、特定の生物を絶滅させるなどということが倫理的に許されるのか? こうした問いかけに答えは出ていないというか、おそらくはこれからもずっと議論し、暫定的結論を更新し続けていく必要がある。
おわりに
ただ、そうした議論を社会的に行うためにも対象の技術への"理解"が広く行われていなければならない。本書の意義はそこにあるし、今後の生命の在り方を一変させる技術を我々が知らなければならない理由でもある。と、そんなに大上段にふりかぶらなくとも非常におもしろい一冊なのは確かなので、オススメしたいところだ。
*1:もっとも、科学者らは十分にこの危険性を認識しており、徹底した封じ込めを実行し、さらに洗練させている。また、万が一流出した場合に備えて遺伝子ドライブによって導入された改変を上書きする、逆ドライブと呼ばれる手法も生まれている。