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理性的な狂人──『人間をお休みしてヤギになってみた結果』

人間をお休みしてヤギになってみた結果 (新潮文庫)

人間をお休みしてヤギになってみた結果 (新潮文庫)

つい最近も僕は『動物になって生きてみた』という、2016年のイグ・ノーベル生物学賞を受賞した一人の変態チャールズ・フォスターが書いた本を紹介したばかりだが、実は2016年の生物学賞を受賞した変態は一人ではなかった──!!!! ヤギになった男、トーマス・トウェイツも同様に受賞していたのだ。どちらも動物に(片方はヤギ限定だが)なって生きてみたわけだけれども、その道筋は大きく異なる。
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たとえばチャールズ・フォスターは恐らく気が狂っているので動物になって生きてみることで種の境界を越えようとするのだが、その超え方が雑である。アナグマとなって生きてみれば、もうそのまんま生身で大自然に突入しミミズを生で食い地面に落ちてぺちゃんこになったリスを食う。もう理性もへったくれもなく、ただただ不断の努力によって動物として生きようとする。一方のトーマス・トウェイツも、そもそもヤギになろうとする時点で狂人に近いが、その取り組み方はとても理性的だ。

理性的にヤギになる

まず、ヤギになろうとした場合、当たり前だが骨格が違うので四足歩行が困難だ。チャールズなら"そのまま四足歩行"しようとするが、トーマスは理性的なので四足歩行用の人工義肢をつくろうとする。全体重の少なくとも六〇%は前足にかけなければならないし、その場合後ろ足とのバランスもとらなければならない。さすがに一人でDIYをするわけにもいかないので、実際に医師や技師へと話を聞きに行き、"四足歩行でアルプスを越える"ための知恵を人間として結集しようとしていく。

本書は『人間をお休みしてヤギになってみた結果』という書名だが(原題はGOAT MAN)5章中4章は「象になろうと言い出しシャーマンにヤギをすすめられる」とか「無茶なことをするなと説教される」とか「思考までヤギになりきるために、人為的に言語野を麻痺させることができないか神経科学者に相談しにいき、言語野を一時的に麻痺させる」とか「人工装具技師に相談しにいく」とか、ようは「ヤギになるまでの試行錯誤」がメインとなっていて、これがまためちゃくちゃおもしろい。

「君は自然の解剖学的構造に制約を受けつつ、ヤギの歩行姿勢で歩く世界で初めての人間だ。ジェフと私でこの装具を作っている間に、骨盤をより広範囲で動かすことができるようにストレッチをすることと、膝腱のストレッチをして、膝が胸につくようになっておいてほしい」*1

チャールズは生で地面に落ちているミミズやリスや魚を食っていたが、トーマスはここにも科学的に挑んでみせる。ヤギは草を食うが人間は草をそのまま食うわけにはいかない。それはヤギが四つの胃を持ち、体内の微生物が草を分解することで適切に消化できるようになるからだ。つまり、理屈上は人間も擬似的な胃を用意し、ヤギが所有する微生物と同様の環境を持てば草を消化できることになる。

「そしたらその袋を僕の胴体に縛り付けて、開口部から噛んだ草をそこにはき出して培養された微生物と混ぜて、揮発性脂肪酸をもう一つの開口部からミルクシェイクみたいに出して、そうすることで僕が自分の本物の胃で消化できるようにして、アルプスでヤギみたいに草で生活することができますよね」
「いやいやいや、私だったら絶対にやらないわ」

そらそうだわ。理屈上できるからといってやるかどうかといったら絶対やらないわ。でも狂人なのでやってしまうのである──。狂人狂人と本記事ではいっているが、トーマスはもともと『ゼロからトースターを作ってみた』など、現代アート的な視点で人の物の見方を変える、みんなが当たり前に見ているものを別の確度から徹底して見てみるといった形で"現実観"を破壊する男であって、この試み自体も個人的には真っ当で、トーマスらしいと思ってはいる(それはそれとして狂人とは書くのだが)。

とてつもなく変態で、ありえないほど文章がうまい再び

『動物になって生きてみた』の記事で、僕は『こんな変態はそうそう出てくるものではないし、その変態がこれほどまでにおもしろい文章を書く事は、もはやありえないといってもいい。』と書いたのだが、トーマスは当然ながら変態で、また別の意味で文章がうまい(とぼけたような翻訳もグッド)。とにかくテンポがよく、一般的な価値観を持つ人々とクレイジーなトーマスの会話はやたらと笑ってしまう。

「なぜ君はヤギになりたいんだ?」と彼は聞いた。
「ええと、実はシャーマンに会いに行きまして、彼女が僕にヤギになれと言うんですよ〜」
「へえ、なるほどね」とマックエリゴット博士は言った。一瞬の沈黙の後、彼は続けた。「なぜシャーマンに会いに行ったんだ?」
「実は、象になろうと思って行き詰まっちゃいまして」
「そりゃそうだろうね」とマックエリゴット博士は言った。

そりゃそうだわ。とまあ、本書はこんな本です。これを読んで何か学びになるのかどうかはわからないが(ヤギの構造について詳しくなるのは確かだ)笑えておもしろい本なのは保証しよう。トーマスはもともと、自分がぱっとしないフリーのデザイナーであったり周囲の人々と比べて自分が劣っているなど、数々の人間的な悩みから離脱するために象になろうと考えるわけだが、彼と同じく人間的な悩みを持つすべての人達に勇気を与える一冊だ。何しろ、大変だったらヤギになってしまえばいいのだから。

*1:なんかロボット物アニメ(ゲーム)の導入時のセリフみたいだなあ……。