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わたしたち人間はなぜ音楽を愛するのか?──『ドビュッシーはワインを美味にするか? 音楽の心理学』

ドビュッシーはワインを美味にするか?――音楽の心理学

ドビュッシーはワインを美味にするか?――音楽の心理学

人間は音楽を聞く。通勤、通学のときはもちろん、家でゆっくりしているとき、みんなで盛り上がるとき、つらいことがあったとき、無理矢理にでもテンションを上げたいとき、退屈な作業をしているとき。我々はさまざまなシーン、用途にたいして音楽を聞いているわけだけれども、あらためて考えてみると「果たしてそれはどのように機能しているのか?」「なぜそれは機能するのか?」「音楽にはどれだけの影響力があるのか?」「人間はなぜ音楽を愛するのか?」など不思議なことが数多くある。

 わたしたち人間はなぜ音楽を愛するのか? それは音楽を聴くことが、脳に適度な刺激を与え、同時に喜びを与えてくれる最良の方法だからだ。サイエンス・ライターのフィリップ・ボールの名言を借りるなら、「音楽は、脳にとってスポーツのようなものなのだ」

と、クライマックス的な疑問に対する結論をいきなり引用の形で出してしまったが、本書はそうした音楽にまつわる各種疑問を主に心理学と脳科学的観点から解き明かしていく一冊である。「あ、そんなことがあるんだ」とか「メロディとか不協和音って科学的にはそういうことなのね」と読んでいて驚き、感心してしまう情報が多い。読み終えたときには音楽というものがわかった気になって、ろくに作曲なんかしたことがないにも関わらず、作曲ぐらいできるんじゃね?という気分になっていたものだ。

響きの科学―名曲の秘密から絶対音感まで (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

響きの科学―名曲の秘密から絶対音感まで (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

著者のジョン・パウエルの著作である『響きの科学―名曲の秘密から絶対音感まで』も恐ろしくわかりやすく、それでいておもしろく「音楽とはなんなのか」を解説してみせた好著なのだが、本書は文体のノリも事例のおもしろさもグレードアップしている。無数の事例が紹介されていくので、特に印象に残ったものを紹介していこう。

音楽はどれほど我々の行動に影響をあたえるのか?

音楽を聞くことでノリノリになったり、気分が落ち着いたりといったことは誰しも経験したことがあるだろうが、では音楽が人に与える影響はどれほどのものなのだろうか? といえば、これが当たり前といえば当たり前だがその影響は広範囲に渡る。

たとえば、ドイツの音楽が流されたワイン売り場では、ドイツ産ワインはフランス産の二倍の勢いで売れ、逆にフランスの音楽が流されたときは、フランス産はドイツ産よりも五倍の勢いで売れた。『つまり、マーケティングの一環として使われる音楽についていえば、わたしたち人間はシロナガスクジラに狙われた無力な小魚にすぎないということになる。』しかも、別に人間は「あ、ドイツの音楽だ。ドイツワインを買おう」などと意識しないことから、無意識的に音楽に影響を受けているのである。

また、タイトルにもなっている「ドビュッシーはワインを美味にするか?」も元ネタとなる実験が存在する。ロンドンのワイン試飲会で、BGMが甘美なドビュッシーの「月の光」から激しい曲調のワーグナー「ワルキューレの騎行」にゆっくりと変えていくと、それに伴って(ワインが順番に出されていった)ワインの味の感じ方も変っていく。月の光が流れていた時のワインは甘美でまろやかな口当たりと評され、その後ワルキューレの騎行が流れた際に、再度提出された「甘美でまろやかな口当たり」と評された先のワインが、今度は力強くヘビィな味であると評価を受けたのだ。人間は目と鼻と舌で食事を味わうというが、そこには耳も加わるべきなのである。

ストレス解消に音楽を聴く人も多いだろうが、実際にストレスやうつの症状を抑える効果も確認されている。うつ症状を発している実験参加者を1.なんのセラピーも受けない。2.異なる形で音楽療法を受ける二つのグループ、計3つのグループに分けて経過を観察したところ、音楽療法を受けたグループの症状は大きく改善していた。(まあ、音楽療法とはいえ音楽にあわせた適度な運動までもが含まれたセラピーであり、純粋な音楽の力というにはだいぶ異議の残る内容ではあるのだけれども)

音楽についての理論的な側面

そうした音楽が人間へと与える影響の話の数々もおもしろいが、本書のもうひとつの主軸は音楽の理論的な側面についての解説だ。たとえば不協和音といえばみな頭の中にすぐに思い浮かべることができるだろうが、「なぜ不協和音を不協和音と感じるのか? どのような音が不協和音なのか?」と聞かれると意外とわからないものだ。

これについては明確に答えがある。たとえば、音楽に反応して我々の鼓膜が振動するとき、蝸牛と呼ばれる内耳の一部に振動が伝わる。そのとき、内耳のうちどの地点に振動が伝わるのかは、振動の周波数によって決まる。その際、同時に聞こえる音の周波数が離れていれば、別々の場所が振動するのでちゃんと聞き取ることができる。しかし、その距離が近いと、脳は区別が難しく混乱して不協和音を感じることになる。

 そのためピアノのまんなかあたりで隣り合った鍵盤を同時に押すと、耳障りな不協和音が響くことになる。さらにピアノの鍵盤のどのあたりであれ、半音離れた二音を同時に鳴らすと、強張った粗い組み合わせの音になる。なぜなら、蝸牛のなかの周波数の区画が部分的に重なるからだ。

つまるところ、音自体に問題があるのではなく不協和音は我々の耳が発生させているものなのだ。他にも、音楽によって聴き手の感情が動くメカニズムと、それを誘発させるための作曲・演奏テクニックについて、メロディの規則について、オクターブ、調和とは何なのかについてなどなど、音楽概念の根っこのところから説明してくれるので読んでいるとついつい作曲ぐらいできるのでは、と思えてくるぐらいだ。

おわりに

『わたしたち人間はなぜ音楽を愛するのか? それは音楽を聴くことが、脳に適度な刺激を与え、同時に喜びを与えてくれる最良の方法だからだ。』というように、音楽は我々の退屈をまぎらわせてくれ、楽しさ、悲しさ、落ち着き、安らぎなどさまざまな感情の変動を与えてくれる。我々はそれを好きな時にスイッチオンすることでいつでも誘発できるのだから、それはもはや事実上の合法ドラッグのようなものであって、愛するのにそれ以上の理由がいるだろうか。本書を読む前から音楽は変わらずそこにあるが、読了後にはより理論的に音楽へと身を投じることができるだろう。