基本読書

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『火星の人』のアンディ・ウィアー最新作──『アルテミス』

アルテミス(上) (ハヤカワ文庫SF)

アルテミス(上) (ハヤカワ文庫SF)

アルテミス(下) (ハヤカワ文庫SF)

アルテミス(下) (ハヤカワ文庫SF)

火星でひとり生き残った男の決死のサヴァイブを描く超ド傑作ハードSF『火星の人』のアンディ・ウィアーが月を舞台に書いた最新作がこの『アルテミス』だ。

『火星の人』はめちゃくちゃおもしろかったとはいえ、商業としてはアンディ・ウィアーの第一作で、一発だけの特大の花火だった可能性は捨てきれない。なので随分時間が経ってから刊行されたこの第二作、もちろんめちゃくちゃ楽しみではあったものの、ひょっとしたらひょっとして大駄作だったりするのでは──という不安も同時に抱いていたのだけれども、読んでみればこれがちゃんとおもしろい。

『火星の人』を超豪速球のストレートだとするならば、こちらは月を舞台にしたリアルな社会とひとつの事件を描くSFサスペンスで、正直、傑作というほどではないがキャラクタはいいし世界観の作り込みやディティールの凝り方も”アンディ・ウィアーらしいな”と思わせる出来で、この後何作もこの世界を舞台にした小説が読んでみたいな──と思わせる、スローボールのようなじわじわと効いてくるおもしろさだ。

著者も続篇というよりかは同じ世界を舞台にした小説をたくさん書きたいとインタビューで答えているようで、同一世界物の第一作と言った感じで読むといい感じ。というわけで、詳しく紹介しても興を削ぎかねないので軽く全体を紹介してみよう。

あらすじとか世界観とか読みどころとか。

舞台は月。人類は月にアルテミスという名の月面都市をつくりあげており、その全体は”バブル”と呼ばれる五つの巨大な球体から成り立っている。まあ要は酸素を供給しないといけないからその球体の中でみんな暮らしているわけだ。主人公の女の子は6歳の頃から月に住んでいる一般市民で、親とはちょっとした理由で仲違いをしており、彼女は非合法の品物を運ぶことで、もっぱら日々の生活費を稼いでいる。

最初はこの都市で彼女がどのように生活をし、酸素がどこから供給されるのか──といった社会が成り立っている理屈が描写されていくのだけれども、このディティールの時点ですでにだいぶおもしろい。”月面の塵という人体に有害なものをどうやって都市に入れないようにしているのか”。”火事をどう防ぐのか”。”アルテミスの酸素はどうなっているのか”などなど、かなり細かいところまで含めて描写していく。

 地球の空気は二〇パーセントが酸素で、それ以上は人体に必要のない窒素とかアルゴンとかだ。だからアルテミスの空気はぜんぶが純粋な酸素で、気圧が地球の二〇パーセントというかたちにしてある。そうすれば酸素量は適正で、外殻にかかる圧力は最小になる。これはべつにあたらしい概念ではない──アポロの時代からある考え方だ。ポイントは、気圧が低いと水の沸点が低くなるということ。ここでは水は接し六一度で沸騰するから紅茶もコーヒーもそれ以上熱くはならない。慣れていない人間にとっては、ぞっとするほどぬるい。

このへんなんかは特に、火星の人の緻密な科学描写を思い出すところだ。主人公の女の子であるジャズことジャスミン・バシャラは溶接工の親の影響も関係してか、こうした知識が豊富で、その後に訪れる数々の苦難を持ち前の勇気と無鉄砲さ、そして科学知識と発想力で乗り越えていってみせる。

月の生命線をめぐる戦い。

さて、そもそも月ではどのように酸素を供給しているのだろうか──という設定が、物語の核となってゆく。月には斜長石(の中でも特に灰長石)という鉱物やイルメナイトといった鉱石が大量に存在しており、莫大なエネルギーが必要ではあるものの、アルテミスはこれを製錬することで酸素を取り出し供給している。つまり、その酸素の供給工場を有すものは月の生命線を握っており、莫大な力を持つことになるのだ。

その酸素の最大の供給源はサンチェス・アルミニウムという企業で、ここがほぼ独占状態でアルテミスに酸素を供給し、その見返りとして月の電力をタダで使っても良い契約になっている。そうするとそれ以外の企業は鉱石からの酸素生成に莫大なエネルギーを自腹で用意しないといけないので、そもそも勝負にならない構造がある。

大物実業家のトロンドはこっそり、街全体に一年供給できるだけの酸素を買い集めており、彼は日々密輸を繰り返すジャズへと、サンチェスの酸素供給機能のかなめに対して攻撃し、機能を停止させるようにもちかける。そうすれば街は早期解決を望むから、契約を奪取できるだろう。極悪非道な作戦だが、彼女は莫大な報酬目当てにこの仕事にのってしまい、大企業を相手に無謀な攻撃を仕掛けることになるのだが──。

ほかいろいろ

”たったひとりの女の子が、火も爆破も基本的には絶対に起こらないようになっているこの月世界で、いかにして機械を爆破して囘るのか(しかもバレずに)”というパートの科学的な思考と試行の数々は悪いワトニーそのものだし、一歩間違えれば死ぬような冒険の数々、低重力下での肉弾戦など読みどころはその後も数多い。

最終的には酸素利権にからむいろいろときなくさい話が出てきて、最初は悪そのものなジャズも最後にはなんか正義の味方っぽくなって”月の社会構造”そのものに戦いを挑むことになる。まあ、どんなに大義名分をあげようが破壊工作をノリノリでやっている時点で「お前が言うなよ」感満載でツッコミを入れざるを得ない部分もあるのだけど、そういうツッコミどころも含めて、軽いノリを愉しめばいいだろう。

おわりに

中心となって走り回るのはジャズでも、都市の名が書名に冠されているように、まるでアルテミスそのものが主人公であるように、その魅力が十全に描き尽くされていく。そこで暮らす人々、経済が囘る仕組み、人々が生きていくために必要な技術の数々──、そうした描写のすべてが生き生きとして描かれていくので、”この都市の物語”がもっともっと読みたいと、そう思わせてくれる一作だ。

ちなみに、当然のようにもう映画化も決定しているようです。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
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火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)

火星の人〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫SF)