- 作者: アリランド,国弘喜美代
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2018/01/24
- メディア: 文庫
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そんな感じの導入ではじまる本書は、少女の内面を奥底までえぐり出す心理サスペンス、心理スリラーである。悪夢のような母親の元から逃れ、優しい一家に迎えられ、歳の近いフィービとも『若草物語』のように仲睦まじい姉妹としての関係性をつむげるのではないかと期待してやまないほんわかした導入から一転、ミリーはクラスの中心的な存在でもあるフィービから鬼のようにいじめられ、同時に私生活の方では母親の有罪を確定させるために重要な証言を法廷で求められることになってしまう。
本書は著者アリ・ランドのデビュー作だが、元々イギリスとオーストラリアの医療施設で児童・青少年の精神看護の仕事に10年間も携わっていたそうで、少女が追い詰められていく様、仮の親に助けを求めたくも求められない苦しさ、女子によるいじめってこんな感じだよねという説得力、母親という脅威の下で暮らす極度の圧迫感といったものが迫真の筆致で描かれてゆき、少女の心理の奥底まで暴き出してみせる。
正直言って、女の子(ミリーは15歳)がいじめにあったり(女の子に限らずだが)、ひたすら苦しい目に会う、それも”抜群にうまい心理描写で”となると、それ自体大変興味深くはあるが読んでいるこっちもただただ苦しくなってきてしまうので、単純に好きとは言い難いのだけれども、本書ではそうした苦しさはほとんど感じなかった。
なぜか。それは本書の書名(原題:GOOD ME BAD ME)にも関係している。善良であろうとし、新たな人生を歩もうとする彼女(ミリー)の中には残虐かつ攻撃的な傾向を持つアニー、あるいは彼女の母親であるルース・トンプソンの声が響き続けている。脅し、殴られ、クラスぐるみでのけ者にされる。表向き彼女はやられっぱなしだが、しかしその心中では無数の声が響いている。『その子たちに思い知らせてやるんだ、アニー。おまえには感謝してもらわないとね、あたしが教えたんだもの。』
あるいは『このことは絶対に忘れない。絶対に』。たしかにミリーは周囲から激しくいじめられる。しかし彼女の中には、ただいじめられるだけではない”なにか”がある。最初のうちはそれがどれほどの物なのかわからずに、まるでミリーを得体の知れない怪物としたホラー小説であるかのように読み進めることになる。フィービはひょっとしたら何かとんでもないものに手を出してしまったのではないか、ミリーのうちなるアニーが動き出したら最後、”やり返し”では終わらないのではないだろうか。
そうしたミリーの学校パートと並行して、母親の事件をめぐる裁判で証言を求められ、母と自身の過去に迫ってゆく。ミリーの中には負い目がある。彼女がもっと早くから警察に行っていれば、九人もの子どもたちが犠牲になることはなかったかもしれない。基本的に冷静なミリーだが、証言を求められると途端に平静ではいられなくなる。過酷な日々を経験してきているから当然だが、それだけではないことが次第に明らかになってゆく。アニーは一連の事件の中で本当にただの傍観者であったのか?
果たして、ミリー/アニーは善良な存在なのだろうか? はたまた、母親と同じく異常を抱えたサイコパスなのだろうか? といったことが常に頭に引っかかり、最後の最後まで緊張感を抱えたまま読み進めることになる、ミリーは作中何度も母親の声を聴き、そのたびに母親のようになりたくない、自分は違うのだと述懐する。しかし、同時に彼女の頭のなかにいる母親は洗練されており、恐れながらも引かれてしまう。
あなたの声、話をするときの口調。心を引かれるけれど恐ろしい。あなたの話を聞いて、こう思ったのを覚えている。人の目をくらませたり人を引き寄せたりして逃げられなくするなんて、そんなことはしたくない。
わたしは、あなたのようにはなりたくなかった。
おわりに
とはいえ、善い/悪いというのは単純な対立で語れるものでもない。過去の真相、ミリーの行動が明らかになるにつれ、彼女に対する印象はそのどちらかではなく混ざり合って感じられ、最初はその奥底がわからずにおそろしかったミリーの存在が、だんだんと実感を持って受け入れられるようになっていく。
いじめを行うフィービの心理描写もまた素晴らしく、”ただただ敵役としての嫌なやつ”や書割り的キャラクタが本書には一人も存在しない。核心をつき真実を明らかにしようとする弁護士と”とある嘘”を突き通そうとするミリーとの法廷劇など、いくつもの側面で楽しませてくれる快作だ。これがデビュー作ってのはスゴイね。