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恒川光太郎が描く、終末へと向かう世界──『滅びの園』

滅びの園 (幽BOOKS)

滅びの園 (幽BOOKS)

ホラー、ファンタジィ、幻想といった要素の混交した特異な手触りの作品を書いてきた恒川光太郎だが、その中でも『金色機械』などSF要素の投入された作品群のラインが僕はとりわけ好きだった。本書『滅びの園』は、そうしたSF要素の混入した恒川光太郎作品の中でも一つの突出点といえるだろう。ファンタジィと幻想的世界とSF要素──今作では”未知なる生命との接触”と”人類が滅びに向かいつつある終末もの”としての側面──が違和感なく結合した、幻想終末SFの傑作である。

物語の舞台となるのは、20XX年に地球へ〈未知なるもの〉と呼ばれるものがやってきた地球。その〈未知なるもの〉は特殊な観測機を用いたところ、巨大なクラゲ的存在として地球にとりついているらしい。また、地球の有機物と化学反応を起こし、後に〈プーニー〉と少しかわいい名前の響きで呼ばれる、粘菌のような性質を持った特殊生物が生まれることになる。プーニーの姿は白い餅そっくりで、不定形であり、他の個体と融合することで、キングスライムのようにどんどん成長することもある。攻撃を食らっても分裂し増え続けるだけで、とてもじゃないが殲滅はできそうにない。

プーニーは強い生物ではなく、物理的な攻撃性能は皆無といっていいのだが、彼らに対する耐性を持たないものは近寄りすぎると精神に異常をきたしてしまう。その威力はさながらクトゥルフの神話生物を目撃してしまったかのようだ(SANチェックです)。『一月一九日以降、多くの人が、精神に異常をきたしました。壮大な宇宙的悪夢を見るようになり、無気力と希死念慮がとりつき、年間の自殺者数は百万人をこえました。』出生率もプーニー出現以前の10分の1にまで落ち込んでしまっている。

さて、つまり人類としては一刻も早くプーニーを駆除しなければ滅びるしかないわけだが──、その為にもまず、プーニーたちにエネルギィを供給している〈未知なるもの〉の核を破壊しなければならない。そんな時に、人類は〈未知なるもの〉の内部、核のすぐ近くに、一人の男が取り込まれていることを発見する。その男はただの冴えないサラリーマンである鈴上誠一なのだが、実はこいつが主人公の一人である。

〈未知なるもの〉のなか

本書は鈴上誠一がすでに取り込まれた後から開始するのだが、なぜそのような状態になっているのか本人自身理解していない。核の近くに浮かぶ彼が認識しているのは、思念的な世界であり、電車もあれば普通に人もいるが、ところどころ現実とは異なっている。駅は「最果ての丘駅」とか「精霊の丘駅」だし、箒に乗る魔女はいるし、金もあってもなくても関係ない。時間の流れは緩やかで、人はみな優しく、願えばなんでも叶えられる、たまに魔物がくるのがネックだが、ユートピア的な世界である。

そんなユートピア的世界で暮らし始めた鈴上誠一の元に、ユートピアとディストピアを対比するように、地球側の現状が手紙のような形で届けられることになる。何しろ、そこがどんだけ素晴らしい世界だろうがそんなことおかまいなしに地球では絶賛終末進行中なのだ。世界マジでヤバイんです。あんたが希望なんです。あんたは今核の近くに浮かんでるんで、なんとかその核を破壊してくださいと。最終的には手紙だけではなく人間が一人だけ送り込まれてきて、直接鈴上誠一を説得することになる。

「この世界は現実ではない」中月活連は、かがみこむと、落ち葉を手にとり、それを持ち上げ葉脈を日に透かせ、目を細めた。「幻です。私はあなたを説得しにきた。あるいはあなたが核を壊すのを助けにきた。あるいはあなたとコミュニケーションをとりにきた」
「なるほど」
「地球とあなたを救うために」中月は胸を張って誇らしげにいった。

なるほど地球の人間からしてみればそうだろう。プーニーで世界がヤバイのだから。彼らからすれば鈴上誠一の住む世界はふわふわして幻想的で、絵本の世界のようにしか感じ取れない。だが鈴上誠一はそこで結構な時間を暮らしてしまい、人々と親交を深め、奥さんまでできてしまっている。幻ですと言われて、はいそーですかほんじゃいまからいっちょ核破壊しにいきましょうかとすぐに受け入れられるものではない。

いったい、鈴上誠一はどちらの世界を選ぶのか。望めば生きがいや仕事だってなんだって手に入る、絵本のような幻想的な世界か。自分が後にしてきた滅びゆく世界なのか。彼は地球からやってきた使者、中月活連によって決断を迫られることになる。

地球では何が起こっているのか

そうした鈴上誠一を中心にめぐる章だけではなく、本書では地球側でプーニーらが異常増殖し、何百万もの人が発狂し被害が蔓延していく世界の姿も描き出されていく。たとえば人間がプーニーによって死ぬだけでなく、プーニーを食べたものがプーニーになるせいで、人間が食べる動物たちも次々とプーニー化して、世界的な飢饉に繋がってしまうのだ。食料飢饉は当然ながら闘争を生み、世界で紛争が絶えない。

そんな中、第二章「滅びの丘を超えるものたち」では、プーニーへの耐性値が特Aを超えている中学生の相川聖子が、プーニー災害対策組織へとスカウトされ、救助活動に勤しむ日々が語られ、同時にプーニーらと同化することによって、プーニーの集団を操ることのできるようになった”プーニーキング”の存在も明らかとなる。〈未知なるもの〉の中で幸せな日々を過ごす男、地球でプーニーを相手に終わりなき撤退戦を送るもの、〈未知なるもの〉突入班として志願するもの。さまざまな視点からこの世界の様相が描き出されていき、全世界突入作戦の決行へと物語は流れ込んでいく。

おわりに

幻想的な、絵本のような世界。地球にやってきた未知なる存在。未知なる存在を取り込んだ現実の人々などなど、それぞれ異なるジャンルからやってきた要素がジャカポコ投入されながらも、読んでいてまるで違和感を感じることがないのが素晴らしい。

そんな中であえて中心的なテーマを一つ取り上げるのなら、「コミュニケーションの困難さ」を挙げたい。『ソラリス』的に意思疎通のとれない〈未知なるもの〉といかにしてコミュニケートするのか、あるいはまったくしないのか──といった難しいレベルから、ユートピアとディストピアの異なる世界に住む者たちの認識のあまりに深い齟齬など、本書の中には容易には渡れない溝が幾筋も通っている。

はたして物語の行き着く先は幻想世界のユートピアか、滅びゆく世界か──最後の1ページまで物語がどう転ぶのかまったく予測がつかず手がとまらないので、読み始めるタイミングには注意したほうがいいだろう。