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ジェット推進研究所でひたすら計算し続けた女性たちがいた──『ロケットガールの誕生: コンピューターになった女性たち』

ロケットガールの誕生: コンピューターになった女性たち

ロケットガールの誕生: コンピューターになった女性たち

ジェット推進研究所(JPL)、という、NASAの中でも無人探査機などの研究開発に関わる研究所がある。かつてそこには「人間コンピューター」として知られる、女性たちのグループがいた。彼女たちはまだまだ男女平等が叫ばれ始めた二〇世紀中頃に、男性に劣らず、”計算”というフィールドで立派にその能力を証明していたのだ。

彼女たちはミサイル開発や人工衛星の打ち上げに関わり、後には月や火星への探査機についての計算を一手に担っていた。「人間コンピューター」とは、コンピュータのように計算が速い人達という意味ではなく、CPUやメモリといったものが存在する以前の世界では「計算する人」のことを「コンピューター」と呼称していたことに関係している。なので、本書の中には次のような文章が当たり前のように記述される。

第一次世界大戦中、「弾道計算手」と呼ばれた男女は、ライフルや機関銃、戦場でのモルタルの強度を計算していた。大恐慌の時代にアメリカ政府は公共事業促進局の一員として四五〇人のコンピューターを雇用しており、うち七六人は女性だった。

「コンピューター」が「計算する人」から電子式汎用計算機へと意味が移り変わっていった今では違和感のある文章だが、当時は当たり前にそう記述されていたのだろう。本書では、JPLでたくましく働く女性たちの姿を通して(登場人物の幾人かはまだ生きており、本書は彼女たちへの調査によって成り立っている)、JPLが激動の時代(冷戦、米ソ宇宙開発、アポロ、月、火星探査、ボイジャーなど)の中で果たした役割や、かつては「コンピューター」だった女性たちがその役目を終えプログラミングをするエンジニアへと移り変わっていく時代の流れを描き出していく。

彼女たちの活躍についてはNASAの公的な記録では一部しか残っていなかったというから、著者が秘められた歴史を掘り出してくれた意義は大きい。女性の人権運動が盛んになっていく時代でもあったが、彼女たちは自分たちの力で居場所を作りあげ、計算する仕事からプログラムまで職務が切り替わりながらも、何十年にも渡ってその実力を証明してみせたのだ。本当にカッコいい女性たちの物語なのである。

ざっと紹介する

本書は、JPLが立ち上がったばかりの1940年代からはじまって、バービー、メイシー、バーバラなど、JPLで主要な立場を担った女性の人生を追う形で進行していく。

第二次世界大戦の直前は当時空を飛ぶと言えばプロペラとピストン・エンジンで成立するものだったが、それではプロペラの抵抗によってどうしても速度の限界がある。そうした限界を突破するために考案されたのがジェット・エンジンを用いて飛行機を上昇させるというアイディアだったが、当時は笑い話として語られるレベルの荒唐無稽な話だったらしい。ところが、初期JPLの面々は無謀にもそこにチャレンジし、実験でエンジンがろくに点火しないなどの失敗を経ながらも、改修を続け見事に実験を成功させ、ロケットを用いて飛行機の離陸距離を半分にまで縮めることに成功した。

この時には当然我々のよく知る「コンピューター」なんて存在しないから、ロケットがどれだけの質量を持ち上げられるのか、たとえば6300キロの爆撃機を離陸させるためにはどれだけの数値があればいいのか、またその状態でどれだけの速度が出るのかといったことは電気式計算機の力などを借りながらすべて手動で計算しているのである。その計算に関わっていたのが、バービー・キャンライトであった。

ロケット・エンジンの燃焼はほんの数秒だが、コンピューターたちがこれを分析するには一週間以上かかる。ノートはあっという間にいっぱいになり、実験一回ごとに六冊から八冊ほどになった。バービーはノートが机に積み上がって紙の山になっていくのが好きだった。ノートがいっぱいになると、達成感を感じる。そして、実験がすべて終わって最終的なレポートができたら、机の上からノートを全部片付ける。

このあたりの描写とか、「人間が手で計算しなければならなかった最後の時代」の雰囲気があって、凄くぐっとくるなあ。その後バービーのいるコンピュータ室には数々の女性コンピュータが採用されていくわけだが、それには責任者であるメイシーの意志が働いていた。何しろこの仕事で別に女性でなくてはならない能力的な理由は特にない。男性にとっても普通に望まれる仕事だったのだが、メイシーは申込者の名前が男性であるというだけで応募をはじいており(これはこれで逆差別だ)、それは男性が加わるとコンピュータ室の秩序が崩壊してしまうと考えていたためだった。

JPLはとても先進的な価値観が根付いていた組織だったとはいえ、まだまだ女性としての役割が求められていた時代でもある。妊娠すれば辞めるのは当然で、職場復帰は難しい雰囲気があった。どうせ結婚して子供が生まれたらやめるんだろうと思われれば、昇進する時にも否定的な声がもれる。激務を終えて家に帰れば家事などの”女性としての義務”も果たさなければならない。女性が遅くまで仕事をすることへの偏見もあり、中にはそれが理由で離婚にまで発展する人もいた。仕事を続けながら子育てをするのは今もキツイものだが、当時は(特に女性は)とりわけ厳しいものだった。

本書ではそうした当時の苦しさがしっかり描かれていくのと同時に、女性たちが先進的な組織の中で生き方を語り合い、パーティを企画し、太陽系内探査機の計算を繰り返し見果てぬ宇宙への思いを、ロマンスを語り合う女性たちの仕事としての関係性、友情が描かれていく。女性たちの全力の情熱をかけられる仕事を通しての自己実現と、熱い友情。それがまた、本書の大きな読みどころの一つである。

電子式汎用計算機の時代へ

時が経つうちに「計算する人」としてのコンピュータは消えていくことになる。『一九六〇年、コンピューター室に新しいコンピューターのメンバーが入ってきた。彼女の職業倫理は完璧とは言いがたく、予期せぬ爆発や過熱を起こしやすかった。この新しい子は、IBM1620という。』あたりは、コンピュータからコンピュータへ切り替わりってゆく時代をユーモアたっぷりに表現していて、大好きな箇所だ。コンピュータたちは、新しいコンピュータに自分の仕事が乗っ取られる恐怖を味わうわけだが、才ある女性たちはプログラムを覚え、自身の職務を柔軟に変化させていくのである。

自分たちで居場所を作り上げ、その能力を証明し続けてみせた女性たちの物語としておもしろいのはもちろんだが、ロケット&探査機の開発史と読んでも一級品だ。ポピュラー・サイエンスノンフィクションとしてはちと高いが、内容のぎっしり詰まった満足度の高い一冊なので、興味のある方はぜひどうぞ。