基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

延々と一章から脱出できないポルノメタフィクション──『さらば、シェヘラザード』

さらば、シェヘラザード (ドーキー・アーカイヴ)

さらば、シェヘラザード (ドーキー・アーカイヴ)

  • 作者: ドナルド・E・ウェストレイク,若島正,横山茂雄,矢口誠
  • 出版社/メーカー: 国書刊行会
  • 発売日: 2018/06/27
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
知られざる傑作、埋もれた異色作を発掘してきて本邦初訳作品を中心に紹介する《ドーキー・アーカイヴ》シリーズの最新刊がこのドナルド・E・ウェストレイクによる『さらば、シェヘラザード』だ。端的に紹介すればポルノ小説家が延々と自作を書いてボツにする内容が”そのまま”記されていく、メタ奇想フィクションである。

内容的にSFっぽいかなと読み始めたのだけれども、SFではなかった(これは別に僕がSF至上主義者であるわけではなく、SFマガジンの海外SF書評欄で取り上げるかどうか判断する必要があるという個人的事情によるものである)。とはいえ、スランプに陥りひたすら金にもならなそうな原稿を書き続け、エロい文章が一切出てこずに発狂しそうになりそこらじゅうを駆け回るポルノ小説家の日々の文章はどこを切り取っても読者を楽しませようというネタとジョークにまみれており、刊行前からその内容は傑作だったと噂になっていたようだが、評判に偽りなしと言ったところ。

物語の舞台ははまだタイプライターが現役な1960年代。エド・トップリスは名の売れたポルノ作家のゴーストライターとして、1ヶ月に1冊書き上げる仕事を請けることになる。報酬は当時としては素晴らしく、1冊あたり1200ドル、そのうち200ドルをポルノ作家に払い、手数料が10%取られるから、残りは900ドル。彼はそれまでビール卸売販売店で1週間71ドル、1年3750ドルを稼いでいたから、その差は歴然だ。そうはいってもポルノを書いたことのない人間がいきなり1冊の小説を書けるのか? と疑問に思うが、ここからの畳み掛けるような”書ける”説明が素晴らしい。

 ロッドはぼくがすべきことを説明してくれた。ポルノ小説の執筆には公式とシステムがある。設計図が用意されているようなものだ。なにかにたとえるなら、大工仕事にいちばん近い。実際のところ、基本公式を詳しく書いてポピュラー・メカニクス誌に売り込めない理由が思いつかないくらいだ。

といってエドはロッドに説明されたエロ小説の4つの型を説明してみせる。1つ目は、小さな町に住む若者が広い世界をみたいと考え、地元の恋人に別れを告げ大都会へと出ていく。そこで彼はたくさんの女性とセックスし、デートをし、最終的には3つの選択肢に落ち着く。1.故郷の小さな町に戻り、地元の恋人とよりを戻す。2.大都会で出会った女の子と結婚する。3.冷酷非情な人間となり大都会の女を食い物にして最後は友人をすべてなくす。と、こういった例が他に3つ述べられていく。

型はプロットだけじゃない。長さには5万語までという決まりがあって、簡単なのは5000語ずつの10章に分けること。それぞれの章に1回のセックス場面を盛り込むから、ポルノ小説1冊を通してエロいエピソードが10個盛り込まれることになる。つまり1日に1章ずつ書き進めれば、ちょうど10日で1冊書き終わる。彼が出す本は1章が25ページだから、いつだって全体のページ数は250だ。エロの回数のルールなど、具体例がやけに細かく疑問に思っていたのだが、訳者あとがきによると著者自身別ペンネームでポルノを書いていた経験があり、本書にも存分に活かされているようだ。

メタフィクション

さて、それのいったいどこにメタ・フィクションの要素があるわけ? と思うかもしれないが、本書はそもそもその全てがポルノ作家であるエドによって書かれた原稿であるという体裁で書かれている。そのため、我々が読んでいる本のページ数(左下と右下に記載されている)とは別に、エドが書き進めていて締切が間近に迫っているポルノ小説のページ数も記載されているのだ(こっちは左上と右上)。

本来なら25ページで1章が終わり進んでいくが、エドがクソみたいな自分語りの苦悩にまみれた文章を延々と出力し書き直すので何度繰り返しても1章が終わらない。現実のページ数が50を超え、75を超えてもポルノ小説の26P目の世界を拝めない。『いま二十三ページ目。こいつは馬鹿げてる。もう四時二十五分で、午後じゅうずっとここにすわってタイプしてたっていうのに、なにも仕上がっちゃいない。こいつはポルノ小説じゃない。それどころか、なんでもない。ただのクソだ。』

少し締切を遅れたっていいだろうと思うが、29作目にとりかかっている彼は近作では何度も締切に遅れており、そろそろクビを切られてしまいそうなのだ。そんだけ書き上げていても、いわば工業作家であるから別の出版社に持ち込んで出してもらえる保証なんかどこにもない。またビール販売に戻るのはまっぴらだ。スランプの苦悩。才能がないことへの苦悩。八方塞がりで、仮に目の前の29作目のポルノ小説を書き上げてもろくな人生が待っていないことへの苦労が彼の人生をすり減らしていく。

そうした彼自身の苦境が綴られるのと同時に、唐突に小説の登場人物が現れて数ページの情事がはじまったりする。そうかと思えばまたエドの苦悩が表に出てきて、ポルノ小説の中で書かれた出来事と現実で起こる出来事がまるでシンクロするように展開し、手紙を書き始めたと思ったらその内容は途中から日記のような小説のような内容に変質し、突如メタ・フィクション論を展開しはじめたりとやりたい放題である。

おわりに

エドの知人の小説家であるディックが「小説には表現の自由があって、なにを書いても許される」、その自由を書名にも適用しようと、最新作を『さらば、オマンコ野郎』にしようとしているが、そんなことしたら書評が一つも出ない(タイトルに言及できない本を書評できる人間などいないから)と担当編集者と揉めたエピソードが、ただただ笑えるくだらないネタかと思いきや意外にもラストに美しく繋がってくる流れなど、恐ろしくくだらないようでいて、緻密に構成された技巧的な本だ。

なんといってもポルノ小説の繰り返しでセックス・シーンは山盛りなので人を選ぶのは確かだと思うが、読み逃すにはちと惜しい。