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魔術的な描写で小説の可能性を広げる短篇集──『オブジェクタム』

オブジェクタム

オブジェクタム

高山羽根子さんのデビュー作である『うどん キツネつきの』に続く第二作品集がこの、短篇を3つ集めた『オブジェクタム』である。デビュー作からして新人とは思えないような円熟した技量、さらには奇想、幻想譚の中でもオンリーワンな領域を開拓し続けていたのに、その後発表する短篇、中篇はまだまだここからが本領発揮だと言わんばかりにどれも傑作揃いで、第二作品集はもうずっと待ち望んでいた一冊だ。

3篇とも、細部はぼやけてしまって覚えていないが美しい過去の記憶のように、どこか幻想的な空気の漂う物語である。すでに雑誌等で読んでしまっていたが、眠れぬ夜のためにとっておいた本書を深夜3時ぐらいにモソモソと引っ張り出して読むのは至福の体験であった。そのおもしろさをどのように表現したらいいのかもわからない、小説の可能性を広げていくような作品ばかりなので、こうやって記事を書くのは困難なのだが(それはデビュー作もそうだったが)、各篇をなんとなく紹介してみよう。

オブジェクタム

表題作にして163ページ中の106ページを占める1篇。これは傑作。子供のころ住んでいた町へと、とある目的のために戻ってきた青年(たぶん)の回想で語られるこの「オブジェクタム」は、何の話かというと難しいが、まあ、カベ新聞について、存在していたのかどうかも怪しい遊園地、象の影、大仰な機械を持っている手品師、失われつつある記憶の輪郭を鮮明に浮かび上がらせるような、細部の物語である。

話のほとんどは小学生の頃の思い出である。青年が過ごした町には何者かによって綴られるカベ新聞(病院の前や駅裏の路地に、こっそり貼ってある)が存在していた。内容は、下世話なゴシップなどではなく『スーパー山室と八百永青果店、ナスと柿に於ける痛み率の比較』のようにきちんと数字やグラフを使った内容だったようで、多くの町人が読んでいたという。少年は、ある時自分の祖父がそのカベ新聞をひっそりとテントの中で作っていることに気づき、ナスの痛み率を調べたり、女子中学生のスカートの長さを調べたり、様々な形でその趣味への加担をしていくことになる。

その最中で、少年はいくつかの出会いを経験していく。父親からの暴力を受けている同じ学校の女の子とその姉、手品を披露してくれる手品師。おじいちゃんから情報を集める、記事を書くことへのレクチャーを受け(『この町のたくさんのデータを集める。単純な数字がつながって関係のある情報になり、集まって、とつぜん知識とか知恵に変わる瞬間がある。生きものの進化みたいに』)、町の細部を拾い上げるように過ごしてゆく少年だが、ある時祖父の記憶が怪しくなっていることを両親から告げられる──という、一言でまとめるなら失われてゆく”記憶”についての物語である。

前作からして異常だったが、本作もたいへんに描写のひとつひとつが素晴らしい。なんてことのない描写の一つ一つが、あまりにもクリアで、生き生きとした情景が目の前に立ち上がってくる。下記は、少年がおじいさんのテントの中に入っていくというただそれだけのシーンではあるが、ただそれだけのことがなんと素晴らしいことか。

 テントの中には木でできた低い机と、大きいのと小さいもの、ひとつずつのダンボール箱がある。箱は大きい方を下にして重ねられて、いちばん上に手さげつきの紙袋が置かれていた。机のほうは表面に隙間なく新聞紙が敷かれて、その上に木でできた長方形のトレイがふたつ広げてあった。ふたつのトレイはお互い金具でつながれて、上にして置かれている部分を内側に折りたためるようになっている。両側とも長いあいだ使いこまれて、黒いインクが染みついている(……)。

具体的なエピソードが自分の子供時代と重なるわけでもないのに、まるで自分がこの町で暮らしてきたかのような親近感を覚える、街そのものが立ち上がってくるような、異様な解像度の高さ。しかもそれでいて、それが最終的に描き出していく全体像は、抽象度が高く夢のようにぼやけていて、人によって違った景色をみせるのだろう。”なんでもない風景の積み重ねが、かけがえのない記憶へと結びついていく”ような終盤の風景には、思わず本を持つ手が震えたほどだ。

太陽の側の島

どこともしれぬ戦時下の町中で暮らすチヅと、これまたどこともわからぬ島に出征しひたすらに土地の開墾を行っている真平の往復書簡で綴られる物語。

時代も、場所もわからず、手紙をやりとりしているにしては時系列がおかしく、弱った小さな兵隊、島に伝わる生死がごたまぜになる踊りの風習と、読み進めていくうちにいったいこれは本当に現実の出来事なのか、はたまた──と疑惑がぽこぽこと浮かび上がってくる奇妙で怪奇で美しい、生死の境目をさまよい続ける一作だ。”手紙”が持つ力が、小説として存分に発揮されているのも読みどころ。往復書簡小説ともいうべき分類があるとしたら、その中でもまず筆頭に挙げられるべき一作でもある。

L.H.Q.Q.Q

妻に先立たれた男が、妻の残していった太った小型犬に逃げられてしまい探し回る状況を独白していくただそれだけの話なのだが、それがやけにおもしろい。

犬というのは不細工でも可愛いので犬を飼っているとそこまで犬が好きでなくとも可愛い可愛いと思ってしまうものだと犬好きの僕は思うわけであるが、この男は本当に犬が好きではない。何しろ散歩をしている最中に犬に逃げられたにも関わらず、『要は都合よく厄介払いができた、と考えたのだと思います。』と言ってのけるのだけでなく、探そうと思っても名前すらわからずに呼びかけることすらできないのだ!

とはいえ捨てるつもりでいた犬に捨てられるという惨めな状況もあり、探しもしないのはさすがに妻に申し訳ないとそんな消極的でやる気のない犬探しがあるかという精神状態で犬探しを開始するのであった……。はたして犬の名前は何なのか……。

おわりに

まったく別の媒体に発表された3篇ではあるが、失われ、欠けゆく記憶の話、生と死の狭間のような淡い世界、どこまでも具体的に細部を突き詰めた果てにぼんやりとした抽象が浮かび上がってくるなど、不思議と統一感のある短篇集である。本書を読んだ人はまず間違いなく『うどん キツネつきの』も気にいるはずなので是非どうぞ。

しかし早く長篇やまた別の短篇集が読みたいよなあ。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp