- 作者: ルーシャス・シェパード,内田昌之
- 出版社/メーカー: 竹書房
- 発売日: 2018/08/30
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (2件) を見る
連作中短篇集であるこのルーシェス・シェパード『竜のグリオールに絵を描いた男』は、そんな僕がこれまで読んできた中でも最良のドラゴン小説にして、最高のファンタジィ小説のうちの一冊になった。ここには、素晴らしい一匹の竜がいる。
”始まり”が訪れる前の永遠のひととき、まだ”言葉”が炎の中で発せられることもなく、歴史のちっぽけな塵が炎から舞い落ちるまでにはだいぶ間があったころ、どんな動詞でもその活動を正確には表現できないあるものが存在の可能性を得て、それをひとつの雲あるいはひとつの観念のように取り巻いたかと思うと、創世の炎より形作られたあらゆるものが、その根源的な二重存在の成り立ちについてなんらかのかたちで表現するようになった。伝えられるところでは、この二重存在はあらゆる生き物の中でも竜たちとして認識されることが多かったという。
ルーシェス・シェパードは『戦時生活』『ジャガー・ハンター』などいくつか邦訳が出ているが僕はどれも未読。本書に収録されている4篇のうち3篇はどれもSFマガジンに掲載されていたが、それも1987年、91年と30年近く前の話である。
つまり本作は長い時を経ての刊行となったわけだが、まさかこれほどの作品がまとまることがなかったとは信じがたいものがある。まあ、偉大な起案者と訳者によって、竹書房から、それも超絶素晴らしいアートワークによって(文庫を手にした時、うっとりしてしまった)こうして刊行されたのだから、まずはそのことを喜ぼう。
それではざっと4篇紹介してみよう。
竜のグリオールに絵を描いた男
最初の収録作は表題作「竜のグリオールに絵を描いた男」。4篇がまたがるこの世界には全長1マイル(1.6キロメートルほど)にも及ぶグリオールと呼ばれる巨大な竜が存在している。とはいえ、グリオールは空を飛ぶ回って人間を焼き殺すわけでもなく、伝説によれば数千年前にグリオール殺害の任をおった魔法使いの攻撃を受け、生命は停止せずとも身動きすることもできなくなっている。だがその身体は時の流れが生み出すエネルギーを吸収し、未だ活動と成長を続け1マイルにもおよんだのだ。
グリオールは暗い霊気を出し続けることで、周囲の人々に大なり小なりの影響を与えているとされるが、その周辺は銀、マホガニー、藍がとれる肥沃な土地で、人々が住まう市もある。そんな状態だから、グリオールを殺したものには大量の銀が与えられるなどのお触れも出ている。とにかく巨大な上に精神干渉もあるので、かつてグリオールを追い詰めた魔法使い以外、それが尽くうまくいかない。そんな時に現れるのが、グリオールの身体に絵を描いていると思わせておき、絵の具の毒で殺すという奇想天外な提案を通し、大プロジェクトとして推進していく若きメリックである。
とはいえ相手は巨大な知性を持つ竜である。この世界は基本的に我々のよく知る世界と同じ法則に支配されているので、やるぞといって魔法などを使って明日から絵を描けるわけではない。昇降機や梯子も必要だし、膨大な人員も必要。絵の具の作成、原料の採取、途中で感づかれないためにも本気の芸術作品を描きあげる必要もあるなど、無数にやることは湧いてくる。しかも、その試みは1週間や2週間で終わるものではなく、40年50年といった歳月を見込んだ”日常”としてのプロジェクトなのだ。
本作のの類まれな点は、そうした竜という異物がいる日常に対する解像度が異常に高いところにある。竜の描写、竜の周りで仕事に従事する人々の描写、巨大な竜がすぐ側にいる、それが自分たちの思考や行動に影響を与えているかもしれないと疑問を抱えながら生きていく人々を、実に丁寧に、隙間を埋めていくように構築していくことで、竜という実在しないはずのものがありありと実感を持って感じ取れるようになっていく。誰か偉大な英雄が現れてグリオールの首をポンっと切り離したり、魔法で消し去ってしまうなどの夢物語は存在せず、人間が叶うはずもない巨大な存在に、数十年といった長い年月をかけて対抗するのだという、”現実感”がここにはある。
メリックはその生涯が尽きる前にグリオールの死をみることが叶うのか。50ページほどの短篇だが、その中にひとつのプロジェクトに命を賭けた男の人生と、人間とは比較にならないほど大きな存在の死、それがこの世界とメリックに、どのような意味を与えるのかがみっちりと編み込まれており、表題作にふさわしい圧巻の出来だ。
鱗狩人の美しい娘
村の男のレイプされかけ、やむを得ずグリオールの口の中へと逃げていったキャサリンによる体内大冒険記である。強大な竜の中にはいったい何があるのか──といえば、そこにもまた人間の生活がある。大半の人間は(恐らくは)、体内の害獣を駆除するためにグリオールによって意志を操られてやってきた、正気を失った狂人たちなのだが、中には正気(かどうかは微妙だが)でグリオールを崇拝する人間などもいる。
そうして一度入ってしまったばっかりに、数年の歳月をかけてグリオールの体内に住まい、見取り図の作成、体内に住まう寄生虫や共生体の研究に没頭していくことになる。このディティールがまた素晴らしい。心臓の筋肉の収縮によって押し上げられた酸とガスが溜まって、となりの区画から流れ込む液体が混じりあうことで炎に変えることができる体内の器官を発見したり、同じ胴体を6つ持ち胃酸の中で成長する奇怪な生物”メタ六”など、ほとんど異星生物SFのようなおもむきがある。
もちろん話はそれに終始せず、体内で出会った男性との恋愛、逃走/脱出/復讐劇と矢継ぎ早に展開していき、これもまた中篇規模で一人の女性の生涯を描きあげている。
始祖の石
グリオールはその周辺に住まう人々の意志へと干渉することができるという。しかし、実際問題どれほどのことができるのか? 「始祖の石」では、竜を崇拝する教団の僧侶マルド・ゼマイルがレイモスという男によって殺される。状況証拠は完全に抑えられているうえに、自身の娘が教団に入れ込んでいたこと、彼自身はそれをまったく快く思っていなかったこと、自身の妻の因縁などから動機も十分とみられたが、レイモスは自身の殺人はグリオールの影響下にあったとして、無実を訴えたのである。
竜の影響力を人々が議論で検証していくシンプルな法廷ミステリと思いきや、マルド・ゼマイルの真の目的、またレイモスが”本当にやった”のか、もしくは”操られていた”のか、読者の側にもにわかには判断できないまま進行する状況など、技巧的な一篇である。グリオールを半死まで追い込んだ魔法使いに「鱗狩人の美しい娘」まで話に関わってきて、いよいよこの世界が身近に感じられるようになっていく。
嘘つきの館
美しい女性へと変化する一匹の竜と、彼女と一緒に暮らすことになる男の異種恋愛譚。この記事の冒頭でも引用した、竜についての描写からして圧倒的だ。12メートルほどのブロンズ色の竜が、くるくると舞うようにして飛ぶ姿を目撃する描写。竜の美しさに、またその背後で作用するグリオールの意志によって行動を制御される恐怖と、それでもなお生まれる愛情の機微。どこを取り上げても素晴らしいが、なんといっても、グリオールが麻痺状態であるがゆえに描写されることがなかった”竜の飛翔”、その力の爆発的な解放が、見事な描写によって紡がれてゆくのがたまらない。
おわりに
表題作もいいけど「嘘つきの館」の飛翔のシーンの素晴らしさは何物にも代えがたいし、本当に凄まじいファンタジィ小説だ。人間を大きく超えた存在、ほとんど自然現象と化した偉大な何か、だがそれは現実のものとして、生活のすぐ側に、目に見える形で横たわっているという描き方が、どの短篇を読んでいても本当によくてね……。これほどありありと”竜”の実在感を感じられるファンタジィは読んだことがない。
そして、このグリオールをめぐる一連の作品は全7作で、未刊行のものが残っているのである! 絶対に出してもらわねばなるまい。さらに売れれば遺作となった長篇も……と公式ツイッターがいっていたので、売れてほしい、というか買ってほしい!