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デビュー作にして超ド級の傑作ハードSF──『ランドスケープと夏の定理』

ランドスケープと夏の定理 (創元日本SF叢書)

ランドスケープと夏の定理 (創元日本SF叢書)

本書『ランドスケープと夏の定理』は第5回創元SF短編賞を受賞した高島雄哉の、受賞作を端緒とする3編の連作短編集にして、単行本のデビュー作になる。その作風を一言でいえばキャラ萌えが追加されたグレッグ・イーガン(いや、イーガン作品のキャラに萌えないってわけじゃないですよ!)、日本作家でいうならば小松左京みたいなもんで、ちゃくちゃおもしろい。ぜんぜんデビュー作って感じじゃない。

21世紀後半を舞台に、22歳で教授になった天才物理学者の姉と、姉には及ばないものの優秀な弟が、世界を激変させる知性に関する3つの新しい定理を解き明かしていく──と、ざっくり表現すればそんな話になる。第一作「ランドスケープと夏の定理」では、”すべての異なる知性の会話を成立させる完全辞書が存在することを示す”、知性定理を。第二作「ベアトリスの傷つかない戦場」、第三作「楽園の速度」ではそれぞれ、知性定理なんて物があるならば、こういう定理も考えられるよね──と続く第二、第三の知性定理が示され、それを無数の宇宙──ランドスケープに対して適用していくことで、物語は地球近傍に居ながらにして巨大な拡大を続けていく。

この世界に存在する理論を解き明かすことで、遥か彼方に存在する宇宙の挙動まで理解できてしまう。かつてラグランジュはニュートンの業績にたいして『説明すべき宇宙はただ一つしかないのだから、ニュートンがしたことは誰にもやり直せない、彼こそは最も幸福な人間だ』(コイレ『天文学革命』)といったが、本書はサイエンスフィクションという形でそういった幸福を追体験させてくれる一冊である。高島雄哉さんは近年は設定考証としての仕事の方が有名だと思うんだけれども、小説も見逃すな。
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ランドスケープと夏の定理

L2に建設された実験研究施設に、宇宙物理学者である姉のテアから弟であるネルスが呼び出される場面から物語は幕を開ける。テアは無数の研究を手がけているが、メインでやっているのは人格、脳内の記憶情報を取り出して転送し、そこで実験などの作業を行わせたのちに肉体へと戻し記憶を再統合する実験である。必要なのは記憶の転送技術・自律行動を可能にする再帰演算だけでなく、情報が戻ってきたときにそのまま接続するために、元の脳の状態をそのまま停止させておくことも求められる。

そのために量子ゼノン効果(短時間で観測を繰り返すことで状態の時間変化を停止させられる効果のこと)を用いたり──といった物理学的なディティールの詰め方がさすがは東京大学物理学科物理学部卒&SF設定考証家っぽい腕の見せどころでもある。ネルスはその時点ですでに、異なる知性間であっても橋渡しをしてくれる”完全辞書”さえあれば会話を成立させることができること示す知性定理を発表した後で、ちゃんとした研究者なのだが、彼が姉に呼び出された一つの理由はまず、”実験体”としてだ。そしてこちらの方が物語としては本題で、3年前の実験でゼノン停止状態にあったネルスと、彼から切り離され演算能力を付与された(自律的に考えることができるようになっていたネルス')ウルスラの再結合を目指すためであった────。

知性定理、"魂”の分離&統合、インフレーションが起きた時の位相欠陥によって生まれ得る、異なる宇宙を内包したドメインボールと呼ばれる小惑星など、後の二作でも用いられていく重要なネタが詰め込まれていくのだけれども、ひとまず推したいのはテアの魅力である。天才描写としてはよくある、凄まじい行動力で周りを巻き込み、何をするにも自信満々で、相手が自分の言いなりになると信じて疑わない性格もさることながら、ただひたむきに、この世界のすべてを解き明かすのだとばかりに自然科学に対して無限の闘争を続けるその姿勢こそに、まずはぐっとくる。

「私はそんな説明では満足できない。ランドスケープは数学的な仮説の空間に過ぎない。だから、私たちの宇宙とボール宇宙の違いを調べることで、近傍宇宙全体に共通する物理構造を導出し、ランドスケープ仮説が正しいのかどうかを確かめ、宇宙のすべてを明らかにする」
 このときの姉は決して傲慢ではなかった。

また、完全なる暴走型の天才ではなくある程度の社会常識と、何より弟に対してはいろいろと言いながらも甘いところが──そして弟の方もなんだかんだいいつつそれに付き合ってあげる関係性が──姉弟ものとしても素晴らしい。正直言って、最初にこれ1編だけを読んだときはおもしろいけどいくらなんでも詰め込み過ぎだとおもったのだけれども後の2作を読んでみるとここで詰め込んだ要素がずっと使用&発展されていき、3作あわせてこの物語宇宙に対して慣れ親しむことができるようになった。

ベアトリスの傷つかない戦場

こちらは年上のお姉さんにして、北極圏の大学院へと戻ったネルスの指導教官でもあるベアトリスが登場する。今の彼は大学院で、どのような知性であってもお互いに連絡が可能であると示した(『すべての知性はより巨大なメタ知性の一部』)知性定理があるとすれば考えられる、知性理論地図の構築に励んでいる。『理論地図だ。人類がこれまでに発見または考察して蓄積してきたあらゆる知見を図形化し、無限次元の超空間にマッピングしたもので、一つの色が一つの学問領域に対応する。』

理論地図には人間が発展させた知見しか反映させられないわけだから、空白領域が大量に残っている。ネルスはこれまでの理論が発展してきた構造を利用することで現在の理論の強制的に加速させることができないのかを試みる、つまり将来的にたどり着くはずの理論を先取りできるのではないかと発想したわけだが──ほぼ同時に、ネルスは北極圏共同体で発生したクーデターに巻き込まれ、大立ち回りを演じることに。

未来の理論を先取りすることができたとして、それは良かれ悪しかれ世界を一変させてしまうだろう。そもそも理論を研究すること、『問いを解くことは善か悪か』『計算可能性を試すことは善か悪か』を問う1編でもあり、さらに先の問いへ到達している。ベアトリスもねー、テアとは違った意味でいいんだな、これがな……。

楽園の速度

一作目と二作目を踏まえた展開になっているので紹介できることが多くないのだが、これまでの第一、第二知性定理を考えれば第三の定理はそうなるよね、という、ある種の”全宇宙翻訳”ともいえる境地に挑む。新たな理論がいくつか解き明かされてもこの宇宙にはまだまだわからないことや制限がいっぱいあって、テアもネルスも世界の探求をいつまでも続けていくであろうことがわかるこの三作目が、たまらなく愛おしい。『「今の私では知ることはおろか、想像もできないことを、私は知りたい」』

物語の最後で、ネルスとテアはSFでしか体験することができない特異なランドスケープを読者の前に提示してみせる。その興奮は、SFを読んでいてよかったなあとしみじみ思わせてくれる特別なものだ。

おわりに

クーデーターや、「楽園の速度」では第一、第二知性定理を発表したネルスとテアへの攻撃など、暴力的な要素も作中にはあるのだが、一貫している空気は未知を解き明かしていく、明るく前向きなものだ。SFっていうのは、本当に本当におもしろいなとあらためて実感させてくれる傑作である。