- 作者: マーガレット・アトウッド,佐藤アヤ子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2018/09/22
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
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詩的でリズミカルな文体は驚異的に読みやすいうえに癖になり、二人の女性が、この滅亡一歩手前の世界がこの先どうなってしまうのかが気になって、もう寝ようと思っているところでもあとちょっと読みふけってしまう、そんな素晴らしい作品だ。「破滅へ向かっていく人類」と一言で書くのは容易いが、その実態を説得力を持って、食い入るように読ませるのは難しいが、アトウッドはそれを平然とやってしまう。
凄く細かな描写がね……この世界をじっくりと立ち上げていくんだよね……。遺体だらけの世界で、親友同士の女の子がシャンパンを飲みながら、『「ねえ、爪の手入れをしよう。ひどすぎよ」そうすれば、多分元気が出ると思った。アマンダが笑いながら言った。「致命的な世界的疾病で爪は台無しだね」』といってお互いの爪を塗り合うシーンとか、破滅的な世界の情景と相まってぎゅんぎゅんきてしまう。
簡単にあらすじとか
物語は「神の庭師たち」という新興の宗教団体が設立してから25年目を迎えた年からはじまる。おそらく世界から政府は失われつつあり、巨大な企業と企業の秘密警察が完全に権力を握っており、人間の髪の毛の移植用の毛をはやした無数の体毛を持つモ・ヘアヒツジ、ライオンと子ヒツジの接合種ライオバム、遺伝子操作された新人類などなど、遺伝子操作によって無数の遺伝子結合生物が作られ、世界に満ちている。
神の庭師たちは、そんな世界にあって人工的な合成物や種を絶滅させ環境を破壊する人々の行動に異議を唱えており、着る物も出来る限り再利用するなど、自然と科学の調和を目指すエコロジカルな団体だ。この宗教団体の作り込みがまたいい。彼らは野生の食物への知識を豊富に持っており、スラム街のビルの屋上で野菜を栽培し、自分たち独自の祝祭日、主に環境問題や野生生物への言及で知られる独自の聖人を持ち上げ、と参考にした宗教団体はないそうだが、実際にいてもおかしくなさそうである。
そんな教団にかつて一時的に滞在していた年長のトビーと、少女のレンの二人を中心に交互に進展していくが、二人ともどちらも人類の大半を殺し、自分たちがたまたま生き延びた〈水なし洪水〉が具体的にどのような病気なのかや世界の状況について詳細を独白することはほとんどない。──『でも、〈この水なし洪水〉に襲われた今は、何を書こうが安全。私の書いたものを逆手にとっていじめそうな連中はほとんど死んでいるだろう。だから何でも好きなことが書ける。』──あくまでもこの世界をリアルに生き抜こうとする一人の人間として、二人が教団に身を寄せるようになった過去の回想を挟みつつ、人類の大半がいなくなった世界を旅していくことになる。
普通のひとたち
このトビーとレンがまた、世界の命運をになった重要人物などではなく、基本的にはただ状況に翻弄され、生き残ってしまった比較的普通の人達であるというのがおもしろい。ただ、その”普通”とは、あくまでも”この世界での”普通にすぎない。
たとえば、トビーの母親は病気で死に、父親は資金難でライフルで自殺。一人残されたトビーは借金の返済から逃れつつ髪の毛や卵子を売って放浪しつつ謎の合成肉を売るチェーン店のシークレットバーガーで働き始めるが、そこで神の庭師たちのトップ、アダム一号と出会い、苦境から救出されることになる。ハードな人生だが、食事をとることができて、教団にたどり着くことができたという意味では運がいい。
個人的に愉快だったのが、トビーがその教団に行ったのは単に生きる道を模索してのことであり、彼女自身は宗教自体はまったく信じていないのだけれども、だからこそ熱心に教団の仕事をこなすうちにその能力を認められ、出世し、完全に教団の思想に感化されたわけでなくとも、だんだんとその思想が根付きはじめるところである。このへんのおもしろさって言語化しづらいんだけれども、なんというか生活をずっと共にしてきたからこその感化というか、信じてなくともそんな生活をずっと送っていたらまあ身についていっちゃうよな、という感じで、頷いてしまうのだな。
そうした長い年月に渡るちょっとした変遷みたいなものを、じんわりと染み込むように描くのがマーガレット・アトウッドはとんでもなくうまいと思うのである。一方のレンは幼少の頃から母親に連れられて教団へやってきた女の子で、そこで教育を受けながら、その後一度教団を離れ、また別の「外の世界」の価値観に触れることで、作中で教団の思想は幾度も相対化されることになる。
巨大化する教団
最初こそただ誰にも害を与えずに菜園を運営している小規模なカルト宗教と思われていた神の庭師たちだが、次第にその影響力は強くなっていく。勢力が増え、コーポレーションの中に自分たちのシンパを送りこむようになると、彼らも無害なカルト宗教とは見なされなくなる。彼らを疎むものたちが増え、内部的にも力が増大し、種を絶滅に追い込む周囲の悪徳企業を罰すべきだという強行派の声も大きくなっていく。同時に、後に〈水なし洪水〉も迫り──と、一歩一歩世界が、教団が破滅へと向かっていくさまがじっくり丹念に描きこまれていくのがたまらない。
おわりに
教団歴25年から過去を回想しつつ、時代が25年に追いつくと、ばらばらの場所で生き延びたトビーとレンのその先の物語が語られてゆくことになる。果たして二人は、教団で暮らした長い時を経て、この人がほぼ消えた、しかし人以外の生物が蘇り、栄えつつある世界で再会を果たすことができるのか! 最初に書いたように、(人間が)破滅へと向かう世界で暮らす人々の、ディティールの描き込みが最高なんだよね。
「いま・ここ」に蔓延している不安や恐怖を、丹念に描き出した一作だ。いやーしかし、こんだけおもしろいと、はやく三部目である『MaddAddam』も読みたくなってしまうな……。まあ、きっと1年や2年では出ないんだろうな……