基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

無数のフィクション・キャラクターが入り乱れるホームズ・パスティーシュ──『モリアーティ秘録』

モリアーティ秘録〈上〉 (創元推理文庫)

モリアーティ秘録〈上〉 (創元推理文庫)

モリアーティ秘録〈下〉 (創元推理文庫)

モリアーティ秘録〈下〉 (創元推理文庫)

英国全土がドラキュラに支配された世界に、歴史上の人物やらフィクションの登場人物(ホームズやらジキル博士やら)が入り乱れて争いまくる《ドラキュラ紀元》シリーズのキム・ニューマンによるモリアーティ譚が本書『モリアーティ秘録』である。モリアーティとはシャーロック・ホームズに出てくる、ホームズの宿敵にして、犯罪結社の謎めいたボスである。語り手となるのは正典でも彼の右腕的存在であったモラン大佐で、彼の目からみたモリアーティと〝犯罪商会〟の実態を描き出していく。

で、僕は《ドラキュラ紀元》しかキム・ニューマンの作品を知らないから、こっちは普通にホームズ・パスティーシュ(パスティーシュは作家の作品を模倣して作られた作品のこと)として進行するのかと思いきや、無関係な作品のキャラクタやネタを自重することなくガンガンぶっこんでくるのでたまげてしまった。たとえば、基本的に章ごとに原典のパロ的なタイトルがつけられて、内容的にもオマージュになっている(最初のやつは『緋色の研究』ライクな「血色の記録」)のだけれども、そこになぜかまったく別の作品も混ぜ込まれているのだ。「血色の記録」にはゼーン・グレイ『ユタの流れ者』が混ぜ込まれているし、「ダーヴァヴィル家の犬」は『パスカヴィル家の犬』と『テス』など。それに加えて、名前だけの登場も含めて無数の他のフィクション・キャラクタが入り乱れ、お祭りのように賑やかになっていく話なのである。

物語は基本的に一話完結、連作短編集のように進行していく。モリアーティというキャラクタは、(ホームズはあまり詳しくない)僕からすると、悪のカリスマとして強烈にキャラ立ちしつつも、その背景は謎ばかりでわけのわからない人物というイメージだけれども、本書の中ではどこまでも格好良よく犯罪哲学や理想の犯罪を語り、周囲を煽動しつつも本人はかなりくだらないことに本気になったりプライドが高かったりする、人間的な存在として描かれており、それがまたおもしろい。たとえば、格好いいほうの例をあげてみると、第一章「血色の記録」でモラン大佐を熱烈に歓迎するモリアーティ教授の語る”犯罪結社”についての言葉の数々が、もう最高である。

「想像してみるがいい、いつも専門家に保護されている副大臣や、財界の巨頭や、極上の高級売春婦は、殺人志望者の手の届かぬところにいるけれども、でたらめなアナーキスト――なんとも杜撰な爆弾を抱え、己の主義主張のためなら喜んで殉教者となる奴――に対してだけは無防備なのだ。では今度は、ライフルを持った男を考えてみろ。標的から一定の距離にある窓やバルコニーに陣取り、武器に『望遠装置』を取りつけ、冷静に狙いを定めて、正確に百発百中の一撃を放つ。モラン、戦争に用いられた〝狙撃手〟を、一般の環境で、民間の企てに生かすのだ。どこから撃たれたのかすら判らぬため、倒れた雇い主のまわりで護衛たちが半狂乱でパニックを起こしている間に、暗殺者は荷物をまとめて、何者にも邪魔されず、誰にも見られず、追跡もされずに、ゆったりと歩き去る。それが今後の殺人だ、モラン。『科学的』殺人だ」

モリアーティら、犯罪商会が行う仕事は利益、現金のための殺しであり、そのスマートなやり方には痕跡というものが残らず、ホームズが「ほぼすべての迷宮入り事件が、彼の手によるものだ」というように、ほとんどすべてを”完全犯罪”にさせる圧倒的な力がある。とはいえ、すべてがそうやって誰にもバレずに進行してしまうと物語にはならないから、モリアーティとモランらが対峙する〝殺し〟の案件は、どれも少し不可思議で面倒くさかったり、やたらと手こずったりしていくことになる。

各編をざっと紹介する

たとえば、モリアーティが書いた『小惑星の力学』をとことんバカにしているサー・ネヴィル・ステントと、怒り心頭でいかにステントを貶めてやろうかと奮闘する小物感半端ないモリアーティの戦いを描く第三章「赤い惑星連盟」。『ところが講演ホールの深淵の向かい側では、ステントの知性との差が、ステントのち生と滅びゆく野生動物のそれとの差に匹敵するほど広大で冷徹かつ無情な頭脳の持ち主が、嫉妬深い目つきで演壇を見つめつつ、ゆっくり、着実に、彼に対する計画書を作成していた。』

人間ではなく犬、それも生きている犬ではなく〝レッド・ジャック〟と呼ばれる遊歴的な犬を殺してくれと無茶苦茶な依頼を受ける第四章「ダーヴァヴィル家の犬」。モリアーティが、〝世に言う不可避とやらを受け入れることは拒絶する〟と宣言して、やべー呪いの逸話がある、実在すら危ぶまれる六つの伝説の品──黄色い神の緑の瞳、ボルジア家の黒真珠、ヨハネ騎士団の鷹、ナポリの聖母の宝石、七つ星の宝石、バロルの眼──をたったの2日で無理やり集めてきて、その呪いを突破してみせようとしてクトゥルフ神話まで入り乱れたカオスな展開をみせる第五章「六つの呪い」。

正典ではモリアーティ教授は三人兄弟で、あとの二人は大佐と駅長で、大佐の方はなぜか教授とまったく同じジェイムズ・モリアーティであることが明かされているが、第六章「ギリシャ蛟竜」ではそこに加えて、一番下の弟である駅長もジェイムズにしてしまって、三人のジェイムズ・モリアーティがワイワイと兄弟喧嘩をしながら巨大な〝ワーム〟を狩るという、これまた(元ネタがあるからわかるといえばわかるけど)わりと意味不明な話である。詳しくは紹介できないが列車戦闘が行われる話でもあり、三人のモリアーティが入り乱れるわけのわかなさといい、好きな話のひとつ。

下巻のラストを締めくくるのは、第七章「最後の冒険の事件」。ホームズは一回モリアーティと直接対決して、滝に落ちて一回死ぬのだが、その時の事件の裏側はどうなっていたのか──が語られていく。『結末は知っているだろう。滝からの転落だ。』最新の科学と警察力の強化によって犯罪者たちが危機にされている状況下で、モリアーティが各地の〝悪党〟にたいして、『我々は犯罪帝国群の連邦を構成することになるのだ。警察が買収しやすい阿呆ではない世界において、勝利し最終的に生き残る希望を抱くには、犯罪王以上の者たらねばならぬ。間違えるな。世界はこれまでずっと我々に敵対してきたのだ。』と煽動するなど、燃える展開が続く名編だ。

おわりに

主要登場人物三人が全員同じ名前である「ギリシャ蛟竜」など、「お前読みやすくする気ないだろ!」なキム・ニューマンらしく、とっつきにくいところもあるにはあるが、非常に馬鹿げていてひどい話笑 なのでぜひオススメしたいところである。