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奇妙で奇天烈、詩情とヴィジョンに支えられた快作揃いのSFアンソロジー──『Genesis 一万年の午後』

Genesis 一万年の午後 (創元日本SFアンソロジー) (創元日本SFアンソロジー 1)

Genesis 一万年の午後 (創元日本SFアンソロジー) (創元日本SFアンソロジー 1)

SFアンソロジーは『NOVA 2019年春号』が出たばかりだが、今度は東京創元社から創元のNOVAと言われていた『Genesis 一万年の午後』が出た!
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
NOVAの方がそれぞれの著者の持ち味・テーマを前面に押し出した、わりとストレート寄りのSFが多かったのに比べると、このGenesisは作家の多くが東京創元SF短編賞(この賞で募集しているのは”広義の”SFで、受賞作も幅広い)の受賞者に寄っており、作風としてもストレンジ、スペキュレイティブな方に振られている。変なものを書かせたら一級品の高山羽根子、倉田タカシや宮内悠介に、百合の実践者としてその名を轟かせつつある宮澤伊織の本格SFアクション、詩情たっぷりなヴィジョンでみせる久永実木彦に──と、その個性のばらけ方で、また存分に楽しませてくれる。

おもしろいSF短編を読みたい! という人にはNOVAもGenesisも(まだ未レビューだが、『万象』も)オススメだが、変な話、変な短編が読みたい! という人には迷わずこのGenesisを手渡そう。もちろん、純然たるSFとしておもしろい作品もいっぱいあって──とここから先は、下記にて一編一編軽く紹介してみよう。

ざっと紹介する。

トップは第八回創元SF短編賞受賞者の久永実木彦による「一万年の午後」。この世界では人類はとうに滅亡しており、その代わりに、人間によって創造された、身長1.5メートルほどのロボット的存在であるマ・フたちの淡々とした生活が綴られていく、趣のある終末SFだ。マ・フは半永久的に劣化しない存在で、長い年月に渡り、人間の残した聖典に基づいて他惑星観察員としての生活を送っているが、ある時から個体ごとに細かな不具合、個体によって異なる判断が生まれ始める──。

聖典にしたがって規律正しく観察者として生きてきた、マ・フたちは独自の考え、個体差が生まれた時に、どのような道を選ぶのか。”当たり前の日常”が徐々に崩壊していく繊細な描写とヴィジョンがたまらない、持ち味の強く出た一編である。

「居た場所」が芥川賞候補になってノリにのっている高山羽根子の「ビースト・ストランディング」は地球に”フェノメナ”と呼ばれる、なんか怪獣みたいな、生物のような現象のようなものが降ってくるようになった世界を描く、一種のKAIJUSFだ。それだけならふーんそういう世界なんだで終わりそうなもんだが、なぜかこの世界ではその怪獣を持ち上げる競技があり、凄い才能を持った少女が伝説の女性プレイヤーとペアを組んで試合に臨もうとするが最後には凄まじいカタストロフが──みたいな、まっとうなような、意味不明なような、スポ根物的展開をすることになる。

相変わらず奇妙な話だが、なぜそのようなフェノメナが現れたのかという歴史的説明をきちんとしているあたり、高山羽根子作品としてはわりとわかりやすいというか、SFっぽい話であり、そんな無茶苦茶な世界のくせにカイジューがいる情景というものが緻密に描かれていて、荒唐無稽な構造物がしっかりとした基礎によって支えられているような、そんな不思議な読後感を与えてくれる逸品だ。

宮内悠介「ホテル・アースポート」は、ミステリーズ新人賞の落選作のお蔵出しではあるものの、ほぼ使われなくなった軌道エレベータ付近の、寂れたホテルで起こる殺人事件を扱った一編で、寂れたホテルならではの終末SFチックな雰囲気が詩情たっぷりに描かれていき、そこに音楽も関係してきて──と実にらしい作品に仕上がっている。けっこう好き。続く秋本真琴「ブラッド・ナイト・ノワール」は、人間は滅亡間近の希少種となり、代わりに夜種と呼ばれるヴァンパイアたちが覇者となった世界を描くヴァンパイア・ノワールだ。大手ギャングの幹部として日々を送っている夜種の男のもとへ、「かまわぬ」とか尊大な話し方をする王族の少女がとある事情を抱えて逃げてきて──というコテコテの話だけれども、これがまた実に雰囲気がいい。

架空の論文ばかりを集めた『架空論文投稿計画』など、わりかしトリッキィな書き手なイメージがある松崎有理の「イヴの末裔たちの明日」は、AIによる業務効率化が行き過ぎて人間の仕事はほとんどが代替され、みなベーシックインカムで働かなくても良い世界が実現した、”導入としては”わりとありがちな話ではある。が、そんな社会でどうしても追加の金が欲しくなった男が唯一見つけた仕事が「治験」で──と、奇妙な治験・実験に巻き込まれていき、最後には”やっぱりそこに収束するんかい!”とツッコミたくなりつつも、非常にスマートなオチで決着してみせる快作。

本書の中でおそらく一番の問題作が倉田タカシ「生首」。なぜかある時から、自分の身の回りでどん、と生首が落ちる音がする。音がして見に行くと、確かに落ちている。しかし、少し経って見に行くと、消えている。不思議な話だが、そんな事が続く日々を過ごすうちに、いつしかその語り手は”自分の意思で生首を落とす技術を身に着けていた!”──ってそんなことが出来てもどうしようもないじゃろと思うのだが、事態はここからどんどん意味不明な、あえていえば怪奇幻想のような方向へと振り切れていく。正直、こんなものを頭の中で常にこねくり回していて、倉田さんの実生活は本当に成り立っているのか、大丈夫なのかと心配になってしまうような出来だ。

宮澤伊織「草原のサンタ・ムエルテ」は第六回創元SF短編賞受賞作「神々の歩法」の続編。とはいえ本作から読んでもOK。西暦2030年頃の地球を舞台とし、宇宙の彼方からやってきて、人間の精神に憑依しその圧倒的なパワーで人類に対して破壊行動を行う地球外知性と、ウォーボーグ兵士たちの戦いを描くアクションSFだ。〈ランタン〉と呼ばれる、異星のテクノロジーを用いた拡張感覚器官や、三次元を超えた高次元空間を相手との格闘戦で利用する〈歩法〉を前提とした戦闘描写など、設定・描写全般がぐっとくる。精神年齢八歳で、身体は女子高生ぐらいでありながら、人類を滅亡させるに足る究極破壊兵器なニーナとか、属性コテコテなキャラがまた最高。

ラストは大ベテラン堀昇による「10月2日を過ぎても」。震度6弱の大きな地震から始まり、それから後に起こった大阪での災害まみれの日々の生活を日記風に綴っていくと思いきや、最終的には非常にローカルな(というか大阪の)宇宙論にたどり着いてみせる。いちばん最後に、「ちいさなあとがき」として各作家による短い後語りがあるのだが、そこで(作品名は出していないが)高島雄哉『ランドスケープと夏の定理』をべた褒めし、『私の場合、今や宇宙は半径五キロ、支配するのは「痴呆定理」である。』とキレッキレの自虐ギャグを展開しているのもまたわらかしてくれる。

おわりに

気合の入った小浜編集の序文とあとがき、各作家の扉文に書かれている笠原編集(稀に小浜さん)の作家自身の紹介や、原稿を集める際の打ち合わせのエピソード、最後にまとめられた各作家陣による「ちいさなあとがき」など、やっぱり色んなところで出版社というか、編集の個性は出るものだよなあと読みながら微笑ましくなったりもする一冊である。また、エッセイとして加藤直之さんがSFと絵について、吉田隆一さんがSFと音楽について書いているのもまた雑誌的で心地よいものがある。

今後は定期的に刊行していこうとしているようなので、ますます今後の日本SF短編シーンが楽しみになった。さて、次は近いうちに『万象』について書きます。