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いつ、どこで、誰が酒を飲んでいたか──『酔っぱらいの歴史』

酔っぱらいの歴史

酔っぱらいの歴史

アルコールの歴史や人間に作用する化学とは……みたいな本は僕もこれまで何冊か読んでいたが、本書はそれらとは少し路線が異なっており、”酔っぱらい”についての歴史書である。酔っぱらいの歴史はもちろん皆さん知っての通り現在進行系のものだが、はたしてその起源はどこにあるのか。人間は、どのようにして酔っ払い続けてきたのだろうか。まあそんなような問いかけを、シュメールのバー、古代エジプト、ギリシャの饗宴、古代中国、イスラム、ヴァイキング、アステカ、オーストラリア、ロシア──などなど、時代的にも地理的にも拡張していったのが本書である。

 歴史書は、誰それが酒飲みだったという話は好んで語るが、飲酒の詳細は説明してくれない。どこで飲んでいたのか? 誰と? 時間はいつごろ? 飲酒には必ずルールがつきものだが、書き残されることはまれだ。たとえば現代の英国では、法が施行されているわけでもないのに、空港にいるときやクリケットの試合を除き、午前中に酒を飲んではならないと、ほぼ誰もが知っている。

人類最古の酔っぱらい

それにしても最初に気になるのは人類はいつから酔っぱらいはじめたのかということだ。現代の人類的なものはおよそ15万年前からいるが、その頃には当然酒はない。酒がない世界で人類的な何かは生きていたわけである。状況が大きく変わり始めるのはかなり時間が経って、2万5千年ほどまえからだ。この時期、女性が角の杯を口元に持っていこうとする像が掘られている。めっちゃ飲酒行為っぽいが、それだけで判断するのはあまりにも早計だろう。では、現実的な飲酒開始線はどこに引けるのか。

著者が立てる仮説はなかなかに大胆なものだ(これはもちろん褒め言葉ではない。けなしているわけでもないが)。そもそもの話、人類は最初ずっと移動しながら生きていた。ようは定住していなかったわけだけれども、それがなぜ定住するようになったのか。もちろん食物を育てるためだろう。そうすればより大人数を養えるようになるし、移動するエネルギーを無駄にせずにすむ。それから酒や神殿をつくった。著者はここに果敢に切り込んでいく。実は、人類は酒を作りたくて定住したのでは? と。

そんなわけないじゃろ、と思うところだが、説明を聞くとそこそこ説得力はある。現在知られている最も古い建造物はトルコのギョグベリ・テペと呼ばれるものだが、これは実は屋根も壁もなく人が住んでいた形跡もなく、農耕以前の紀元前1万年前にはすでにあったと推測されている。これには大勢の人間の協力が必要だったはずだが、なぜそんなものを作ったのか? 実は、ギョグベリ・テペには180リットルほどの容積がある石の浴槽のようなものがあって、そこにはショウ酸塩の痕跡があるという。

ショウ酸塩は大麦と水を混ぜると発生する物質で、大麦と水を混ぜれば自然に発酵してビールになるから、ギョグベリ・テペはみんなが集まってビールを飲む場だったのかもと推測できる。『するとここから、人類史に関するすごい説が導かれる。われわれが農耕を始めたのは、食べ物がほしかったからではない──そこらじゅうにたっぷりあったのだから。われわれが農耕を始めたのは、酒が欲しかったからだ。』と、これだけ読むと「スゲー胡散くさい」と思うかもしれないが、この後に少し詳細な根拠が書いてあるので疑問に思う方は読んで確かめてみてもらいたいところだ。

人類はずっと酔っ払っていた

それが飲酒前史の話であり、そこから先は酔っ払い続けてきた人類についての話である。最初は最古の文明都市といわれるシュメールのバーについて。紀元前3200年ころには人々はすでにガンガンビールを飲んでおり、金の貸し借りは大麦、金、ビールで支払われた。ツケの量を示すのがビールジョッキの絵だったのだ。酒に経済活動が支配されている。この頃にはすでにビールの女神(ニンカシ)がいてとにかく休むことなく永遠にビールを醸造する神である。そのうちFGOに登場してもおかしくない。

この時すでに酒場があったらしい。何しろ紀元前3200年前の酒場の話だから、それだけですでにおもしろい。なんでも、酒場の主人は女性で、ビールの醸造は家事のひとつであり、女性の仕事として扱われていたという。ビールはその場で醸造され、無数のアレンジメントが加えられていたことからクラフトビール的な楽しみがあっただろう。もちろん、現代のビールとはだいぶ違っていて、固形物がたくさん浮かぶ発表酒の大麦のかゆのようなものだったようだが(それにストローをさしてのんでいた)。

古代エジプトでも人々はよく飲んだ。程よく飲むなどではなく浴びるように飲んだため、使用人は常に横についていなければならなかった(酔っ払ってゲロで溺れるかもしれないから)。酔っぱらい祭りと呼ばれる定期的に行われる祝祭では、女神ハトホルと人類を救ったビールの奇跡を讃えて行われ、大量のワインとビールを飲み、神官が神聖な詩文を読み上げて、誰かれかまわず性交したという。『奇妙に聞こえることだろうし、たぶんあなたはこう思っているだろう。「妊娠したらどうするんだ?」していた。』適当に性交するので、適当に妊娠していたが、何も悪いことではないとされ、その時の子供は尊ばれ大人になると神官になったうえに自慢したという。

ギリシャでも当然人は飲んだ。プラトンの饗宴で知られるような宴が催され、アテネ人はそこでゲームをしていたという(杯に残ったワイン数滴を、的に向かってぶつける)。もちろん時代が現代に近い話もある。たとえば1700年代のロンドンっ子たちもみな酒を飲んだ。蒸留の技術が発展し高いアルコール度数の酒が造れるようになって、ジン・ショップの店内で大勢の人間が死んだ。それは新しい酒であり、アルコール度数の低いエールしか経験していないと、飲みすぎてあっというまに死ぬのだ。

おわりに

こうしてみていくと、酒を飲む、酔っ払うという単純な行為が社会、文化によって大きく異なり(とはいえ方向性は全部同じだが)社会を騒がしてきたことがよくわかる。酔っ払うとたがが外れ普通やらないことをやるようになるから、そうした行状をみていくだけでもおもしろい。あるときは暴力を誘発し、あるときは喜びであり、あるときは転落であり、政府にとっては暴動の原因であったり税収だったりもする。

本書のエピローグの文章は絶対酔っ払って書いたやろこいつとしか言いようがない意味不明な、しかし感動的なものなので、できれば読みたいと思った人はここまでたどりついてほしいところだ。一部だけ引用して終わりとしよう。『現在からはるか先のいつか、チンパンジーが醸造所を乗っ取り、ゾウが蒸留所を占拠し、パブが恋わずらいのミバエで満席になった日には、人類は地球上で最後の一杯をくいっと飲み干し、千鳥足で宇宙船へ転がりこんで、この小さな岩のボールをあとにするだろう。』