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怪奇幻想小説の傑作──『ピクニック・アット・ハンギングロック』

ピクニック・アット・ハンギングロック (創元推理文庫)

ピクニック・アット・ハンギングロック (創元推理文庫)

本書は『ピクニックatハンギング・ロック』という大ヒット映画の原作にあたる。大ヒットとはいっても公開されたのは1975年あたりで、僕は観たことがなく、カバーデザインがいいのと、書名が気に入ったので読み始めたわけだけれども、寄宿女学院アップルヤードでの女の子たちの和気あいあいとした(そして一部どす黒い)日々、とても現実的な出来事とは解釈しきれない怪奇、モノリスの周囲で行方不明になる少女たち──と、あえて分類するならばゴシック小説、幻想小説あたりになるのだろう。

著者のジョーン・リンジーは1896年のオーストラリア生まれで、70歳の時にこの本を書いたと言うからたまげてしまう。少女や青年の感情の描き方が物凄くみずみずしくて、オーストラリアの情景、音や質感の緻密な描写はぞっとするほど美しい。本書は実はこれが本邦初訳なのだが、なぜこれほどの作品で、かつ映画も大ヒットしているのにこれまで刊行されてこなかったのかと不思議に思ってしまうぐらいだ。

ざっくりとしたあらすじとか読みどころとか

舞台となるのは1900年のオーストラリア、寄宿女学院アップルヤードの女子生徒たちと教師二人がハンギングロックという場所へピクニックへ出かけるが、岩山をより近くで見ようと離脱した3人の少女たちと教師の一人が突如なんの形跡も残さずに失踪してしまう──というのが冒頭の出来事だが、まずそこに至るまでの女学生たちのやりとり、ただそこでのんびりしているだけの描写がやけに幻想的でぐっとくる。

となりにいるミス・ポワティエは草地にゆったり寝そべり、顔にかかったブロンドの髪を気にする様子もない。アーマは、白蝶貝の柄の果物ナイフで、熟れた杏をむいていた。ひとりだけクレオパトラの宴席にいるのかと見紛うほど、優美でなまめかしい手つきだ。「ポワティエ先生をみてよ、ミランダ」アーマは声をひそめていった。「あんなに可愛い人が学校の先生だなんて、信じられる? 教師なんて、退屈の代名詞みたいな仕事なのに……。ちょっとハッシーさん、先生を起こしちゃかわいそうよ」

こうやってアーマがポワティエの美しさを褒め称えた後、ポワティエはポワティエでミランダを眺めながらウフィツィ美術館に飾られているボッティチェリの天使の絵にそっくりだと気づくなど、女性同士の幻想的な関係性的な意味でもツボにくるものがある。『夏の午後という時間帯は、物事を説明することはおろか、大切な問題について考えを巡らせることさえ難しい。たとえば、愛についてはどうだろう。』

優雅にハンギングロックでピクニックを楽しんでいる一向だが、少しずつおかしなことが起こり始める。なぜか全員の時計が12時で止まる。巨大な岩山をもっと近くでみたいからと、少女4人だけが離脱する。4人が岩山をのぼっていき、ほぼ円形の広場でおしゃべりを楽しんでいると、4人のうち下級生であるイーディスを除く3人が、突如靴と靴下を脱ぎ、どこかへ向かって一心不乱に歩き続ける。平野から奇妙な音が聞こえ、4人は謎の石柱(モノリス)が屹立する場所にやってきて、イーディス以外の3人は。彼女の必死の静止にも関わらずモノリスの後ろへと消えていく。

怪奇現象としか言いようがないが、その後なぜか本を読んでいたはずのマクロウ先生の行方もわからなくなり、ピクニック一向は探し回った後断念して帰還。その後大量の警察が動員され山狩りが行われたが、かけらも捜査は進展しないのであった──。

で、学校側のドタバタを描きつつも、次に中心となって描かれていくのは、消えた女学院生徒を探しにいこうと決意する貴族のマイケルと、その親友にして御者として雇われているアルバートのコンビだ。序盤は女性同士の関係性にもだえるが、こっちはこっちで男性同士の関係性として極上のものがある。『生まれた場所がたまたま貴族の家庭ではなかったというだけで、片方はろくに読み書きができない。だが片方は、二十歳になったいまでも人見知りが直らない──私立学校でどんな教育を受けようと、大人になったときの振る舞い方までは矯正できない。マイケルとアルバートは、ふたりで一緒にいるときだけは、自分の短所を気にせずにすんだ。』

おわりに

はたしてマイケルとアルバートは女学生を助けることができるのか!? そしてピクニックにでかけた者たちの失踪だけが問題になるのかと思いきや、ピクニックとは何の関係もなかった者たちの人生も狂いだし、女学院全体を巻き込んだ大騒動──といえるのかどうかさえわからないカタストロフ的状況へと進展していくことになる。序盤、中盤、終盤と作品が想起させてくれる感情や恐怖の質がまったく異なっているのも凄くて、50年以上前に刊行された作品だけれども、その価値は色あせていない。