- 作者: フランシス・ハーディング,児玉敦子
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2019/01/21
- メディア: 単行本
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書名にカッコーと入っているように、問題を抱えながらも平穏に暮らしていた一家の元へ、取り替え子的にやってきてしまった一人の少女=人形の物語である。読み進めるたびに自分はいったい誰なのかとアイデンティティが問われ、新たな名前を、人生を得るために奮闘していく。それを取り巻く文体と超常現象の数々はページをめくる手が止まるほど美しく、描写に耽溺させてくれる極上のファンタジィだ。
舞台とか
舞台は1920年、依然として戦争の傷跡が残るイギリス。主人公にして語り手である11歳の少女であるトリスは、いきなり記憶喪失した状態から物語の幕を開けることとなる。家はどこ、王は誰、自分の年齢といった基礎的な情報は残っているものの、エピソードや人物についてはごく断片的なものしか覚えていない。母親や父親は優しくしてくれ、彼女自身もそういうものなのかな? と思いながら日常を取り戻していくが、次第にトリスにとっても不可思議なことが連続することになる。
たとえば、妹のペンがなぜかトリスに対して異常な敵意を抱いており、ひたすら偽者だと喚き立てる。もともと姉妹仲はよくなかったようで、親からの信頼も薄いのでたいして大げさに取り上げられないが、あきらかに異常だ。トリスが記憶を失うまえにつけていた日記や、身の回りのものなどがいくつも無くなっている。トリスが手に持った人形は語りだし、彼女の身体からはたくさんの葉っぱや小枝が落ち、なぜか一日ごとになにものかが、「あと七日」というように何らかの期限を告げる。また、普通じゃありえないほどお腹が減っており、食べても食べてもお腹が膨れない──。
全編通して「アンデンティティ」が問われていく本作だが、その内実が前、中、後編でそれぞれ違っているのがまずおもしろい。物語冒頭のこの部分では、トリスはひたすら「自分はいったいなんなのか?」を問いかけている。記憶を失った人間だと最初は思っていたが、次第にひょっとしたら人間じゃないんじゃないの? と疑惑がもたげはじめ、それが確信へとゆるやかに切り替わっていく。正体のわからない自分についての真実を取り戻していく過程は、スリリングであると同時に恐ろしいものだ。
「わたしはトリスよ」そうささやいた。
けれども、それがほんとうではないとわかっていた。
一度自分がトリスではないということへ自覚的になってしまえば、問題は自分のことから周囲の事柄へと向かう。いったい、誰によって自分は生み出されたのか? 何の目的で? 本物のトリスは、どこにいってしまったのか? 偽トリスである自分は、家族の中でこれまで通りやっていけるのだろうか? あと七日という囁きの意味は、どんどんボロボロになっていく彼女の寿命を意味しているのか──? などなど。
そうした疑問に答えが与えられていくうちに、物語は次々と新たな局面を迎えることになる。彼女のような”怪物”を狩る存在、憎み合っていたはずの姉妹が、再度同じ目的を元に団結し、機能不全家族と化していたトリス達の一家の問題の噴出。トリスを造ったモズ、都市に潜む不思議な生き物たちであるビサイダー(はぐれもの)たちとの邂逅、さらにはその背後にいる、黒幕とみられるアーキテクトの存在について──。
「そうだ」モズはにやりと笑った。「あの人はあらゆる類のものをつくる建築家なんだ。それもとびきり優秀な。レンガやモルタルにささやきかけて形を変えさせる。どんなにじっと見ていても、人間の目や頭がごまかされてしまうようなものをつくる。百も部屋のある城をつくりながら、外側は屋外便所くらいの大きさに見せることもできる。アーキテクトは、都市のなかにわれわれのための地図にない場所を見つけるには、場所をつくってしまうのがいちばんだと気づいたんだ。地図には載らないような方法で。
最初は「自分は何なのか」について悩んでいたトリスだが、明らかにトリスでないことが判明すると、次第に「トリスになりたい」と願うようになり、それも無理だとわかると「べつの何か」として生きていくしかないと決心し、段階を踏んでアンデンティティの模索を続けることになる。、物語の規模も、最初は自分自身の問題だったのが、次第に自分と周囲の人たち──家族の問題に発展し、最後は自分と人間、ビサイダーと人間たちをめぐる大きな戦いの一部を成すようになり──とアイデンティティ問題の変遷と合わせて拡大していくことになるあたり、構成的にもうまい。
おわりに
そうした構造的な話を置いておくと、何はともあれキャラクタの一人一人が本当に愛おしい。揺らぎに揺らぎ、相手をだまくらかそうとすらする偽トリスが、たくましくしなやかに個として成長していくその過程。偽トリス視点でみると最初はただのクソガキにしか見えないペンが抱える孤独と愛情、大人社会の論理ではなく、自分の論理に従って、二人の善き先導者となってくれる雪の女ヴァイオレット。
みなどこかいびつで、弱さのある大人たち。特に終盤については雪のシーンが特に印象的な本作なのだが、一人一人のキャラクタが、読んでいるこちらをぎゅっと抱きしめてくれるような、そんな暖かさを感じさせてくれる一冊だ。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp