基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ド傑作揃いのSF漫画短篇集──『有害無罪玩具』

有害無罪玩具 (ビームコミックス)

有害無罪玩具 (ビームコミックス)

先日のSFファン交流会(海外SF、メディア(漫画、映画)2018年振り返り回)で、昨年のおすすめに加えて今年出た漫画のおすすめもされていただけど、その中でプッシュされていたのがこの『有害無罪玩具』。紹介者の林さんはいろいろな理由からこれを合計三冊持っているということなので、その場で感謝感激なことに一冊もらってきて早速読んだんだけど、SF漫画としてオールタイム・ベスト級におもしろかった。

もともとチラシのウラ漫画(自サイト)で掲載していた漫画を集めた単行本であり、もともとWebで爆発的にバズっていたという経緯もあったようなので、知っている人も多いのだろう。なので、サイトに飛んでもらえれば、この単行本に収録された作品についても最初の方は読めるので、「もうどんな作品・作風か気になる!」という方は先にそっちを読んでもらいたい(単行本に収録されていないものについても)。

中身的には、60〜90ページぐらいの間に収まる、表題作「有害無罪玩具」、「虚数時間の遊び」、「金魚の人魚は人魚の金魚」、書き下ろしである「盆に復水、盆に帰らず」の計4編収録されている。。どれも純然たるSF作品で、意識やタイムパラドックスに言及する作品もあれば、宇宙の果てを描こうとするスケールの大きなものなど多彩な要素がそれぞれの作品の中にたっぷり埋め込まれている。精神的な不安定さを感じさせるキャラクタが良く、どこか残酷で、虚無的で、同時に美しい、SFでしか描き得ない終末的な風景が現出し、漫画という媒体の良さに溢れた傑作揃いだ。

有害無罪玩具

「有害無罪玩具」はその名の通り、人から有害だと判断されて無罪にも関わらず販売が禁止されてしまった有害で無罪な玩具についての物語である。中学の社会授業で町内のはたらく人の見学に行くことになった少女が向かった先は、この有害無罪玩具の博物館で──といった流れで、不可思議な玩具の数々を体験していくことになる。

たとえば、そのひとつは「人魚」を生み出すしゃぼん玉。しゃぼん玉のよう息を吹き入れると、人魚のような形をしたしゃぼん玉が現れ、膜が割れるまでの間は自由に動いたり、踊りを覚えさせたりといった簡単な知性を感じさせる挙動をする。でもしょせんしゃぼん玉なので、すぐに割れ=死んでしまう。自我のある生物に対して、それは残酷なのではないかと誰かが言う。とはいえ、別にわざわざ殺しているわけではない。それはその生物の寿命といえるのではないか。そもそもしゃぼん玉の表面に一瞬現れるそれを自我と定義してよいのか。そうした答えのない問いが繰り返されるうちに、このしゃぼん玉は有害無罪玩具となって販売停止になってしまったのだ。

これだけの話題が詰め込まれた人魚しゃぼん玉の話題はわずか4ページで終わり、すぐにまた次の有害無罪玩具が現れる。たとえば0.5秒先が見えるメガネ(予知をみて動いているのか? 動かないこと=予知を覆すことはできないのか? はたまた、未来は決まっていて、自由意志など存在しないのか?)、自分が未来に描く絵を先に出力してくれる玩具。漫画演出的におもしろいのは「万能デザイン人形」だ。これは見る人によって異なる最も好ましいデザインに感じさせる人形で、漫画上の表現として、右のページには中学生の女の子、左のページには館長の見聞きする世界が描かれていく。同じ小回り、同じセリフなのに、見えているものが違うのだ(少女はかわいい犬をみているが、館長はぬるぬるとして柔らかい鳥の人形をみている。普通に怖い)。

けっこうおぞましい領域の玩具もある。たとえば、意識と記憶のをコピーして永遠の夢をみせる小箱。悪用を防ぐためにその小箱のデータを出力することは出来ず、恋人の意識のコピーを持ち歩いたりするためのものだが、出力できないので模造品との区別がつかずアイドルの脳コピー箱なんかも売られはじめ──と、かなりぞっとするオチにたどり着いてみせる。他にも、多重世界を観測できるバッジ、人格をコピーして「自分だけど自分じゃない」感覚を持ったまま仕事をさせられる薬などなど。

短編の中で短編が連続し、さらにそれが一つながりのお話として成立していて、この傑作ぞろいの短編集の中で表題作になるだけのことはある逸品だ。

虚数時間の遊び

夜中に自分以外の時間が止まってしまった少女の物語。AVなどでよくある設定だが、この短編の場合はその発展のさせ方が凄い。大抵の場合、この手の時が止まった世界系だと自分以外にも動ける人間が見つかるものだが、ここでは全く見つからない。少女はひたすら虚無の中を歩きつつ、数千年、数億年という時間をただひたすらに暇を潰し生きている。全国のすべり台をすべったり、消化器のピンを集めたり。

気が狂うんじゃないの? と思うかもしれないが、とっくに気が狂っていて、文字通り山のように集まった全国の消化器のピンの背景などが現れたりと、ひと目でその異常性がわかってしまう風景が続出する。1億年もギターを引き続けてキング・クリムゾンの『21世紀の精神異常者』を完全コピーし、道で止まっている女の人とかってに結婚した設定にして200年過ごし、尋常じゃなく狂ってしまったときにはただひたすら数を数えて、「自分が治ったと思った時」自分の身体に記録として傷をつける。その数は、50を超えている──。とにかく、このなんの救いもなければ絶望もない、虚無的な空間と時間の流れがみっしり描きこまれている。

金魚の人魚は人魚の金魚

かつて人間に創られ、不死の愛玩動物であり常に飼い主と見定めたものの周囲を漂っている、金魚の人魚についての物語。この短編集の中ではこれが一番好きだ。金魚の不死の人魚はなんのエネルギー補給もいらず、創造技術は失われているのでもう今いる分から減ることも増えることもない。どれだけ傷つかれても自動修復するからだ。

ベースは金魚なので、人間になつくことはなく、知性もなく、たまに小石を口に入れて吐き出す習性があるぐらい。動物園で買われたり高値で売り買いされ個人宅にいついていたりする。あるところでは(さっきの有害無罪玩具博物館の館長とかが)不死の人魚を解剖しようといって首を切り離したり頭を四つに切り離し──と比較的現代に近い時間軸での金魚の人魚譚が語られていくが、何しろ不死の人魚なので人類文明が終わっても、邪魔だと言われて宇宙に射出されても、死ぬことなくふわふわと周囲を回遊していて──ととんでもない時間・空間スケールにまで話が発展していく。

宇宙を漂い、荒廃した地球をさまよう不死の人魚の虚無感がたまらない。

盆に復水 盆に帰らず

書き下ろし作。死んだ人間が毎年お盆に水を通じて実際に帰ってくる話。戻ってくるのは水が人間の形をとったもので、喋ったりすることはできない。「もし、こんな設定があるとしたら、それは行き着くところまでいったらどこにつくんだろう」というような想像力がこの短編集の中には横溢しているが、本作でも「じゃあ、その死んだ人間は何年先まで帰ってくるんだろう?」という追求が行われる。記録上の最長は140年前までの人間は戻ってくるというが、では、1000年後はどうだろうか──?

黒い長髪の美しい女性を毎年お盆に呼び出している一人の女性は、日本人初の時間飛行士となり、千年年後の未来の観測任務を請け負うことになっている。ある年のお盆に、女性は、もしも、できたら、1000年後にも自分の呼び出しに答えてくれないかと語りかける。『だから もしも できたらでいいんだけど 待ってもらえるならば もしかしたら気持ちは関係ないかもだけど 私に会うために1000年待っててくれないかな』。果たして死者となった彼女は1000年もの間、待っていてくれるのだろうか。

待ってくれているとしたら、二人の間にかつてあった繋がりはどれほど強いものなのだろう。1000年後の地球の状況と、二人の過去の密接な関係性が交互に描かれていき、最後には──。凄まじく尊い百合SFである。

おわりに

単なる紹介にしては書きすぎてしまったが、最初に書いたように作品はまだたくさんサイトで読めるので一度、どうか一度読んでみてほしい。僕もお金を払っていないのが申し訳なくなってしまったので自分用を一冊買いました。本の装丁がなーまたデザインからイラストまで含めて最高なのですよ。というわけでヨロシク!