- 作者: ケンリュウ,牧野千穂,古沢嘉通,幹遙子,大谷真弓
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2019/02/20
- メディア: 新書
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とにもかくにも、いま日本の作家も含めて良質な短篇を読みたいのであればこの本(とケン・リュウの他短篇集)を読まない手はない。「まだケン・リュウ読んだことがない!」という人にはさすがに文庫が出ている『紙の動物園』から買うのをオススメするが、特に繋がりがあるわけでもないから、ケン・リュウのキレッキレの部分を味わえる作品集になっている本書から読んでもいい。全体への雑感はそんなところにして、以後は本作の中から気に入った短篇をいくつか紹介してみよう。
- 作者: ケンリュウ,伊藤彰剛,古沢嘉通
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2017/04/06
- メディア: 文庫
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いくつかざっと紹介する。
トップバッターは表題作「生まれ変わり」。「トウニン人」と呼ばれる異星生物が地球に存在し、事実上人間を支配している世界での物語。このトウニン人らははるばる宇宙を旅して地球へとやってきたぐらいなので飛び抜けた技術を持っているのだが、そのうちのひとつが「生まれ変わり」と呼ばれる記憶消去技術である。
何か犯罪的なことをやらかした時、悪いのは、本当にその犯罪をやらかした「個体」全体なのだろうか? いや、実際には悪いのはそれをやらかした「個体の中の一部分」であり、犯罪に責任を負っていた一部分を消去することで情け深い、思いやりのある「犯罪に責任のない」部分だけを残せるのではないか? そんな思想からトウニン人は生まれ変わり処置を人間に対し行っている。語り手である特別捜査官もその処置を何度も受けている男なのだが、トウニン人を狙って行われたテロの首謀者を追ううちに「失われたはずの記憶」が彼に思いもよらぬ真実を伝えることになる。
この「一個人の内面をそれぞれの役割・機能ごとに分割する」という考え方は「分人」として平野啓一郎さんが提唱していた物に近く、それを「消去して罰をおわせる」という発想はともかくとして、非常に現実的なメソッドではあると思う。なにげに、語り手は異型のトウニン人と結婚もしており、異種恋愛譚としてもおもしろい。
続く「介護士」は介護の人手不足問題を、AIロボットによって解決──というわりかしありがちなネタかと思いきやそこに南北問題を絡めて一回ひねってくる一篇で。『インターネットの世界には、悪いやつがたくさんいるんだよ、父さん。』に続く会話など語り口が暖かい作品だ。。続く「化学調味料ゴーレム」は宇宙船〈星雲のプリンセス号〉が宇宙を航行中にネズミが大量発生し、10歳の少女がそれを解決するために頭の中に響く〈神〉の声を聞きながら化学調味料を元にネズミ捕獲用のゴーレムを作り上げるが──といった感じのユーモア短篇。偉そうで尊大な神様、ゴーレムはプログラムみたいに忠実にすべてを命令してやらないと機能しなくて、とドタバタが続く。こんな短篇なのに少女の出自(中国人)と宗教テーマも絡めてくる一篇である。
「ホモ・フローレシエンシス」は地球の秘境にて新種の人類が発見されたら、その時人はどのように彼らとコミュニケーション──接触を図るべきか? というある種のファースト・コンタクトを題材にとった一篇。遠い遠い星の異種生命ではなく、地球を舞台にしているあたりがテーマに繋がってくる部分としてもおもしろいところ。続く「訪問者」もファースト・コンタクト系で、地球に453機の探査機がやってきた、しかし彼らは人間を攻撃するわけでもなく、ただ人間の行動を観察しているだけである──いったい、なぜ? なんのために? 人間の振る舞いは、「異種族」からみられていることによって変わるのか? を描き出していく。一瞬ピーター・ワッツ『ブラインドサイト』か!? と思うが、ぜんぜん違う話である(あたりまえだ)
ポスト・ヒューマン物
ケン・リュウの未来物の短篇では、人類は個人をネット上にアップロードして無限に近い生を手に入れている状況を描くものが多いが、本書に収録されている何篇かもその系譜に属する。たとえば「七度の誕生日」は7歳の少女の語りからはじまって、その後49歳、343歳、2401歳、何千何万といったと誕生日を重ねながら、アップロードされた人類、文明変化、彼女と、その親や子どもたちとの独特な関係を描き出していく。遠未来の話であり、同時に家族の話であり、触れ合いの話であり、欠陥だらけの人間をそれでも肯定しようとする話でもあり、本作の中でも特に好きな一篇だ。
「神々は鎖に繋がれてはいない」から始まる短篇三部作(続くのは「神々は殺されはしない」「神々は犬死はしない」)もポスト・ヒューマン物で、最初の一篇は父親を失ったばかりの少女マディーのもとへ、なぜか絵文字だけでしかコミュニケーションのとれない相手から連絡があり、彼女のことを支援してくれるのだが──という状況から始まる。なぜ絵文字でしかコミュニケートできないのか? あたりの理屈付けも明快で説得力がありおもしろいのだが、実はその背後にいるのはアップロードされた人間の意識的な存在で──と、そうした存在を「神々」を称し、三部作を通して世界を巻き込んだ闘争へと発展していく。こちらもある意味では新しい家族の話だ。
おわりに
最後にもう一篇紹介しておくと、「ビザンチン・エンパシー」は暗号通貨を用いた難民などへの「直接的金銭支援型の寄付」システムであるエンパシアムが生まれたら──という状況から、そのシステムを事実上乗っ取ろうとするもの、”共感”の暴走などかなり現代的な状況を描いた作品で、読み応えがある。こうした暗号通貨物やら、脳と時間認識についての話やら、最先端の技術・科学研究を積極的に作品に取り込み、「そうしたテクノロジーは、人類社会をどのように変えるか」を、善悪両面を描き出しているのがケン・リュウ短篇のおもしろさのひとつだろう。
同時に、億年スケールの話を扱いながらも描かれていく関係性は身近で密接な親子関係であり、巨大で遠くにみえるものと身近で小さなものが密接にリンクして語られていく点が、幅広い評価に繋がっているのかもしれない。何はともあれ、傑作です。