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未来を見る方法──『WTF経済 ―絶望または驚異の未来と我々の選択』

WTF経済 ―絶望または驚異の未来と我々の選択

WTF経済 ―絶望または驚異の未来と我々の選択

プログラマからすると頭が上がらない技術書出版社のボス、ティム・オライリーによる、テクノロジーと未来についての一冊である。書名の「WTF経済」って何、と思うかもしれないが、WTFとは、what the fuck,なんじゃこりゃとかなんてこった的な表現で、人工知能やiPhone、ウーバーなど、驚異的な技術と発想の産物であると同時に、多くの人が恐怖と共に受け入れてきたWTF? 製品を、これまでの捉え方とは「ちがう道で」選び、受け入れていかなければならないと語る啓蒙の書である。

『大きな経済変革の時代に、それをテクノロジーのせいにするのは簡単だ。だが問題もその解決策も、人間の選択の結果なのだ。』『驚愕のWTF?を体験するか、絶望のWTF?を体験するかは決まってはいない。それは私たち次第だ。』と、繰り返し著者は、「我々は未来を選択することができる」と語りかける。もともとwhat the fuckは日本の「ヤバい」と同じように最初は悪い意味での表現として広がった後、良い意味でも使われるようになってきたらしいが、ようするにwtfなテクノロジーを悪い意味に捉えるも、良い意味で捉え直すも我々次第、ということなのだろう。

ざっと紹介する。

本書の中で通底しているテーマのひとつは、著者が社会に対して持っている「課題」をいかにして解決すればいいんだろう、というもの。たとえば、彼はプログラム言語Perlの開発者ラリー・ウォール(Perlはフリーソフト)とビル・ゲイツの両者を挙げ、『単にある個人や企業による価値の獲得ではなく、社会にとっての価値の想像を最大化する』にはどうしたらいいだろうか? と課題として問いかけてみせる。

ソフトウェアをあげてしまうほうが、それを独占するよりもよい戦略となるには、どんな条件が必要なのだろうか?

もう少し抽象的に語ると、ビジネスが社会から奪っていく価値よりも、社会のために多くを作り出す価値のほうが多い状態にするにはどうしたらいいか? と言い換えることができるだろう。たとえば、人工知能の性能が向上していけば人間の仕事はなくなってしまうと恐怖を語る人がいる。でも本質的に重要なのは、多くの人間にいきわたる仕事があるかというよりも、生産性が向上した結果発生した価値をどのように公正に分配すればいいのかというところにある。単なる置き換えを発生させただけでは、一部のたくさんの機械に投資できる資本家がどんどん裕福になるだけだ。

また同時に、人工知能によって定型的な作業が人間の仕事にならなくなったら、人間同士の触れ合いの価値は上がり(テクノロジーの進歩と同時に、先進国を中心にした少子化の影響もある)、競争優位の源となることも考えられる。大した主張ではないが、本書のおもしろさとしては、そうした発想をそもそもどのように持つのか? という発想法の核の部分を第一部で明かして、二部、三部、四部(全部で四部)でそれを実際に応用したらどうなるか? と話を進めてくれる点にある。

未来を見る方法

技術書出版社、イベンターとして常に最先端を走っていた著者だから、その世界の見方の価値も高い。一部紹介すると、何度も繰り返されるものとして、『ニューロマンサー』などで知られるSF作家ウィリアム・ギブスンの有名な指摘、「未来はすでにここにある。ただ均等に分配されていないだけだ」がある。Linuxとインターネットの初期の開発者たちは、それが世間に知られるずっとまえからすでにその世界にどっぷり浸かっていた。彼らを集めることは、そのまま未来の先取りになったのだ。

著者は、「未来」に相当する人たちを集めて、それが新たな日常になったときに物事がどう変わるかを想像し、それを常にビジネス(なのか趣味なのか、判然としないが)に活かし続けてきた。その時の物の見方として、彼は「地図」と「道」の比喩を繰り返し使っている。簡単にいってしまえば、地図とは現実の抽象化された概念──人々の頭のなかにある世界像のようなものであり、道とはそのまんま、現実のことだ。「世界はこうである」と頭の中で理解していることは、現実の「道」とはひょっとしたらまったく異なっているかもしれない、と繰り返し著者は伝えてくる。

地図と道

たとえば、彼が何度もやってきた講演会の中で「Linuxを使っている人はどのくらいいますか?」と聞くと、聞いている層によって多かったり少なかったりまちまちだが、「Googleを使う人はどのくらい?」と聞くと、ほとんど全員が手を上げる。だが、Googleは実際にはLinuxの上で走っているから、Googleを使っていると答えた人はみんなLinuxを使っているともいえる。クソ屁理屈野郎だなと思うが、言っている意味はよく伝わるだろう。『世界の見方が、自分に見えるものを制約するのだ。』

この「地図と道」の考え方は『思考と行動における言語』がこれまで読んできたノンフィクションの中でもっとも僕の思考に影響を与えたと考える身としては親近感が湧くものだ。思考と行動〜の内容を軽く紹介すると、まず、我々が実際に知りうることのほとんどは小さな世界のもので(地球が丸いと知っていても、肉眼で見たことのある人はほぼいない)、実際の認知的な世界のほとんどは他人の報告を聞いて知った「言語世界」で成り立っている。自分が実際に認識している実際世界と、他者から聞いて頭の中で構築した言語世界の関係を、思考と行動〜では現地と地図になぞらえていて、「現実で正しく行動するためには、正しい地図を持たねばならない」と語る。

当たり前だが、間違った地図を元にして行きたい場所に行こうとしても、間違った場所にしか辿り着かないから、我々は行きたい場所に行くためには正しい地図を持たねばならない。そのためには、言葉を正しく扱うこと、「地図」の実証可能性と、推論と断定をできるかぎり排除すること、などの面倒くさい手順が必要になってくる。

思考と行動における言語

思考と行動における言語

おわりに

『WTF経済―絶望または驚異の未来と我々の選択』の話に戻すと、こちらはより具体的に、現代で主要な課題となっているテクノロジーを例にあげて、「頭の中に構成される地図」をどのようにうまく構築して、地図を書き直し続けるかを教えてくれる。ウーバーやエアービーアンドビーなど、多くの革新的とされる企業のサービスは実際には「それができる状況はすでに整っていたのに、誰も気づいていなかったか、気づいていてもやらなかった」ものである。そうしたサービスが成立するだろう、という「地図」を頭の中に持つにはどうしたらいいのか。考えられないことを考えよう、といった矛盾した内容が本書では幾度か繰り返されるが、思い込みや先入観に彩られた地図を打破するには、そうした矛盾した思考・行動が必要とされるのだろう。