基本読書

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「偶然」を仕掛けて世界をコントロールする秘密工作員──『偶然仕掛け人』

偶然仕掛け人

偶然仕掛け人

人生は偶然によって支配されている。どこの誰の家に生まれるのか、どのような遺伝子配分になりその生活の中でどのようなエピジェネティックな変異を起こしていき、細胞の癌化はいつ進行するのか。事故に遭うのか遭わないのか、誰と仲良くなって仲良くならないのか、ありとあらゆる要素がいわば「偶然」といえ、逆に我々は人生のどの部分を「選択」できたといえるのだろうかと疑問に思うこともよくあることだ。

イスラエルで暮らす著者ヨアブ・ブルームによって、ヘブライ語で書かれた小説である本書『偶然仕掛け人』は、そんな人々の人生に起こりうる「偶然」を意図的に仕掛けることで、ある二人をくっつけたり、ある人物をある職につけたり、ある人物に詩を書かせたり──といった「結果」を引き起こす生業である偶然仕掛け人たちを中心に据えたスペキュレイティブ・フィクション(雑に言えば変な小説のこと)である。

物語は、そんな仕掛け人の講習課程を三年前に一緒に受講し、今も仲が良くお互いの仕事の相談をし合う三人を中心として進行していく。そのうちの二人、ガイとエミリーが難しい恋愛状況にあって──という始まり方をするので、「えーこんな魅力的な世界設定なのに二人の恋愛譚に収束するの? この設定なら他にいくらでも広げられるでしょ」と最初はちょっと不満があったんだけど、最後まで読んだらその印象は完全に吹き飛んだ。とてつもなくスマートな傑作ではないか。完全にたまげましたよ。

本書は少し複雑な構成をとっていて、主人公にして偶然仕掛け人のガイの現在の物語と、彼が偶然仕掛け人の講習を受け始めた日々の三人の物語と、彼の「偶然仕掛け人になる前」の過去、それに加えて偶然を仕掛けられた側、決して自分で殺しはしないが、準備を極限まで進めた先に偶然によって狙った相手が死んでしまう凄腕の殺し屋の話などいろんな人物の視点が混じりこんできて、現在のガイの行動にもなかなか明かされぬ過去の事情が関わっていたりして、ぐちゃぐちゃになってしまったイヤホンみたいになかなか物語の全体像がみえてこない。だが、半分ほど読んだところから次第にこじれた部分がほどけていき、シンプルで美しく収束していく凄さがある。

ざっと紹介する

いくつも素晴らしいポイントはあるのだが、まずなんといっても飛び抜けているのは魅力的な世界設計&そのディティールを埋めていく描写のおもしろさだ。たとえば、偶然仕掛け人と一言でいっても、彼らはどのような理論や理屈を持っていて、実際にはどのように「偶然」を仕掛けるのか? 本書では冒頭から、ガイがある二人の若い男女を結びつける「偶然」が描かれるが、カップに半分ほど満たした珈琲をテーブルの端に置き、ベストなタイミングでウェイトレスを呼び、偶然のタイミングでウェイトレスが珈琲をこぼし、それによって結びつけようとしている男性の書類にかかり──その後、次の一手としてガイが「水道管を壊しにいく」までが描かれる。

無関係に思える要素が無数に関連しあって結論に収束していく快感がそうした偶然仕掛け人の日常にはある。また、物語には時折『偶然入門』という架空の本からの引用や、「偶然発生の技巧法──パートAより抜粋」など、偶然仕掛け人たちがその技術を養う時に読むであろう具体的なテクニックがずらずらっと書かれたパートが入ってくるのも、この職業の実在感を高めるに役立っている。たとえば、偶然仕掛け人はランク5の歴史的プロセスの一環で認可を受けた場合以外で、長期の疾患、回復不可能な怪我などを引き起こすことは禁止されているなど、無数のルールがあるんだよね。

で、ストーリー的にはそうしたガイの日常パートがあるのだけれども、そんな彼がよく顔を合わせるのが一緒に偶然仕掛け人になるための課程を受けたエリックとエミリーの二人である。ガイは受動的で慎重、能動的でだいたんに運命に手を入れるエリックにバランスタイプのエミリーとスタイルはばらばらだが三人は仲良くやっており、封筒に入れられてやってくる自分たちの任務についてもよく話し合っているのだが、ガイの元に「『失礼ですが、あなたの頭を蹴飛ばしてもいいですか?』」とだけ書かれた指令書が届いたことに端を発して物事は2つの面で劇的に動き出していく。

たとえば、エリックもガイも察していることとしてエミリーはガイに思いを寄せているのだが、決してその想いを受け入れようとしないガイに対してエミリーが限界を超え、その偶然仕掛け人としての能力を使ってガイとの間の関係を成立させようとする。また、ガイが謎の頭蹴飛ばし依頼を解き、その状況を進めていくことで、彼が本来関わることのできないランク5の偶然仕掛け人(ランク6の偶然仕掛け人は人類の歴史を変えるレベル、ランク5は病気、悲劇、大事故などを扱う)と接触し、彼の前職時代の仕事に、再度偶然仕掛け人として関わる必要性が出てくることなど。

イマジナリー・フレンド

偶然仕掛け人は明らかに変な仕事だが、この世界には実はいろいろなファンタジックな領域に属する仕事、たとえば「夢織り人」や「点火者」、「幸運配達人」が存在していて、そのうちのひとつに「イマジナリーフレンド」がある。子供が時々やる、自分の想像の中に作り上げた友達のことで「非実在」の存在なわけだが、ガイは偶然仕掛け人になる前はそのIFをやっていろんな人間の側で生きてきたのである。*1

偶然仕掛け人中心の話だと思っていると、IF周りの設定のおもしろさにびっくりするだろう。IFも偶然仕掛け人と同じように職業として設定されており、「IFは想像者の意に反する発言をしてはいけない」「IFは想像者が想像した時にだけ呼び出され出現する」など無数のルールに縛られている。さらには、IFは基本的に一対一で対話し続ける孤独な存在なわけだが、たまたま同じ場所で想像者に呼び出されたIF同士は会話ができることにガイともうひとりのIFが気づいて──と、これ単体でも一本の長篇になりそうなストーリィが過去篇として展開していくことになる。

途中、このIF周りでびっくりする発想の飛躍(IFの存在ルールから考えるとそこには凄く納得感もある)があるんだけど、著者の職業はソフトウェア開発者でもあると読んで納得した。非常にプログラマ的な発想の箇所なんだよね。

おわりに

で、もっと紹介しておきたいところはあるんだけど、本書は上記で書いてきたような要素が後半で一気に結びついてスパークする構成なので書けることがもうないんだよなあ笑 ただ、ガイとエミリーの恋愛譚と、ガイが携わることになるランク5偶然仕掛け人案件のどちらにもイマジナリー・フレンド時代の関係性が関わって──、ガイは自分自身の意志によってこの世界に「偶然」を仕掛けていくことになる。

エミリーが偶然仕掛け人の能力を自分の恋愛成就のために使ったことで、偶然仕掛け人の能力が偶然仕掛け人にも通用しうる、つまりこの偶然仕掛け人たちの物語に「偶然仕掛け人の仕掛け」が存在しているのではないか? というある種メタ的な問いかけが生まれているところもおもしろいんだよね。はたしてこの物語はどこまでが仕掛けられた偶然によって構築されているのだろうか? なにしろ人類の歴史を変えるレベルの偶然仕掛け人がいる世界なのだ、そのありとあらゆる細かい部分までもが、その仕掛け人によって操られている可能性まで考慮しなければならない。

正直言ってこの物語は僕が最初に書いたように、ある種の「恋愛譚に収束する物語」なのだが、その規模の大きさと美しさで、僕は完全に屈服させられてしまった。恋愛譚って僕は(作中の問題がくっつくのかくっつかないかに集約しがちで広がりがなくなっちゃうから)基本的に好きじゃないんだけど、これは大好き。

*1:ここちょっとややこしいので補足説明を入れておくと、つまるところ偶然仕掛け人になりえる彼らは現実の体を持って存在しているけれど、それはたまたま偶然仕掛け人だからそうなのであって、IFをやっているときは実在する体は持っていないというように、通常の人間とは異なるレイヤーに属する存在であるということである。