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21世紀の戦争はなぜ、どのように変わったのか──『140字の戦争 SNSが戦場を変えた』

140字の戦争 SNSが戦場を変えた

140字の戦争 SNSが戦場を変えた

SNS上では常に人々が罵り合っておりまるで戦争状態のようだが、そういう意味での戦場ではなく、実際にウクライナやイスラエルvsハマスといった実在する戦場をいかにSNSが変えたかというレポートである。『これは戦争についての本である。と同時に物語──戦争のナラティブとナラティブの戦争──についての本でもある。』

著者は中東をメインに取材するジャーナリストだが、イスラエルとガザの情勢などを調査・報道するうちにとある大きな変化に気がついたことが本書を書くきっかけになったようだ。それは、戦争が、戦車や大砲を用いる物理的なものと、民間人までをも巻き込みソーシャルメディアを駆使したナラティブなものの2つに分かれているという事態である。敵国の国民のみをターゲットにしてきた戦争は、今や国際世論を相手にしていかに自分たち有利の心象を引き出すのかというものに変わってきている。

ガザ侵攻の例

本書ではいくつもの「SNSが戦場を変えた」事例が取り上げられていくが、最初に紹介される事例は2014年のガザ侵攻だ。イスラエル国防軍とパレスチナのガザ地区を統治するイスラム系のハマスという組織で起こった紛争だが、この時に大きな影響力を誇ったのがそのどちらの組織に属しているわけでもなかった、ガザ地区の単なるツイッターの1ユーザーであるファラ・ベイカーという16歳の少女だ。

彼女の例は一市民が政府に打撃を与えられるレベルの情報発信者になれるという意味で象徴的であると同時に、その危うさについても重要な論点をはらんでいる。西洋諸国のメディアが事実を捻じ曲げ、イスラエルを被害者に見せかけようとしていると感じた彼女はツイッターを用いて発信を始めた。できるかぎり写真や動画を多めにし、子供の被害を重点的に伝え、個人の体験をベースに伝えるスタイルで書き始め、最初は大きな反響もなかったが、空爆の増加や死傷者の増加と共に認知度は急上昇し800人ほどから20万人フォロワーまでいくのに数週間しかかからなかったという。

それ自体は素晴らしいことなのだけれども、面倒くさい論点もはらんでいる。たとえば、彼女の他にも幾人ものパレスチナ人がツイートをしていたが、象徴になったのがファラだったのは、彼女が語り手として申し分ない要素を持っていたからだと著者は語る。若く、肌も白く、西洋の視聴者にとっては重要な要素として、眼も青かった。『ファラは人を強く引きつける物語に欠かせない、ドラマチックな主演女優という要素を提供した。もしあご髭をはやした浅黒い肌の四〇男が、同じような受難のナラティブをツイートしたところで、ファラほどの関心は掻き立てられなかったに違いない。顔のない人びとのなかで、ファラはテイラー・スウィフトだったのだ。』

多くの人は情報の事実性よりもそうした物語性に惹かれて彼女の発言をリツイートする。だから、彼女が時に間違っていたり、無垢の一般市民であるという認識を受けながらも実態としてはイスラエルの攻撃/ハマスの嘘の主張を補強することとなるプロパガンダを繰り返したりしても、大きく彼女の力が削がれることはないし、リツイートもされる。たとえば、彼女は自分はハマスの人間の楯に使用されてはいないと主張したが(ハマスは人間の楯を積極的に使用しているとしてイスラエルから非難を受けていた)、実際には彼女の家の真向かいにある病院にハマスは陣営を築いていて、それが明確な「楯」として利用する意図のものであることは裏付けがとれている。

だが、彼女自身は本当に自分が人間の楯ではないと信じていたのかもしれない。彼女がどこまでハマス陣営としてのプロパガンダを意図してやっているのか、プロパガンダと個人の一意見の線引はどこで引かれるべきなのか、というのも難しい問題だ。

心の底からうんざりする

ファラが一市民ジャーナリスト(プロパガンダ的側面があるとはいえ)として行動していたのは、素晴らしいことだと思う一方で、こうした「感情的な」ものが増幅されまたたく間にリツイートされていくツイッターにはうんざりさせられる。議論以上に刺激的な語りが影響力を持ち、ある発言が事実か否かが重視されるよりも先に、感情に訴えかける情報が多くのリツイートを集める。いつだってデマや不正確な情報に対しては訂正する少数の勢力が要るにもかかわらず、そうしたツイートは煩雑で刺激の欠けたものになりやすく、前者よりもリツイートされることはまずない。

自分の意見をツイートし、それをより多くの人に拡散してもらい味方になってもらいたいと考えるのはイスラエル側も同じで、そちらでどのようなSNSの活用事例があったかも本書では述べられていく。刺激的な言葉を揃え、写真や図などを積極的に入れ込み、時には情報をキャッチーに伝える動画を作る。メディアも人も戦争によって被害を受けた個人に強く興味をひかれるから、できるだけそうしたショッキングな情報を提供できるように画策する。ネットではそもそも注意を惹かないと誰もみてくれないしツイートしてくれないから当たり前だが、人間の認知機構をハックするためにどんどん先鋭的になっていく流れの証言に、やはり心底からうんざりさせられた。

プロパガンダ工場

うんざり事例はそれだけではない。第6章「荒らし──帝国の逆襲」では、ロシアのトロール工場で働いていた男性へのインタビューがメインとなっている。トロール工場とは、国のために事実を覆い隠し、偽りの情報を生産する工場(トロールは荒らしの意味)のことだ。そこでは部署ごとに荒らしの仕事が分かれている。

たとえばある部署では、ウクライナ軍が「ある地域を制圧した」と主張すればそれは嘘だと書くことが仕事で、ある部署ではロシア政府の対ウクライナ制作を支持する風刺漫画やミームを作り出し、またある部署ではウクライナ人を装ったブロガーとなって自分たちが置かれた悲惨な状況を訴える偽の記事を書き続ける、といった感じで、とにかくプロパガンダのゴミをWeb上に垂れ流し続ける職場であるという。

証言者によるとその会社だけで150人ぐらいが働いていたと言い、その一人一人が毎日何十もの記事を書いて、日々新しいメディアを立ち上げたりして試行錯誤し続けていたわけだから、もうどうなっているのやら、という感じである。クソオブクソだ。

 あらゆる情報に対する疑念のタネを人びとの心にまけばまくほど、何かの情報を聞くか読んだ時に真実を見極める力を人びとから奪っていく。それこそがロシア政府のプロパガンダの全体的な狙いであり、ヴィターリも最後にはそう気づいた。

トランプが勝利した大統領選でも、ロシアはアメリカへの継続的なFacebookへの世論操作攻撃を行っていたことが明らかになっているので国内やウクライナに対して似たようなことをやっていても何も不思議ではないんだが……。

おわりに

『ソーシャルメディアの中心を成すネットワークは否でも応でも、求心的であると同時に遠心的であり、以前には考えられなかった速度と範囲で人びとを結びつけると同時に分断する。』と著者は書く。そう、個々人の力が増す、速度が上がるということはそれだけそれが暴走してしまう可能性が高くなっているということでもある。

僕は本書を読む前からとりわけツイッターに対しては(僕個人においては)扱いに際してもはや利益よりも不利益の方が大きくなってしまったと思っていたし、そもそもデマ、不正確な情報があまりにも多すぎるので誤解の入りようのない公式の告知ツイート以外は基本的にリツイートはしないという姿勢を一貫してとっている。だが、本書を読み、戦争という極端な事象を通すことで、「なぜある種のSNSが危険なのか」というその具体的な「理由」が、よりよく見えてきたように思う。

紹介では取り上げなかったがFacebookが戦場でどう使われているのかなどの話もあるので、SNSと関わりのある人は一度は読んでおいてほしい一冊だ。