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終末の予感だけがただひたすらに蔓延する小説──『穴の町』

穴の町

穴の町

本書『穴の町』はオーストラリアの作家ショーン・プレスコットの長篇小説のデビュー作である。「世界文学」としか言いようがない本作なのだが、僕はそうした前情報を一切知らずに「なんとなくおもしろそうだな」ぐらいで買って読み始めた。

そしたらどうだ! あまりにも巧みな筆致──カフカやら村上春樹やらいろいろな作家の要素を思い起こさせるのだが、同時にその組み合わせや全体のトーン、突拍子もない話の展開、会話のリズムなどは完全にオリジナルな自分の言葉であり、まずその語り口にぞっこん惚れ込んでしまった。不条理小説であり、あるいは終末SF的であり、ファンタジィというか幻想小説的であり、理屈が通ったと思ったら通らず、異常に人々が気づいたと思ったら気づいてくれず、とにかくいわく言い難い作品である。

だが、おもしろい、それもとびきりおもしろい小説であるのは間違いないところだ。とりわけ、後述するある種の人々にとっては生涯忘れられない一冊になる。登場人物もまた奇妙で──と細かな話にいくまえにいちおうどんな話なのかというのをざっくり紹介しておくと、まずもって「町」についての話でもある。語り手である男は、オーストラリアの消えゆく町々についての本を書こうとして、とある町にやってくる。

ざっと紹介する

なぜこの男はこの町にやってきたのか? その理由についてはよくわからず、ロブという男の家に間借りし、〈ウールワース〉というスーパーマーケットの商品陳列係としての職を得、ほそぼそと働きながら執筆活動を始めることになる。で、不条理小説的であるとはいえ、基本的にはこの町の人たちはおおむね普通の応答を返す。挨拶をしたら挨拶を返すし、聞いたことには基本的に何らかの返答がある。普通である。

だが、そのやりとりも行動も、みな少しずつ狂っている感じがある。たとえば語り手の男は午後の早い時間にパブでビールを飲み、そこでジェニーという名の経営者とだらだらとしゃべるのだが、その会話がどこかズレている、あるいはちと怖い。たとえばこの町はどういう経緯で作られたのか、ときいても「つくられてなんかない」と返答がある。ただここに人が住むようになっただけなのだと。またある時ジェニーは、「この町は縮小していると同時に拡大している」という。住民の数は減っているのに町の面積は広くなっているというのだが、データを持っているわけではない。

変人しか居ねえ!

この町にはバスが走っており、語り手はそのうちのひとつに町を眺めて回るために乗るのだが、そのバスには自前の車を二台も三台も持たねば生活が成り立たない住民は誰も乗らず、運転手のトムは一切の乗客を乗せずにバスを毎日走らせ続けている。誰も乗らないバスを走らせる必要があるのか? そうトムがといかけた時の、上の人間の答えはこうだ。『町にはバス路線がなくてはいけないから、バスがある。君はそれ以上のことを気にする必要はない』と。このバスに乗ってくるのも変人揃いだ。

数年前に一度、ただトムと話したいからといって乗ってきた男がいた。彼はトムの昔のバンドのファンだというのだが、話をしていく間に、二人がそれぞれ所属しているバンドで一緒にライブをやって、すっかりロック・ミュージックに対する興味を失ってしまったこの町の人たちにかましてやろうぜ、と意気投合する。だが、トムとベーシストが長い練習期間を経てライブ本番の日に会場に向かうと、そこには何の予約も、人もいない。何より、実はこの町ではロック・ミュージックの演奏は禁止されているのだという。その一年後、久しぶりに現れたバスの客である少女は、バスに乗りたいのではなく、バスの窓を使ってライブの宣伝をしたいのだと語る。だが、この町ではライブは禁止されているのだ。そう諭すトムだが、少女も引き下がらない。

 そのことは知ってるけど、それでもギグを宣伝したいの、と少女は言った。出演バンドはどれも現実には存在しないし、会場だってそう。だけど音楽は存在する。少女はポスターの束をダッシュボードに置いた。
 存在しないバンドの架空のコンサートを宣伝してまわったりしちゃだめだ、とトムは言い含めた。少女の答えはこうだった──だめってことはないはず、もう宣伝してるし、第一なんの害があるの、どうせこの町の人はだれも音楽に興味ないんだから。

なんなんだろうこの町は!? ライブが禁止された町なんかあるのだろうか? なぜこの町の人たちはそれを平然と受け入れているのだろうか? ライブが禁止された町で、存在しないバンドの、存在しないコンサートを存在する少女はいったいなんなんだ? どれもこれも少しずつ狂っているが、しかしどこかで同時に「いや、しかしこれぐらいはありえるのかもしれない」と思わせる妙なリアリティがある。

穴の町

本書は三つの連作短篇集のような構成をとっている。語り手がこの町にやってきて、妙な不条理、理不尽に遭遇していく「町」。そして、その町に突如として深さもわからなければなぜ、どうしてできたのかもわからない穴が出来てしまい、しかもそれが徐々に広がっていく状況を描く「消えゆく町」。最後は、語り手が都市へと移動したあとの物語である「期待はずれの都市」。それぞれの話で何か強大な話のフックがあるわけではなく、基本的に淡々と語り手の日々の生活が綴られていくだけなのだが、その日常は先に紹介したように常に不条理とリアルの間を揺れ動いている。

しかも、この三つの話それぞれに大きく読後感が違うんだよなあ……。ぜんぶお気に入りだけど、個人的には何者かから延々とカセットテープが送り続けられ、それを街中にばらまいているシアラという女の子と共に、都市で最底辺のホステル生活をおくるうちに地下都市の存在に気がつく「期待はずれの都市」が大好き! 町から都市への旅の旅情、海で日々を過ごし、ガソリンがなくなるまで走ったら車で暮らし、自分が何者かを追い求めて誰にもなれず、底辺まっしぐらな生活の日々がな……。どう考えても嫌なんだけど、何かがとてもぐっとくるんだよなあ……。

シアラによると、地下の人たちは、世界が変わりつつあると言っているそうだ。最後には何もかも元どおりになるだろうし、そのとき世界の秘密のすべてが消え去るだろう。違和感を覚える余地はないだろうし、思い返す時間もないだろう。それは、世界じゅうの人々が壊滅に備えているからだ。

おわりに

本書全体に通底しているトーンは、何かがだんだん悪くなっていっている。町は、都市は、何らかの終焉に向かってひたひたと歩いている、あるいは走っている、という絶望的な空気感である。そもそも消えゆく町についての物語なのだ。『この町が百年のうちに消えたらと想像してみて、とぼくは言った。町の象徴するものすべてが塵と化す。町の誇れるものすべてが忘れ去られる。そんなこときみには想像もできないだろうね、とぼくはシアラに言った。幻想であってくれたらと願うかもしれない。』

彼が滞在した町も、都市も、漠然とした恐怖に襲われて消えてゆく(かどうかはわからないのだが、実感としては)。それにしても不思議なのは、そんだけ終末&幻想的な光景が連続するうえに、語り手がこの小説中でおくる生活、というか人生はとてもうらやましいものではないのだけれども、それでもそれが悲惨なものだ、という感覚は読んでいて湧いてこない。語り手が何が起ころうとも情動的にあまり揺さぶられないタイプであることも関係しているが、全体的にやはりどこか終末や消えていくことに大して現実感がなく、終末の予感だけがただひたすらに蔓延する小説なのである。

そして──ある種の人間は、そうした空気感というものにたまらなく引き寄せられてしまうものなのだ。もしあなたが自分もそうだと思うタイプの人間であるならば、これほどまでによく合う小説はなかなか他で巡り会えるものではない。