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進化はどこまで予測可能なのか?──『生命の歴史は繰り返すのか?: 進化の偶然と必然のナゾに実験で挑む』

生命の歴史は繰り返すのか?ー進化の偶然と必然のナゾに実験で挑む

生命の歴史は繰り返すのか?ー進化の偶然と必然のナゾに実験で挑む

生命の進化の歴史は偶然に支配されている。たとえば、とある巨大な隕石が地球に落ちて”こなかった”、そして、恐竜がそのままの形で生存していたとしたら、今とは全く違った光景がこの地球上に広がっていたと多くの人は考えるだろう。スティーヴン・グールドは著書『ワンダフル・ライフ』の中で、仮に進化の過程を再現したならば、今とは異なる生物界が現れるだろう、といい、多くの人に受け入れられた。

だが、一方この宇宙、それに地球は一定の物理法則に支配されているから、泳ぎやすい形、動きやすい形というものが決まっている。空を飛ぶ動物はいくつかの形の翼と飛び方に収斂していくし、高速で泳ごうとする動物もそうだ。生きていくためには呼吸なり食物の接種なりでエネルギー収支をプラスにする必要があるので、生物の進化には実は思っているほど偶然の要素はなく、必然的な方向性があるのではないか──という問いかけを深堀りしていくのがこの『生命の歴史は繰り返すのか?』になる。

本書の執筆にあたり、当初わたしは大きな疑問のひとつ、〝進化はどこまで予測可能なのか?〟を解明すべく、現在進められている研究について書くつもりだった。けれども、書き進めるうちに、単に科学研究で何がわかったかを詰め込むだけでは足りないと思うようになった。科学的知識は、不意にどこからともなく現れるわけではない。それは創造性とひらめきを武器に、自然界を理解しようと奮闘する、研究者たちの努力の結晶だ。それに、進化の予測可能性をテーマとする研究者たちは、あまりに魅力的なのだ。

生物系は実験が難しい分野だが、それでも工夫次第では、進化のようなその帰結の確認に何百年もかかりそうなテーマであっても再現性と信頼性のある実験をこなすことも可能なんだということが本書を読むとよくわかる。生物の形の規則性については、今年は『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか』も出ているが、このテーマは本当におもしろい。本書と合わせて今年ぜひおすすめしたい生物系のノンフィクションだ。

ざっと紹介する

というわけでざっと内容を紹介していこう。まず最初に出した「隕石がぶつからず、恐竜があんな派手に死ななかったら人間も今のような形ではなかったんじゃね」問題について。歴史的には、隕石が恐竜を一掃することで、環境の辺縁においやられていた哺乳類たちがぐわーっと数を増やしたわけだけれども、たしかにそれだけみると隕石がぶつからなければ哺乳類はそのまま辺縁で逃げ惑いながら過ごしていそうだ。

でも、3400万年前に地球の気候は寒冷化にうつって、氷河期がやってきた。現在極地に爬虫類がいないのは寒すぎるからだ。イギリスの古生物学者サイモン・コンウェイ=モリスは、隕石で恐竜が死ななくとも地球の寒冷化によって哺乳類が台頭し、結局は進化的放散がはじまっただろうと主張している。ちょっとそれは規模がでかすぎるし、こうした仮説を科学的な言質にするためには、何らかの証拠が必要だ。スティーヴン・ジェイ・グールドが提案するように、歴史を全く同じ状態でやり直せばいろいろなことがわかるだろうが、実世界では(少なくとも、そのままでは)できない。

だが、環境を限定したり、似たような状況が起こった現実の環境と種を見つけ出すことで、擬似的な進化の歴史の観測を行うことは可能だ、と近年の生物学者らの研究によってわかってきた。たとえば、同一のトカゲ集団を、環境条件の異なる4つの島に導入し、その後の数百万年でどう進化するかを観察する──これは現実に実験としてデザインするのは難しいが、大アンティル諸島のアノールというトカゲのように類似した分散・進化が起こっているケースが存在している。その結果としてわかるのが、数百万年の進化の果てに4島でほぼ同じ姿形のとかげを生み出していること、つまり進化が一定の方向性と必然性を持っているということなのである。

より人為的な進化の検証も行われている。たとえば、捕食者の多い環境では、魚はより見つかりにくく、逃げやすくなければ生き残れない=子どもが作れないと想定される。そこでとある研究者が調査したところ、オスのグッピーの体色は捕食者と強く相関していた。捕食者が少ない環境ではきらびやかで、斑点も多かった。捕食者が多い環境ではその逆だ。だが、自然環境での実験で難しいのはそれが本当に因果関係なのか、環境に存在する捕食者以外の理由による相関関係なのかわからないことだ。

そこでより状況を限定した実験が行われることになる。淵と滝が連なる27平方メートルの人工の渓流を作って、10の飼育区画を用意し、異なる捕食者を区画ごとに入れ、観察する。グッピーは世代交代の早い種ではあるが、この実験でおもしろいのはわずか9ヶ月後に、捕食者のいないグッピーはパイクシクリッドに襲われるグッピーよりも40%以上も斑点が多くなっていたという、明白な差異が現れている点だ。自然淘汰が十分に強ければ、進化はきわめて急速に、明白な形で起こるのだ。

そして進化生物学者たちは、グッピーにとどまらない普遍的なメッセージを受け取った。自然淘汰が強くはたらくとき、進化は急速に起こりうる。その当然の帰結として、現代科学の原動力である実験的手法は、進化研究にも適用できる。それも、統制されているかわりに人工的なラボの隔離環境だけでなく、乱雑で無秩序で奔放な自然のなかでおこなうことすら可能なのだ。

とはいえ、全てが必然なわけではない。

なるほど! じゃあすべての動物は今ある形に必然的に進化してきたんだ! と思うかもしれないが、そうではない。実際には偶然の要素もある。先に述べたアノールというトカゲも形がほとんど同じであると言うだけで、足の長さや吸着力などの細かな特性には差があるし、ウイルスを用いた研究では、ある個体群が結果として得た特性(全く新しい方法で大腸菌を攻撃するように進化した)を、その少し前の段階の個体群から再度、同じ条件で繰り返しても、同じように進化するわけではなかった。

だから重要なのは「進化は偶然か必然か」というあまりにも大雑把な問いかけではなく、「進化のどの程度までが必然で、またどの程度が偶然に左右されるのか」という個別具体的な検証なのである。本記事では本書の中の一部しか紹介できなかったが、微生物系ではグールドの思考実験をかなりの部分再現できるなど、ワクワクする事例が山盛りなので、ぜひ読んで確かめてもらいたいところだ。

地球外生物の形の話

もうひとつおもしろい話として、地球の生物に一定の進化の方向性があるとして、宇宙人存在する(であろう)生命にも傾向が存在しうるのか? という問いかけが時折生物学系の本ではなされるが、そのテーマが本書でも浮かび上がってくる。

これについてはまだ一例も見つかっていないので実証しようがないが、仮説としては「地球生物と近しい形、機能を持っている可能性はある。場合によっては、かなり高い」といえる。というのも、まず第一に物理法則は地球だけでなく宇宙で共通であること。もうひとつは、生命とはどんな素材でも出来るわけではなく、エネルギー収支の観点からいっても炭素がベースになる可能性が高く、DNAなどは炭素ベースの系においてこれ以上ないほど効率的な仕組みだから、そうした諸々のベースとなる条件を合わせると、我々と比較的似た形で収斂進化する可能性はある。

そうやって、まだみぬ地球外生命体の姿かたちにまで思いをはせられるのは、科学の醍醐味の一端だ。ちと長くなってしまったので、こんなところで。似たテーマとしては、下記の本もおもしろかった。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp