- 作者: ほぼ日刊イトイ新聞,100%ORANGE
- 出版社/メーカー: 株式会社ほぼ日
- 発売日: 2019/07/30
- メディア: 新書
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岩田さんが任天堂の社長になるまでの個人史を語っている「岩田さんが社長になるまで。」。岩田さんの仕事観、どうやってHAL研究所をまとめあげ、その後桁の違う大企業である任天堂でマネージメントを行ってきたのかを語る「岩田さんのリーダーシップ。」岩田さん自身の方法論というか、個人の考え方や思想的な部分にふれた「岩田さんの個性。」、糸井重里さんや宮本茂さん、山内溥さんについて語られた「岩田さんが信じる人。」。岩田さんがどのようなゲームをつくることを目指していたのかを語る「岩田さんの目指すゲーム。」と、それぞれの軸から人間・岩田聡の全貌をあぶり出していく構成になっていて、丁寧な編集による大きな力を感じる一冊である。
文章って、適切な形で千切ったり並べ替えたりすることでぶわっと大きな意味が浮かび上がってきたり、その逆に全く意味が通らなくなったりするんだけれども、本書はそこに一切の妥協がなく、洗練されている。岩田さんが語った文章はたくさんあるから、400とか500ページあるデカい本にしようと思ったらいくらでもできたはず。
でも、本書はそうなっていない(全部合わせて220ページほど)し、それは「足して足してじゃなくて、何をひくか、何をやらないかを考えるべきだ」という岩田さんのゲーム観とも通底しているもののように思う。できるだけコアな部分だけを残して、すっきりとした形で岩田聡を人間として浮かび上がらせるためにどうしたらいいのか。本書の編集の在り方にはそうしたはっきりとした思考がみてとれる。
かなり個人的な話
岩田さんと僕は一切何の関係もない人間だけれども、でも常に最も尊敬する人間と言うか、理想とする人間像であった。それは岩田さんのことを知ってからそうなったというか、もともと自分が「こうなりたい」という人間観が形成されており、ある時知った岩田さんの発言をみると、まさにその体現者のような存在で、「ああ、こんな人が現実に存在できるんだな」とそのことそれ自体に深く感動してからのことである。
僕が岩田さんのどこを理想としていたのか。たくさんあって網羅はできないが、ひとつには『わたしが社長になった理由は、すごく簡単にいうと、ほかに誰もいなかったからでしょう。』というところにある。自分がそれをやることが状況を考えると一番合理的だ、と思うならやるべきだ、という価値観。もうひとつは、年下だろうがなんだろうが自分の知らないことをできるひとに対して敬意を持って接すること。
また、本書の中では繰り返し出てくる、岩田さんの仕事観『自分は、ほかの人がよろこんでくれるのがうれしくて仕事をしている。それはお客さんかもしれないし、仲間かもしれないし、仕事の発注者かもしれないけど、とにかくわたしはまわりの人がよろこんでくれるのが好きなんです。』であるとか。周囲の人の幸せを考えていて、そのうえ、「周囲の人」の定義がとんでもなく広くなっても、それをなんとかできてしまうほどの圧倒的なパワーを持っていた人だったんだなと思わずにはいられない。
「他人のハッピーのために行動ができること」それ自体が凄いというよりも、他人のハッピーのために行動をすることそれ自体から莫大なハッピーを得られる人のようにみえて、それがとても凄いと思った。僕も周囲の人によろこんでもらいたいが、とてもここまでのことはできない。力はちっぽけで、できることは少ないし、周囲の人のよろこびのために自分が苦労するかも、と思うと怖気づいて見なかったことにしてしまう。だからこそ、岩田さんは僕にとっては「とても自分には不可能だが、僕のやりたかったことを圧倒的規模でやってのける理想のヒーロー」であったんだな。
あとは当然、人格者であることはあらゆるインタビューから浮かび上がってきているし、その経営のやり方、エンターテイメントの会社である任天堂をどう導いていくのか、という部分で「こんな経営者がいていいんだ」と思えたとか、そうした一つ部分を知って、その端々で「社長 岩田聡」ではなく、その日常的な面も知っていくことになり、「自分とは遠く離れた場所で活躍しているヒーロー」というよりかは、「一人の人間としての岩田聡」に深く惚れ込んでいくことになったのだ。
なんでもない情報がとても嬉しい
で、僕がこの本を読んでいてとても嬉しかったのは、そうした岩田さんのとても日常的なエピソードがちゃんと載っていることだった。もちろん岩田さんが仕事について語ってることとかゲーム観について語っているところの情報は多くの人に役に立つ情報である。でも特別収録された宮本茂さんへのインタビューで、岩田さんが社内でときどき「カービィ」と呼ばれていたこと(お菓子があるとどんどん食べるから)、漬物がきらいだけど、京都のある店の漬物だけはおいしく食べられていたということ。
糸井重里さんへのインタビューで、岩田さんがハッピーというときには両手をいつもパーにしていたこと。岩田さんの息子さんが彼女と街で歩いているときにとてもうれしそうな顔をしていた、ということを嬉しそうに語っていたことなど、とにかくそうした、なんてことのない日常のエピソードから、任天堂の社長にして凄いプログラマーや経営観を持っている岩田聡観だけでなく、周囲の人々との関わりの中にある、「岩田さん」の姿、生きる態度が浮かび上がってくるのが、とても嬉しいのである。
もっとどんなくだらないことでもいいから岩田さんの日常のエピソードが読みたいな……と思ったりもするが、まだ関係者のほとんどは生きているわけだから、それをいつか目にする機会も生まれ得るのではないか。そう期待しないわけにはいかない。
おわりに
きっと、この先岩田聡のもっと本格的な伝記も出ると思うんだけれども、「岩田さん」の本として、本書はずっと残り続けるだろう。最後に、僕が読んでいて思わず泣いてしまった一節を、宮本茂さんへのインタビューから……
岩田さんがいなくなって、会社はきちんと回ってますよ。いろんなことをことばにしたり、仕組みとして残していってくれたおかげで、若い人たちが生き生きとやってます。困ったのは、ぼくが週末に思いついたしょうもないことを、月曜日に聞いてくれる人がいなくなったことですね。
お昼ご飯を食べながら、「そうそう、あの話ですけどね」っていうのがなくなったのは、ちょっと困っているというか、さみしいんですよね。